第5話 凍りついた心臓部
凍りついた扉を蹴破るようにして、私たちは最上階の制御室へと飛び込みました。
「はぁ、はぁ……っ!」
息が切れます。
疲労からではありません。
空気が、あまりにも薄く、そして冷たいからです。
吐いた息が一瞬で氷の粒になって床に落ちるほどの、絶対零度の世界。
「ここが……心臓部……」
私は寒さに震えながら、顔を上げました。
広大なドーム状の空間の中央に、それはありました。
見上げるほど巨大な球体。
無数のパイプとケーブルが接続された、世界の魔力炉。
本来なら、赤々と燃え盛り、世界中に温かいマナを送り出しているはずの場所です。
しかし今、それは青白く死に絶えていました。
表面は分厚い氷に覆われ、パイプの中まで凍結しています。
静寂。
圧倒的な死の沈黙が、そこにはありました。
『……深刻な状況だ』
遅れて到着したベータのアバターが、悲痛な声を上げました。
彼はホログラムですが、その表情は悔しさに歪んでいます。
『私の計算ミスだ。人間の排除にリソースを割きすぎた結果、炉の保温機能が低下し……臨界点を割ってしまった』
「言い訳は後です!」
私は叫びました。
叱責している場合ではありません。
今この瞬間も、炉の温度は下がり続けています。
完全に「死んで」しまえば、もう二度と火は灯りません。
「再起動の方法は!? 手順を教えなさい!」
『理論上は可能だ。だが、着火に必要な初期エネルギーが足りない』
ベータが空中にウィンドウを展開しました。
赤いグラフが、絶望的な数値を叩き出しています。
『凍結深度、レベル9。これを融解し、再臨界させるには……外部から「太陽」に匹敵する熱量を瞬時に投入する必要がある』
「太陽……?」
私は耳を疑いました。
焚き火レベルの話ではありません。
国家の全電力を一瞬で消費するような、桁外れのエネルギーが必要です。
「計算します」
私は震える手でポシェットを握りしめ、「収納」の在庫リストを展開しました。
私の武器は物量です。
ありったけの可燃物を燃やせば、あるいは。
「検索。カテゴリ『燃料』『可燃物』『爆発物』……」
脳内で高速計算を行います。
帝都から持ち込んだ最高級の薪。
商会で扱っているランプ用の油。
新婚旅行で買い込んだ度数の高い酒。
地下迷宮で回収したゴーレムの動力石。
それら全てを同時に燃やした場合の総熱量を弾き出します。
カタカタカタ……ッ。
脳内の計算機が、冷酷な答えを出しました。
『不足』。
「……足りない」
私は愕然としました。
足りないどころの話ではありません。
私の持っている全ての在庫を投入しても、必要な熱量の1パーセントにも満たないのです。
氷の表面を少し溶かして終わりです。
「嘘……そんな……」
初めて、背筋が凍るような恐怖を感じました。
オウェル城を追い出された時も、ガストンに店を荒らされた時も、地下でバグに襲われた時も、私は常に「解決策」を持っていました。
整理し、管理し、配置すれば、問題は解決すると信じていました。
でも、今は違います。
物理的に、物が足りない。
無い袖は振れない。
管理者のスキルなど、圧倒的なエネルギー不足の前では無力です。
「ヴィオラ」
立ち尽くす私の肩に、温かい手が置かれました。
ルーカス様です。
彼は私の顔を覗き込み、困ったように、けれど優しく微笑んでいました。
「計算、終わった?」
「……はい。足りません。何もかも、全然足りないんです」
私は泣きそうな声で答えました。
私の敗北です。
世界を救うなんて大口を叩いて、結局は準備不足の商人でしかなかったのです。
「そっか。やっぱり、君の計算は正確だね」
ルーカス様は納得したように頷き、私から手を離しました。
そして、ゆっくりと魔力炉の方へと歩き出しました。
「ルーカス様?」
「大丈夫だよ、ヴィオラ。在庫なら、ここにある」
彼は魔力炉の前で立ち止まりました。
そして、愛用していた杖を、カランと音を立てて床に置きました。
まるで、もう必要ないと言うように。
「君は知らないかもしれないけれど、氷の魔導師というのはね、熱を奪うだけじゃないんだ」
彼は振り返り、私を見つめました。
その瞳は、凍りついた炉よりも澄んだ、美しいアイスブルーでした。
「奪った熱を、自分の内側に溜め込んでいる。……僕の命そのものを燃料(薪)にすれば、炉を溶かすくらいの熱は生み出せる」
「……は?」
思考が停止しました。
何を言っているのですか、この人は。
『待て。それは「魔力回路の逆流」を意味する。術者の肉体は崩壊し、魂ごと燃え尽きるぞ』
ベータが警告しました。
そうです。それは自殺行為です。
自己犠牲なんて綺麗な言葉で済ませられるものではありません。
「かまわないよ。元々、僕の命はヴィオラに拾われたものだ」
ルーカス様は、穏やかな声で言いました。
「君が世界を救いたいと願うなら、僕がそのための火になろう。君の整理整頓の邪魔をする氷は、僕が全部溶かしてあげる」
「やめ……」
「ヴィオラ。愛してる」
彼は両手を広げました。
全身から、眩いばかりの青白い光が溢れ出します。
それは冷気ではありません。
極限まで圧縮された、純粋な魔力の奔流。
彼の体が、光に溶けていくように見えました。
「やめてぇぇぇぇぇッ!」
私は叫びました。
計算なんてどうでもいい。
世界なんてどうでもいい。
私の「一番大切なもの」が、今まさに消費されようとしているのです。
「僕の全魔力を燃やせば、種火にはなる」
彼は最期にそう言い残し、光の渦となって魔力炉へと飛び込もうとしました。




