第2話 商売敵からの「洗礼」
「おやおや、これは手厳しい。新参者がこの帝都で商いをするには、それなりの『挨拶』が必要だという常識をご存知ないのですかなぁ?」
ねっとりとした声が、美しく改装されたばかりの応接室に響きました。
ソファーの向かいに座っているのは、樽のように太った中年男です。
ガストンと名乗ったその男は、帝都の商人ギルドを取り仕切る顔役だそうです。
脂ぎった額に汗を浮かべ、太い指には悪趣味な黄金の指輪がいくつも嵌められていました。
私は冷めた紅茶を一口飲み、静かに微笑み返しました。
「挨拶なら、先ほどいたしましたわ。ガストン様」
「いやいや、言葉だけの挨拶など無意味。ワタシが言っているのは、誠意……つまり、売上の三割をギルドへの『協力費』として納めていただく、ということです」
三割。
法外な金額です。
帝国の税金よりも高いその要求を、彼はさも当然のように突きつけてきました。
「私の商会は、まだ開業届を出したばかりです。利益も出ていないうちから、そのような要求は受け入れられません」
「ほっほっほ。公爵夫人ともあろうお方が、世知辛いことを。旦那様の威光があれば、これくらいの出費、痛くも痒くもないでしょう?」
ガストンは下卑た笑みを浮かべ、チラリと壁際のルーカス様を見ました。
ルーカス様は無言で本を読んでいますが、ページをめくる指に力が入りすぎて、紙が少し凍りついています。
これ以上彼を刺激すると、この男が氷漬けになりかねません。
私はカップをソーサーに置きました。
カチャリ、と硬い音が鳴ります。
「お引き取りください。不当な要求に応じるつもりはありません」
「……ほう。後悔しますよ?」
ガストンは目を細め、ニチャリと笑いました。
「この帝都の流通は、全てワタシの息がかかっています。ワタシに逆らって、まともに商売ができるとお思いですか?」
「脅迫でしょうか?」
「まさか。忠告ですよ、忠告」
彼は重たい体を揺らして立ち上がりました。
「まあ、精々頑張ってくださいなぁ。商品はあっても、運ぶ馬車も、売る場所もなければ、ただのガラクタですから」
ガストンは捨て台詞を残し、高い香水の匂いを撒き散らして去っていきました。
バタンと扉が閉まった瞬間、ルーカス様が本を閉じました。
「……凍らせておけばよかった」
「ダメです。あんなのを凍らせたら、屋敷が汚れます」
私はため息をつきました。
わかってはいましたが、やはり古い体質の業界というのは面倒なものです。
「でも、彼は本気で妨害してくるだろうね」
「ええ。早速、確認してきます」
◇
翌日。
私の予想は、最悪の形で的中しました。
帝都の中央市場。
私は屋敷の料理人に頼まれた香辛料を買いに来ていたのですが、どの店も私を見るなり、そっぽを向くのです。
「すみません、この胡椒を」
「ああ、品切れだ」
棚には山ほど積んであるのに、店主は無愛想に言いました。
隣の八百屋に行っても同じです。
「公爵夫人に売る野菜はねぇよ」
「ギルドからのお達しでね。あんたと取引すると、こっちが商売できなくなるんだ」
徹底しています。
店主たちの目には、私への敵意というよりは、ガストンへの恐怖が浮かんでいました。
仕入れルートだけでなく、日常生活に必要な買い物さえ封じようという魂胆でしょう。
「……なるほど。兵糧攻めというわけですね」
私は市場の真ん中で立ち止まりました。
通りすがりの人々が、遠巻きに私を見て噂話をしています。
「あの方が、ギルドに逆らったという……」
「可哀想に、もう終わりね」
終わり?
いいえ、始まりです。
私の心の中で、パチンとスイッチが入る音がしました。
オウェル王国で理不尽な扱いを受けた時と同じ。
負けず嫌いの炎が燃え上がります。
既存の流通網が使えないなら、結構です。
借りるつもりもありませんでしたから。
「ヴィオラ様……」
護衛についてきたセバスチャンが、心配そうに声をかけてきました。
「どうなされますか? これでは商会どころか、屋敷の食事にも事欠きます」
「心配いりません。食材なら、旅行中に一生分仕入れてきましたから」
私はキッと前を見据えました。
「ガストン氏は言いましたね。『運ぶ馬車も売る場所もなければ』と。つまり、それさえあれば文句はないということです」
私の武器は「収納魔法」による無限の輸送力。
そして、圧倒的な「鮮度」と「品質」です。
腐った根性の商人たちに頼る必要など、最初からありません。
ただ、一つだけ問題がありました。
私一人では、販売や接客の手が足りないのです。
ルーカス様を店番にするわけにはいきませんし、セバスチャンは屋敷の管理で忙しい。
「人手が必要です。それも、ギルドのしがらみに縛られない、ハングリーな人材が」
私は市場の煌びやかなメインストリートから目を逸らし、路地裏の暗がりを見つめました。
そこには、ボロボロの服を着た子供たちが、じっとこちらの様子を窺っている気配がありました。
ガストンの手下が私を監視しているのを、さらに後ろから観察している視線。
「行きましょう、セバスチャン」
「どちらへ?」
「スラム街へ。泥の中から、ダイヤモンドの原石を探しに」
私はドレスの裾を翻し、迷うことなく薄暗い路地へと足を踏み入れました。




