第10話 未来を収納して
「ママ、みて! はこのなか、キラキラ!」
愛らしい声と共に、小さな手が私のスカートを引っ張りました。
日当たりの良いリビング。
床に座り込んでいるのは、三歳になったばかりの娘、リナです。
彼女の銀色の髪は夫譲り、意志の強そうな瞳は私に似ていると言われます。
「なあに、リナ。何を詰め込んだの?」
私は書類仕事の手を止め、娘の元へしゃがみ込みました。
彼女が抱えているのは、かつて世界を救い、私の運命を変えたあの「黒い木箱」です。
古代文明のスーパーコンピューター端末であり、惑星管理システムのマスターキー。
そんな大層な代物は今、世界で一番頑丈な「おもちゃ箱」として余生を過ごしていました。
「これ! パパがくれたの!」
リナが箱から取り出したのは、美しくカットされた氷の宝石でした。
ルーカス様が魔法で作った、溶けない氷のアクセサリーです。
他にも、綺麗な小石や、摘んできた花、お気に入りのぬいぐるみが、箱の中に無造作に詰め込まれています。
「ふふ、素敵な宝物ね」
私は娘の頭を撫でました。
かつてこの箱は、世界の危機や、悲しい過去のログばかりを映し出していました。
でも今は、こんなにもキラキラしたガラクタで満たされています。
平和になった証拠ですね。
『報告します、マスター』
空中に小さなウィンドウが開き、ベータの少年アバターが顔を出しました。
彼は少し不満げな顔をしています。
『北の大陸の気温調整、および南の穀倉地帯への水配分、完了した。……ところで、私の本体(木箱)の中に「どんぐり」を入れるのはやめてもらえないか? 論理的に無意味だ』
「あら、ベータ。それはリナからのプレゼントですよ。感謝して受け取りなさい」
『……理解不能だ。だが、保存領域の0.0001パーセントを使用して保管する』
ベータは溜息をつきながらも、どこか嬉しそうです。
彼もアルファも、すっかりこの「エルロッド家」の一員として馴染んでいました。
世界の管理業務は彼らに任せ、私は最終的な承認印を押すだけ。
おかげで、こうして母親としての時間をたっぷりと楽しめています。
「ただいま! ヴィオラ、リナ!」
玄関の方から、弾んだ声が聞こえました。
バタバタという足音と共に、ルーカス様がリビングに飛び込んできます。
帝国の筆頭魔導師としての威厳はどこへやら、今の彼はただの親馬鹿なパパです。
「パパ―!」
「お帰りなさい、あなた。今日は早いのですね」
リナが駆け寄り、ルーカス様が高い高いをして抱き上げます。
彼は娘の頬にすりすりと顔を寄せ、それから私の方へ来て、額に優しいキスを落としました。
「会議をマッハで終わらせてきたよ。君たちに会いたくて、氷漬けにしそうになったくらいだ」
「まあ、物騒な」
私はクスクスと笑いました。
かつてゴミ屋敷の中で死にかけていた彼。
世界を拒絶し、自分の命すら軽く扱っていた彼。
そんな彼が今、こんなにも温かい表情で笑っています。
「ねえ、ヴィオラ。今度の休暇、またみんなで旅行に行かないか? 南の島なんてどうかな」
「いいですね。商会の視察も兼ねて……と言いたいところですが、今回は純粋に遊びましょうか」
「やった! リナ、海に行こうね!」
はしゃぐ二人を見ながら、私はふと、遠い昔のことを思い出しました。
オウェル城の冷たい石畳。
婚約破棄を告げられ、王子に罵倒された夜。
『君の荷物は邪魔だ。全て持って行け』
そう言われた時、私の心は絶望で空っぽでした。
あの時の私は、想像もしていなかったでしょう。
城から持ち出した家財道具なんかより、もっともっと素敵なものが、私の人生を埋め尽くすことになるなんて。
「……ヴィオラ? どうしたの?」
ルーカス様が心配そうに私を見つめました。
私は首を横に振り、満面の笑みで答えました。
「いいえ。ただ、在庫確認をしていただけです」
私は心の中で、私だけの「収納帳簿」を開きました。
そこには、これまで集めてきた数え切れないほどのアイテムや、思い出が記されています。
苦い過去も、戦いの記憶も、商売の記録も。
どれもが必要なデータでした。
そして今、そのリストの一番下、最新のページに、私は新しい一行を書き加えました。
『名称:愛する家族』
『数量:無限』
『状態:永久保存』
「さあ、お夕飯にしましょうか。今日はリナの好きなハンバーグですよ」
「わーい!」
幸せな喧騒に包まれながら、私は黒い木箱の蓋をそっと閉じました。
私の収納魔法は、もう世界を救うためでも、誰かと戦うためでもなく。
この温かな日常を守るために、これからも使われていくことでしょう。
本当に、いい人生の「拾い物」をしました。
あの夜、全ての荷物を持って城を出た私の選択は、間違いなく大正解だったのです。
(完)
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