第7話 浮遊する回廊と古代の物流網
重力という概念が、ここでは休暇を取っているようです。
開いた扉の先へ一歩踏み出した瞬間、私の体はふわりと宙に浮きました。
落ちるのではありません。
まるで水の中にいるように、空間そのものに支えられている感覚です。
「うわぁっ!? なんだこれ!?」
レオンが手足をバタつかせて叫びました。
ザックも上下逆さまになりながら、必死にカバンの紐を掴んでいます。
「落ち着いて。ここは無重力エリアみたいだよ」
ルーカス様だけは冷静でした。
彼は飛行魔法の要領で姿勢を制御し、私の手を取って引き寄せてくれました。
ドレスの裾がふわりと広がり、まるで海月のようです。
「……壮観ですね」
私はルーカス様の腕に掴まりながら、周囲を見渡しました。
そこは、底の見えない巨大な縦穴でした。
青白い光が蛍のように舞う空間に、無数の「透明なチューブ」が張り巡らされています。
チューブは複雑に交差し、遥か上層から深淵へと続いていました。
まるで、巨大な生物の血管か、あるいは精緻なガラス細工のようです。
『案内します、マスター』
アルファが背中のスラスターを噴射し、優雅に飛んできました。
無重力下での彼女の動きは、水を得た魚のようです。
『ここは中央搬送シャフト。この透明なパイプラインこそが、かつて星中の物資を運んでいた大動脈「リニア・チューブ」です』
「この中を、荷物が通っていたのですね」
『はい。空気圧と磁力により、音速に近い速度で輸送していました。現在は停止中ですが、メンテナンス用通路として人が移動することは可能です』
音速で移動する物流網。
なんと魅力的な響きでしょうか。
地上の馬車輸送が、急に色あせて見えます。
「行きましょう。制御室はこの底にあるのですね?」
『肯定します。チューブに入れば、誘導気流に乗って最深部までショートカットできます』
アルファが手近なチューブのハッチを開けました。
プシュッ、と空気の抜ける音がします。
私たちは恐る恐る、透明な管の中へと滑り込みました。
中は大人が三人ほど並んで通れる広さです。
足をつけると、微かな風の流れを感じました。
「行きますよ」
私が合図すると、風が強まりました。
次の瞬間。
ヒュンッ!
「うおぉぉぉぉぉ!?」
レオンとザックの悲鳴が重なりました。
私たちは見えない力に背中を押され、猛スピードでチューブの中を滑り落ちていきました。
落ちているというより、滑空しています。
目の前の景色が高速で後方へと流れていきます。
「きゃあ……っ!」
最初は驚きましたが、すぐに恐怖は消え、高揚感に変わりました。
透明な壁の向こうには、青く輝く遺跡の全貌が見えます。
まるで遊園地の絶叫マシーンです。
いえ、それ以上に美しい。
「楽しいかい、ヴィオラ?」
隣を流れるルーカス様が、風の中で微笑みかけてきました。
「ええ、最高です! なんて効率的で、無駄のない移動手段なんでしょう!」
私は目を輝かせました。
これほどの技術が、今は失われているなんて。
もし地上で再現できれば、隣国への支援物資も一瞬で届けられるのに。
「もったいないですね。このシステム、絶対に再稼働させましょう」
「君ならやりそうだね。世界中にチューブを張り巡らせて」
私たちは笑い合いました。
古代の物流への感動と、未来への希望。
この滑空がずっと続けばいいのにとさえ思いました。
しかし。
快適な空の旅は、不穏な影によって遮られました。
『警告。前方に異常反応』
先頭を行くアルファの声が鋭くなりました。
彼女が指差す先、チューブの分岐点付近に、何か黒いものがへばりついています。
「……汚れ?」
最初は煤かカビかと思いました。
ですが、近づくにつれて違和感が強まります。
それは、チューブの外側ではなく、内側を侵食していました。
黒いモヤのようなものが、空間を蝕むように脈打っています。
『データ破損を確認。物理的な障害物ではありません。論理的な「バグ」が実体化しています』
「バグが実体化?」
アルファの言葉を理解する間もなく、私たちはその黒い領域へと突っ込んでいきました。
避けられません。
速度が出すぎています。
「構えて!」
ルーカス様が叫び、氷の障壁を展開しました。
ズズズッ……!
私たちが黒いモヤを通過した瞬間、耳障りなノイズ音が頭の中に響きました。
まるで、黒板を爪で引っ掻いたような不快な音。
そして、チューブの透明な壁が、黒く濁ってひび割れ始めました。
「な、なんだこれ!? 生き物か!?」
ザックがツルハシを構えます。
黒いモヤは私たちの通過に合わせて形を変え、粘着質な触手のように伸びてきました。
『回避不能。接触します!』
ドンッ!
衝撃と共に、私たちはチューブの出口から放り出されました。
無重力の広場に、全員が転がり出ます。
「いっ……」
私はすぐに体勢を立て直しました。
背後を振り返ると、チューブから溢れ出した黒いモヤが、広場の床に広がり、一つの巨大な影を形成しようとしていました。
不定形で、ドロドロとした闇の塊。
そこから、無数の赤い目がギョロリと開き、私たちを見据えました。
「……あれは、ゴミではありませんね」
私は扇を構え、冷や汗を拭いました。
あれは、システムそのものを食い荒らす、悪性のウイルス。
排除すべき「最悪の汚れ」です。
「グルルルル……」
黒い影が、飢えた獣のような咆哮を上げ、私たちに襲いかかろうとしていました。




