第7話 ロジスティクス・オブ・ライフ
私は馬車のタラップを降り、乾いた大地に革靴の足跡を刻みました。
目の前に広がるのは、悲惨という言葉では足りない光景でした。
干上がった井戸。
骨と皮だけになった家畜。
そして、泥水でも啜ろうと地面に這いつくばる人々。
「遅かったわね、エルロッド商会」
先に到着していたエリーゼ皇女が、砂埃に塗れたドレスも気にせず歩み寄ってきました。
その表情は険しく、苛立ちを隠していません。
「状況は最悪よ。水がないせいで暴動寸前。わたくしが連れてきた騎士団でなんとか抑えているけれど、限界も近いわ」
「ご安心ください、殿下。水なら持ってきました。まずは『器』からですね」
私は「収納」を展開しました。
ズドン、と重い音を立てて、広場に「巨大な貯水タンク」が出現します。
これは出発前に、私が帝都の酒造所から、醸造用の大樽を言い値で買い上げてきたものです。
「放出」
ドババババッ!
私の手先から、清冽な水が奔流となって噴き出しました。
帝都近郊の豊かな水源から汲んできた、冷たく澄んだ水です。
巨大なタンクがあっという間に満水になり、私はそこで放出を止めました。
もちろん、タンク一杯分が減ったところで、収納内にはまだたっぷりと在庫がありますが、まずはこれで十分でしょう。
「み、水だ!」
「神様、ありがとうございます!」
村人たちが歓声を上げて殺到しようとしました。
我先にと桶を持った手が伸び、押し合いへし合いになります。
子供が突き飛ばされそうになるのが見えました。
「止まりなさい!」
私は扇を打ち鳴らし、大声を張り上げました。
水を出すより大きな声だったかもしれません。
「今すぐ列を作りなさい! 水は逃げません! 奪い合えばこぼれて無駄になるだけです!」
一瞬、場が静まり返りました。
私はすかさずルーカス様に目配せをしました。
「ルーカス様、氷の壁で動線を作ってください。入り口と出口を分けて、一方通行にします」
「了解」
ルーカス様が杖を振ると、透明な氷の柵が出現し、広場に綺麗な蛇行ルートが出来上がりました。
「あなたたちは、あそこの倉庫の中身をすべて出しなさい。私が整理します」
私は呆然としている騎士たちにも指示を飛ばしました。
ただ物を配るだけでは、弱い者が搾取され、すぐに枯渇します。
必要なのは「公平な分配システム」です。
私は村の食料庫に入りました。
中はカオスでした。
腐りかけの穀物と新品の支援物資が混ざり合い、何がどこにあるのかも不明。
「収納、ソーティング」
一瞬です。
腐敗物は廃棄。
穀物は種類ごとに分類。
足りない分は、私の収納から「新婚旅行で仕入れた大量の食材」を放出。
そして、家族構成に応じた配給チケットを即席で発行しました。
「さあ、この券を持って並んでください。妊婦と病人は優先レーンへ! 運び出しは若い男性が手伝って!」
私の指揮の下、混乱していた広場が、見る見るうちに整然とした「機能する空間」へと変わっていきました。
水を受け取った人々は笑顔で帰り、次の人が待つ。
滞りなく、効率的に。
「……信じられないわ」
エリーゼ皇女が、その光景を見て呟きました。
「ただの倉庫番だと思っていたけれど、あなたは人の流れまで管理するのね」
「物流とは、命の流れを作ることですから」
私は汗を拭いながら答えました。
感謝されることよりも、計算通りに物資が行き渡り、死にかけていた村というシステムが再稼働したこと。
その事実に、私は無上の達成感を感じていました。
その時です。
配給の列に並んでいた、杖をついた古老が、震える手で私を拝みました。
「おお……なんと尊い……」
古老は私の顔ではなく、私が展開していた「収納」の魔法陣をじっと見つめていました。
「その光、その紋章……伝説の『巫女』様と同じじゃ」
「巫女?」
「昔々、この地を救ったとされる、星から来た御方……。何でも飲み込み、何でも生み出す『箱』を持っていたという……」
古老の言葉に、私の心臓がトクンと跳ねました。
ポシェットの中にある「古代の箱」が、また微かに熱を帯びた気がしたのです。
「ただの魔法ですよ、おじいさん」
私は笑顔で誤魔化し、彼の順番が来ると、規定量の水と柔らかいパンを手渡しました。
古老は涙を流して感謝してくれましたが、その言葉は私の心に小さな棘を残しました。
星から来た?
箱を持っていた?
私の魔法と、あの箱には、何か関係があるのでしょうか。
「ヴィオラ、全部配り終えたよ」
ルーカス様が戻ってきました。
村人たちの顔色も良くなり、暴動の気配は完全に消え失せています。
「ご苦労だったわね、ヴィオラ」
エリーゼ皇女が、初めて私を名前で呼びました。
その瞳には、試すような色はもうありません。
あるのは、明確な「評価」と「信頼」でした。
「認めましょう。あなたは帝国に必要な人材よ。帝都に戻ったら、褒美を取らせるわ」
「ありがとうございます。では、商会の宣伝許可をいただけますか?」
「ふふ、ちゃっかりしているのね。ええ、約束するわ」
任務完了です。
私たちは万雷の拍手に見送られ、村を後にしました。
これでガストンの妨害も意味をなさなくなり、エルロッド商会の地位は盤石になるはずです。
そう思っていました。
ですが、帝都にはまだ、追い詰められた鼠が最後の罠を張って待ち構えていたのです。
最も卑劣で、私が一番許せないやり方で。




