第2話 白い荒野の迷子たち
ゴウゴウと唸る風の音が、世界の全てを塗りつぶしていました。
港を出発して数日。
私たちは、メインサーバーである「極光の塔」を目指して雪原を進んでいました。
しかし、塔に近づくにつれて吹雪は勢いを増し、今や視界は数メートル先も見えないホワイトアウト状態です。
「……ひどい天気ですね」
私はルーカス様の背中にしがみつきながら、ゴーグルの曇りを拭いました。
私たちは今、収納から取り出した雪上車――ではなく、ソリに乗っています。
動力は、もちろんルーカス様の魔法と、アルファのスラスター推力です。
「ヴィオラ、大丈夫かい? 寒くない?」
前方を風除けの魔法で切り裂きながら、ルーカス様が心配そうに声をかけてくれます。
「平気です。あなたの作ってくれた結界の中は、春のように暖かいですから」
私は強がって見せましたが、実際、この結界の外はマイナス数十度の極寒地獄です。
生身の人間が歩けば、数分で凍りつくでしょう。
『マスター。前方三時方向に生体反応を検知』
ソリの横を並走していたアルファが、警告音と共に報告しました。
彼女のカメラアイが、吹雪の向こう側を捉えています。
『生命徴候、微弱。このまま放置すれば、あと十分で凍死します』
「人ですか? こんな場所で?」
私は目を凝らしました。
白い闇の中に、うっすらと黒い影が数点、うずくまっているのが見えました。
動いていません。
雪に埋もれかけています。
「ルーカス様、止めてください! 遭難者です!」
「わかった!」
ルーカス様がソリを急停止させました。
私たちは雪の中に飛び出し、影の元へと駆け寄りました。
そこには、分厚い毛皮を纏った五、六人の集団が、互いに身を寄せ合うようにして倒れていました。
近くには荷物を積んだ獣も倒れています。
現地の遊牧民でしょうか。
厳しい寒さに耐えかね、力尽きてしまったようです。
「しっかりしてください!」
私は一番近くにいた小柄な人物――子供でしょうか――を抱き起こしました。
顔色は土気色で、唇は紫になっています。
意識はありません。
「アルファ、テントを! ルーカス様は周囲の風を遮断して!」
私は即座に指示を飛ばしました。
アルファが収納から展開式のドームテントを取り出し、一瞬で設営します。
ルーカス様が氷壁を作り、猛烈な風雪をシャットアウトしました。
私たちは遭難者たちをテントの中へ運び込みました。
中は風がない分マシですが、それでも気温は低いままです。
「火を焚きますか?」
レオンが魔道具のコンロを取り出そうとしましたが、私は首を横に振りました。
「急激に温めるとショック症状を起こします。まずは内側から、じんわりと体温を戻さなければ」
私はポシェットから「商品」を取り出しました。
帝都で大量に仕入れてきた、商会自慢の新製品。
「携帯用発熱魔石」です。
魔力を込めるだけで、適度な熱を長時間発し続ける優れものです。
私は魔石を起動し、布に包んで彼らの懐や背中に入れました。
さらに、人肌程度の温度に温めたスープを、少しずつ口に含ませます。
「……う、ぅ……」
数分後。
私が抱えていた子供が、微かに呻き声を上げました。
ゆっくりと目を開けます。
その瞳は、深い森のような緑色をしていました。
「気がつきましたか? 大丈夫、もう安全ですよ」
私は優しく語りかけました。
しかし、子供は私を見るなり、怯えたように何かを叫びました。
「&%$#! @*+&%!」
聞き取れない言語です。
北の大陸独自の言葉でしょうか。
彼らは身を寄せ合い、私たちを警戒するように睨んでいます。
無理もありません。
見ず知らずの他所者に囲まれているのですから。
「言葉が通じねぇな。どうする、姉御」
レオンが困ったように頭をかきました。
言葉が通じなければ、事情を聞くことも、安心させることもできません。
ですが、私には「管理者」としてのツールがあります。
「問題ありません。文明があるなら、言語データもシステムにあるはずです」
私は「黒い木箱」を取り出しました。
箱の表面を指でなぞり、翻訳アプリを起動します。
『言語解析モード、起動。……ローカル言語「北方部族語」と照合完了』
箱から機械的な音声が響き、続いて柔らかな光が周囲を包みました。
