第8話 システムを食らう「バグ」
ザックが裂帛の気合いと共にツルハシを振り下ろしました。
ヒュンッ。
金属の先端は黒いモヤを何の手応えもなくすり抜け、虚しく床を叩きました。
カアンッ、と乾いた音が広間に響きます。
「なっ!? スカしやがった!」
ザックが体勢を崩した隙を狙い、黒い影から粘着質の触手が伸びました。
鞭のようにしなり、彼の足を狙います。
「氷槍!」
ルーカス様が横から魔法を放ちました。
鋭い氷の槍が触手を貫き、床に縫い止めます。
しかし、それも一瞬のことでした。
ジュワァ……。
氷が黒いシミのように変色し、瞬く間に溶かされてしまいました。
いえ、溶けたのではありません。
「無かったこと」にされたかのように、データが欠損していくような消え方です。
「物理攻撃も魔法も効かないのか……?」
ルーカス様が珍しく焦りの表情を見せました。
黒いモヤは不気味に膨張し、広場全体を飲み込もうとしています。
その中心にある無数の赤い目が、私たちを嘲笑うように明滅していました。
『警告。対象は「論理的不整合」。物理干渉無効』
アルファがスラスターで宙を舞いながら叫びます。
『この空間の定義データを書き換えています。接触すれば、当機たちの存在データも破損します!』
「存在データが破損……つまり、消されるということですか?」
私は扇を構えながら、冷静に敵を観察しました。
生き物のように見えますが、確かに実体感がありません。
輪郭がノイズのようにブレていて、見ているだけで頭痛がします。
あれは、かつてオウェル城で私が整理した書類の山や、地下通路を塞いでいた瓦礫とは違います。
「散らかっている」のではなく、「壊れている」。
システムにとって有害な、排除すべきエラーそのものです。
「クソッ、どうすりゃいいんだ! 斬っても焼いてもダメなら手詰まりだぞ!」
ザックが後退りしながら叫びました。
黒い波が迫ります。
このままでは、私たちもあのモヤの一部にされてしまうでしょう。
「……いいえ、手はあります」
私は一歩前に出ました。
ポシェットの中の「黒い木箱」を握りしめます。
箱は熱く脈打ち、私に訴えかけていました。
『管理者権限を行使せよ』と。
「ヴィオラ、危ない!」
「大丈夫です、ルーカス様。あれは敵ではありません」
私は箱を高く掲げました。
「あれはただの『不要なデータ』です。整理整頓のルールに従い、処分します」
私は箱に魔力を注ぎ込みました。
青白い光が広がり、私の視界にデジタルのグリッド線のようなものが重なります。
黒いモヤが、赤い警告色でマーキングされました。
『対象選択:論理エラー集合体』
脳内にウィンドウが開きます。
普段、物を出し入れする時に使う「収納」コマンドとは違う、新しいメニューが表示されていました。
『操作を選択してください: 移動 / 削除』
削除。
その二文字が、強く輝いて見えました。
物を大切にする私は、普段なら選ばない選択肢です。
けれど、これはリサイクル不可能です。
「対象を『ゴミ箱』へ移動。……完全消去」
私は冷徹に宣言し、箱を振り下ろしました。
ブォン!
空間そのものが震えました。
黒いモヤの中心に、光の渦が発生します。
それは掃除機の吸引口のように、周囲の闇を強引に吸い込み始めました。
「ギ、ギギギ……ガァァァァッ!」
モヤが断末魔のようなノイズ音を上げます。
必死に床にしがみつこうとしますが、管理者権限という絶対的なルールには逆らえません。
触手が、赤い目が、ドロドロとした本体が、次々と光の渦に飲み込まれ、分解されていきます。
「うおぉ……吸い込まれていく……」
ザックが呆然と見守る中、わずか数秒で、広場を埋め尽くしていた闇は消滅しました。
後に残ったのは、何もなかったかのように綺麗な床だけ。
『処理完了。対象データの完全消去を確認』
アルファが着地し、安堵の電子音を漏らしました。
「……ふぅ。片付きましたね」
私は箱をポシェットにしまいました。
少しだけ、手が震えていました。
「収納」とは違う、「消去」という行為。
それは、存在そのものを世界から消し去る力です。
あまりに強大で、恐ろしい力。
「ヴィオラ」
ルーカス様がそっと私の手を包み込んでくれました。
彼の温かさに、震えが止まります。
「怖かったかい?」
「……少しだけ。でも、必要なことでしたから」
「君が守ってくれたんだ。ありがとう」
彼の笑顔に救われました。
そうです。これは守るための力です。
使い道を誤らなければ、きっと世界を綺麗にできるはず。
『マスター。解析結果が出ました』
アルファが空中に小さなウィンドウを投影しました。
『今のバグの発生源ですが、外部からの不正な魔力干渉が原因と推測されます。地上から、この地下システムに負荷をかけるような「魔力の乱れ」が流れ込んでいます』
「地上から?」
私は眉をひそめました。
帝都の上で、何か起きているのでしょうか。
それとも、もっと遠く――例えば、かつて古老が言っていた「星から来た力」と関係があるのでしょうか。
謎は深まるばかりです。
ですが、答えはこの先にあります。
私たちは顔を上げました。
広場の最奥。
そこに、巨大で厳重な扉がそびえ立っていました。
中央制御室。
この地下迷宮の心臓部であり、すべての真実が眠る場所。
扉には、私の持つ箱と同じ、複雑な幾何学模様が刻まれています。
「行きましょう。最後の鍵を開ける時です」
私はルーカス様の手を離し、扉の前へと歩み出しました。
その背中に、迷いはもうありませんでした。




