第4話 孤独な管理ロボット「アルファ」
私は足を止め、その光景に息を呑みました。
そこは、これまでの瓦礫の山が嘘のように、鏡面のように磨き上げられた回廊でした。
天井の照明が床に反射し、眩しいほどの輝きを放っています。
塵一つ、埃一つ落ちていません。
「……美しい」
思わず感嘆の声が漏れました。
私の理想とする「完璧な清掃」が、ここに具現化されていたからです。
「おいおい嬢ちゃん、正気かよ」
背後でザックが青ざめた顔で震えています。
彼は武器を構え、回廊の中央を指差しました。
「あれを見ろよ。あれが『掃除の悪魔』だ」
指差す先には、一体の人形がいました。
金属製のボディに、メイド服を模した装甲をまとった少女型オートマタ。
塗装はあちこち剥げ、関節からは油が滲んでいますが、彼女の動きに淀みはありません。
シュッ、シュッ。
彼女は両手に持ったモップで、床を高速で磨き続けていました。
人間には不可能な速度と精密さです。
数百年、あるいは数千年の間、たった一人でこの広大な回廊を磨き続けてきたのでしょう。
「すごい……」
「感心してる場合じゃねぇ! あいつは侵入者を見つけると……」
ザックの言葉が終わるより早く、人形の首がギギギと回転し、こちらを向きました。
カメラアイが赤く明滅します。
『警告。清掃エリア内に、有機生命体反応を確認』
無機質な合成音声が響きました。
『対象を「頑固な汚れ」と認定。直ちに洗浄、および殺菌処理を開始します』
「ほら来た! 俺たちを汚れ扱いだ!」
ザックが叫ぶと同時に、人形が地面を蹴りました。
速い。
彼女のモップの先端から、高圧洗浄の水流が刃のように噴き出します。
「ヴィオラ!」
ルーカス様が私の前に立ち、氷の盾を展開しました。
バシュッ!
水流が氷を削り取ります。
「……殺菌モードか。厄介だな」
ルーカス様が杖を構えました。
反撃の構えです。
「いけません、ルーカス様!」
私は彼の前に飛び出し、両手を広げました。
「彼女を壊さないでください。彼女はただ、職務に忠実なだけです」
「でも、このままじゃ僕たちが洗浄されちゃうよ?」
「いいえ。掃除人には掃除人の流儀があります」
私は収納魔法を展開しました。
取り出したのは、武器ではありません。
帝都の職人に特注で作らせた、私の愛用品。「最高級羊毛モップ」です。
そして、床用ワックスの缶。
「対話は、言葉でするものではありません」
私は人形に向かって走り出しました。
彼女がモップを振り上げます。
その軌道を読み切り、私は床を滑るように身をかわしました。
そして、すれ違いざまに、床の一点を自分のモップで拭き上げました。
キュッ。
「……!」
人形がピタリと止まりました。
彼女のカメラアイが、私が磨いた床の一点をズームします。
そこは、彼女が長年の摩耗で落としきれていなかった、微細な傷汚れがあった場所。
私がワックスで埋め、完璧に修復したのです。
『解析。……修復率、100パーセント』
人形が困惑したように首を傾げました。
「どうですか。あなたの清掃は見事ですが、メンテナンス不足で仕上げが甘いようですね」
私はふふんと胸を張りました。
彼女は敵ではありません。
同じ「綺麗好き」の同志です。
『当機の……性能不足……?』
人形は自身のボロボロのモップと、私の新品のモップを見比べました。
そして、ガクガクと震え始めました。
『エラー。業務遂行に支障あり。自己修復不能。……悲しい』
機械音声のはずなのに、そこには明確な感情の色がありました。
ずっと一人で、壊れかけの体で、この場所を守り続けてきた孤独。
それが痛いほど伝わってきます。
私はゆっくりと彼女に歩み寄りました。
ザックが「よせ!」と叫びますが、無視します。
「頑張りましたね。もう、一人で背負わなくていいんですよ」
私は彼女の目の前に立ち、ポシェットからあの「黒い木箱」を取り出しました。
かつて古老が伝説と呼び、審問会で真実を照らした古代の遺産。
それが今、青白く優しい光を放っています。
『……!』
人形が箱を見て、凍りついたように動きを止めました。
彼女のカメラアイが激しく点滅します。
『認証コード……確認。それは、マスターの……』
彼女はガシャンと膝をつき、モップを床に置きました。
そして、震える手で箱に触れようとし、汚れた自分の手を見て引っ込めました。
「いいのです。触れても」
私が箱を差し出すと、彼女は恐る恐る指先を触れさせました。
瞬間、箱から光の波紋が広がり、彼女のシステムに干渉します。
『管理者権限、承認。……および、新規管理者として登録』
機械的なアナウンスの後、彼女の目の光が赤から穏やかな青へと変わりました。
『ようこそお越しくださいました。新たなマスター』
彼女は深々と頭を下げました。
その仕草は、完璧なメイドの礼儀作法そのものでした。
『当機は管理ユニット・アルファ。長きにわたり、このフロアの保全を担当しておりました』
「ヴィオラです。楽にしてください、アルファ」
私は彼女の手を取り、立たせました。
近くで見ると、彼女の装甲は傷だらけで、あちこち錆びついています。
「まずは、あなたのメンテナンスから始めましょうか。汚れた掃除用具では、良い仕事はできませんから」
『……感謝、いたします』
アルファの声が、少し潤んでいるように聞こえました。
「おいおい、嘘だろ……」
ザックが腰を抜かして座り込んでいます。
ルーカス様は、やれやれと肩をすくめました。
「やっぱり、ヴィオラには敵わないね」
こうして、孤独な管理ロボットは、私たちの頼もしい仲間となりました。
彼女の案内があれば、この複雑な迷宮も怖くありません。
「ご案内します、マスター」
アルファが先導し、私たちはさらに奥へと進みます。
その背中は、先ほどまでの殺伐とした空気を脱ぎ捨て、どこか誇らしげに見えました。