これは簡易的な翻訳フィールドです。
この光の中では、意志の疎通が可能になります。
「……あー、あー。聞こえますか?」
私が話しかけると、子供が驚いたように目を見開きました。
「……聞こえる。お姉ちゃん、私たちの言葉がわかるの?」
「ええ。魔法の道具を使っていますから」
私はニッコリと微笑みました。
子供の警戒心が少し解けたようです。
隣にいた年配の女性――族長らしき人――が、深い皺の刻まれた顔を上げました。
「旅のお方……あなた方が助けてくださったのですか?」
「通りすがりです。放ってはおけませんでしたから」
私は彼女に、温かいスープの入ったカップを手渡しました。
彼女は震える手でそれを受け取り、一口飲むと、安堵のため息をつきました。
「ありがとうございます。私たちは『雪渡り』の民。季節に合わせて移動して暮らしていますが……今年の冬は異常です」
彼女はテントの外、吹き荒れる吹雪の方角を見つめました。
「いつまで経っても春が来ない。獲物は減り、寒さは厳しくなる一方。ついに移動中に力尽きかけてしまいました」
「やはり、異常気象なのですね」
「ええ。これは『塔の主』のお怒りです」
族長は声を潜め、恐ろしげに言いました。
「塔の主?」
「はい。あそこには、古くからこの地を守る神が住んでいると言われています。ですが最近、神は人間を拒絶し、永遠の冬で地上を閉ざそうとしているのです」
神の怒り。
永遠の冬。
現地の人々にとっては、そう解釈するしかない現象なのでしょう。
ですが、私にはその「正体」がわかります。
それは神の怒りではなく、システムのエラー。
あるいは、管理を任されたAIの暴走です。
「人間を拒絶している……ですか」
私は顎に手を当てて考えました。
なぜ、管理システムが人間を拒絶するのでしょうか。
本来、人々の生活を支えるための物流システムであるはずなのに。
「怒らせるようなことを、人間がしたのでしょうか」
「わかりません。ただ、昔から言い伝えられています。『欲深き者が近づけば、白き災いが降り注ぐ』と」
欲深き者。
資源を浪費し、循環を乱す存在。
もし今のシステム管理者が、人間を「害悪」と判断しているとしたら……。
交渉は一筋縄ではいかないかもしれません。
「教えていただき、ありがとうございます。おかげで状況が整理できました」
私は立ち上がりました。
遭難者たちの顔色もだいぶ良くなっています。
スープとカイロのおかげでしょう。
「このテントと食料、それにヒーターは差し上げます。ここから少し南へ行けば、私たちが開いた市場があります。そこへ行けば助かるはずです」
「な、なんと……! こんな貴重なものを……」
族長が涙ぐんで私を拝もうとしました。
私は慌てて止めました。
「商売の宣伝みたいなものです。元気になったら、ぜひ市場で買い物してくださいね」
私たちは彼らに別れを告げ、再びソリに乗り込みました。
彼らが見送ってくれる中、私たちはさらに北へ、塔へと向かいます。
しばらく進むと、唐突に風が止みました。
厚い雲が割れ、薄日が差し込みます。
目の前に、その巨大な建造物が姿を現しました。
「……あれが」
雪山の中にそびえ立つ、黒い巨塔。
雲を突き抜ける高さと、有機的な曲線を持つその姿は、明らかにこの時代の建築物ではありません。
古代文明の遺産。
北の大陸の心臓部、「極光の塔」。
しかし、その入り口付近には、禍々しいほどの赤い光が明滅していました。
『警告。コード・レッド。全周拒絶領域、展開中』
アルファが緊張した声で告げました。
『あの光は、進入禁止のサインではありません。「接近する者は全て排除する」という、明確な殺意のシグナルです』
「歓迎されていないようですね」
私は唇を噛みました。
遊牧民の言葉が蘇ります。
塔の主は怒っている。
ただのエラーではなく、意志を持って冬を続けている。
「行きましょう。怒っているなら、話を聞いてあげなくては」
「そうだね。僕が扉をこじ開けるよ」
ルーカス様が杖を握り締めました。
私たちは「拒絶」の光に照らされた雪原を、真っ直ぐに進んでいきました。
凍りついた扉の向こうに待つ、頑固な管理者に会うために。




