第6話 氷の公爵の決断
私はドレスの裾が裂けるのも構わず、光の渦の中へ飛び込みました。
熱い。
いいえ、冷たい。
極限まで高まった魔力は、熱と冷却の境界すら曖昧にし、触れるものを分解しようとしています。
ルーカス様の体が、輪郭を失いかけていました。
「……っ、捕まえた!」
私は彼の襟首を、両手で力任せに掴みました。
そして、全体重をかけて後ろへと引き倒します。
ドサッ!
私たちはもつれ合うようにして、凍りついた床に転がりました。
光の渦が霧散し、元の静寂が戻ります。
「……う、あ……?」
ルーカス様が呆然と私を見上げました。
その瞳から、決死の覚悟の色が消え、ただただ驚愕に揺れています。
「ヴィオラ……? どうして……放っておけば、世界は……」
「黙りなさい!」
パァン!
乾いた音が、広い制御室に響き渡りました。
私の掌がジンジンと痺れています。
叩かれたルーカス様の頬が、見る見るうちに赤く腫れ上がっていきました。
「……え?」
彼は目を丸くし、自分の頬に手を当てました。
叩かれたことへの痛みよりも、私が彼に暴力を振るったという事実が信じられないようでした。
「私がいつ、あなたを『消費材』として計上しましたか!」
私は涙も拭わずに叫びました。
怒りで体が震えます。
こんなに腹が立ったのは生まれて初めてです。
「世界を救う? 私の夢を叶える? ふざけないでください! あなたがいない世界で、私がどうやって笑えばいいのですか!」
「でも、ヴィオラ……君は言ったじゃないか。世界を整理整頓したいって。在庫切れを許さないって」
ルーカス様は、まだわかっていません。
子供のように無垢な目で、私を見つめ返してきます。
「僕の命一つで、君の願いが叶うなら安いものだよ。僕は君に拾われた命だ。君のために使い潰されるなら本望だ」
「それが! その考え方が間違っていると言っているのです!」
私は彼の胸倉を掴み、さらに揺さぶりました。
「あなたは道具ではありません! 私の夫です! パートナーです! それとも何ですか、私はあなたにとって、便利な使い捨てカイロの管理者でしかなかったのですか!?」
「ち、違う! そんなつもりじゃ……」
「なら、二度と『死ぬ』なんて言わないでください! それは契約違反です!」
私は息を切らし、彼を睨みつけました。
私の剣幕に押され、ルーカス様は小さくなっていました。
最強の魔導師が、ただの小柄な人間に叱られて縮こまっている。
滑稽ですが、愛おしい姿です。
「……契約、違反?」
「ええ。結婚式の誓いを忘れましたか? 『共に歩んでいく』と誓ったはずです。私を置いて一人で勝手に完結するなんて、重大な背任行為です」
私は彼の手を取り、自分の頬に当てました。
冷え切っていた彼の手が、私の体温で少しずつ温まっていくのを感じます。
「私の収納には、あなたのためのスペースが一番大きく取ってあるんです。勝手に出て行こうとしないでください」
「ヴィオラ……」
ルーカス様の瞳から、涙が溢れ出しました。
彼は震える声で、私の名前を呼びました。
「ごめん。……ごめん、ヴィオラ。怖かったんだ」
彼は私にしがみつき、子供のように泣きじゃくりました。
「君が悲しむ顔を見たくなかった。君の望みを叶えられない自分が許せなかった。だから……」
「馬鹿な人」
私は彼を強く抱きしめました。
この人は、強いくせに脆い。
私がいないと、すぐに自分の価値を見失ってしまう。
だからこそ、私が管理してあげなければならないのです。
一生かけて。
「約束してください。どんな時も、二人で解決すると。私を信じて、私の隣にいると」
「……うん。約束する。もう二度と、君の手を離さない」
私たちは冷たい床の上で、互いの体温を確かめ合うように抱き合いました。
ベータのアバターが、気まずそうに明滅しています。
『……痴話喧嘩は終わったか? 言いにくいが、状況は何も変わっていないぞ』
ベータの冷静なツッコミで、現実に引き戻されました。
そうです。
魔力炉は凍りついたまま。
熱量は圧倒的に足りていません。
「わかっていますよ」
私は立ち上がり、服の汚れを払いました。
ルーカス様も立ち上がり、今度はしっかりと私の隣に並びました。
その顔には、もう迷いはありません。
「ヴィオラ。僕の命を使わないなら、どうするんだい? 僕たちの手持ちの在庫じゃ、蝋燭の火にもならないよ」
「ええ。ここにあるものでは無理です」
私は「黒い木箱」を取り出し、世界地図を表示させました。
北の大陸は真っ赤な警告色に染まっています。
ここには熱がない。
寒いだけです。
「ないなら、ある場所から持ってくればいいのです」
私は地図をスクロールさせました。
北の対極。
赤道付近に広がる、広大な砂漠地帯。
そこには、一年中降り注ぐ太陽と、煮えたぎるような熱気があります。
「……え?」
ルーカス様とベータが同時に声を上げました。
「物流の基本です。余っているところから、足りないところへ。世界規模で融通すればいい」
私はニヤリと笑いました。
かつて地下迷宮で、水を運んだ時の応用です。
あの時は液体でしたが、今回は気体。
やることは同じです。
「南の砂漠の『熱気』を、根こそぎ収納して持ってきます。太陽一個分くらいの熱量なら、あそこには無限にありますから」
『馬鹿な……。惑星の反対側だぞ? それに、熱エネルギーそのものを転送するなど……』
「やりますよ。私はインベントリ・マスターですから」
私は箱を高く掲げました。
無茶苦茶な作戦です。
でも、誰も犠牲にせず、世界を救うにはこれしかありません。
「ルーカス様、手伝ってください。世界中と繋がるための、特大の通信路を開きます」
「……ふふ、あはは!」
ルーカス様が吹き出しました。
そして、最高に楽しそうな笑顔を見せました。
「了解だ、僕の女神様。君のデタラメな大掃除に、最後まで付き合うよ」




