第1話 新婚旅行より仕入れ
私は市場の露店に並ぶ木箱を、端から順に指差しました。
「これと、これと、あちらの棚のオリーブオイルも。あ、そちらの乾燥ハーブは樽ごとお願いします」
店主のおじさんが、目を丸くして口を開けています。
「お、お嬢ちゃん。そんなに買ってどうやって持って帰るんだい? 馬車は何台連れてきた?」
「馬車は一台ですが、問題ありません」
私はニッコリと微笑んで、購入した大量の瓶や樽に触れました。
シュン。
一瞬で、山積みだった商品が消え失せます。
店主の顎が外れそうになるのを尻目に、私は代金の入った革袋を置きました。
「毎度あり。さあ、次のお店に行きましょうか」
私はリストを片手に、活気あふれる港町の通りを歩き出しました。
南の地方都市、ポルト。
海風が心地よく、日差しは明るい。
絶好のハネムーン日和です。
でも、私の目はロマンチックな景色よりも、市場に並ぶ見たことのない食材に釘付けでした。
「……ヴィオラ」
背後から、少し恨めしそうな声が聞こえました。
振り返ると、つばの広い帽子を目深に被ったルーカス様が、むすっとした顔で立っていました。
日除けの帽子も、麻のシャツも、私が選んだリゾートファッションです。
とても似合っていて、すれ違う女性たちが振り返るほどですが、本人の機嫌は斜めでした。
「僕たち、新婚旅行中だよね?」
彼は私の手を取り、わざとらしくため息をつきました。
「ここに来て三日目だけど、観光らしい観光をしてない気がする。君が見ているのは僕じゃなくて、魚と野菜ばかりだ」
「あら、誤解ですわルーカス様」
私は彼の手を握り返し、精一杯の笑顔を作りました。
「あなたとの甘い生活を長く続けるためには、経済基盤が必要なんです。この街の特産品は、帝都では十倍の値がつきます。これを逃す手はありません」
「……君のその、転んでもタダでは起きないところ、嫌いじゃないけど」
彼は苦笑して、私の頬をつつきました。
「少しは僕にも構ってよ。嫉妬しちゃうよ、オリーブオイルに」
「ふふ、可愛い旦那様ですね」
私たちは腕を組んで、石畳の坂道を歩きました。
新婚旅行。
それは愛を深める旅であり、同時に未知の商材を発見する絶好のチャンスです。
この国の物流は、驚くほど遅れています。
こんなに美味しい魚介類や柑橘類があるのに、帝都へ運ぶ手段がないため、ほとんどが産地で消費されるか、腐らせて捨てられています。
もったいない。
私の「収納」なら、鮮度そのままで運べるのに。
「見てください、ルーカス様。あそこ」
私は路地裏の、少し薄暗い一角を指差しました。
観光客は寄り付かないような、古びた骨董品店が並ぶエリアです。
「またお店? 今度は何を買うの?」
「いえ、何かが呼んでいる気がして」
私の「収納魔法」には、時々不思議な感覚が働くことがあります。
整理すべきもの、あるいは収めるべき場所があるものを、直感的に感知するような。
私たちは蜘蛛の巣が張ったような店に入りました。
店主は居眠りをしています。
棚にはガラクタのような壺や皿が並んでいました。
その奥に、ホコリを被った小さな木箱がありました。
手のひらサイズで、黒っぽい木でできています。
表面には、見たことのない幾何学模様が彫り込まれていました。
「これ……」
私が手を伸ばすと、指先がピリリと痺れました。
魔力ではありません。
もっと異質な、波長のようなもの。
「ヴィオラ、触らない方がいい。変な気配がする」
ルーカス様が警戒して私の肩を抱きました。
さすが帝国の筆頭魔導師、危険察知能力は抜群です。
「大丈夫です。ただの箱……ではないようですが」
私は店主を起こし、その箱を購入しました。
驚くほど安値でした。
店主いわく、「海岸に漂着したゴミ」だそうです。
店の外に出て、私は箱を太陽にかざしました。
継ぎ目が見当たりません。
どうやって開けるのかも不明です。
「収納、解析」
小声でコマンドを呟きましたが、私の脳内リストには『名称不明:古代の箱』としか表示されませんでした。
中身の情報も出ません。
私の収納魔法で解析できないなんて、初めてのことです。
「面白いですね」
私はそれを「重要調査物」のフォルダへ収納しました。
今はただの旅の土産ですが、いつか何かの役に立つかもしれません。
「さて、買い付けも十分しましたし」
私はルーカス様に向き直り、背伸びをして彼の帽子を直しました。
不満げだった彼のアイスブルーの瞳が、私を映して揺れます。
「ホテルのバルコニーで、買いたてのワインを開けませんか? 夕日を見ながら」
「……やっと、僕の番?」
「ええ。夜までずっと、あなたの時間です」
「言ったね。寝かせないから覚悟して」
彼は嬉しそうに笑うと、私の腰を抱き寄せて歩き出しました。
帝都への帰還は明日。
私たちの馬車……いいえ、私の収納の中には、この旅で得た大量の特産品と、夫婦の思い出、そして一つの謎めいた箱が収められていました。
けれど私はまだ知りませんでした。
帝都に戻った私たちが、甘い新婚生活ではなく、ドロドロとした商売敵との戦いに巻き込まれることになるなんて。
私の戦いは、城を出てもまだ終わっていなかったのです。




