第1話 その「荷物」は誰の管理下ですか?
「ヴィオラ・エルロッド! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」
王城の広間に、ローランド王子の金切り声が響き渡りました。
夜会の最中です。
着飾った貴族たちが、驚きに目を見開いてこちらを見ています。
王子の隣には、ピンク色の髪をした小柄な女性がへばりついていました。
男爵家の令嬢、ミナです。
彼女は勝ち誇ったような、それでいて怯えたような表情で、王子の腕を強く抱きしめていました。
私は、ゆっくりと瞬きをしました。
手にした扇を静かに閉じます。
「……理由は、お伺いしても?」
私の声は、驚くほど冷静でした。
もとより、この婚約に愛などありません。
王家が決めた政略結婚です。
それでも、次期王妃としての教育を受け、膨大な公務をこなしてきたつもりでした。
ローランド王子は、フンと鼻を鳴らしました。
「理由だと? そんなこともわからんのか。貴様には華がない! 可愛げもない! あるのは地味な『収納魔法』だけだ!」
彼はミナの腰を引き寄せました。
「見ろ、ミナを。彼女は『聖女』の力に目覚めた。光属性の輝きこそ、王妃にふさわしい。貴様のような、ただ物を出し入れするだけの倉庫番とは格が違うのだ!」
倉庫番。
周囲からクスクスと笑い声が聞こえます。
確かに私の魔法は、戦闘には向きません。
派手な光も出ませんし、怪我を治すこともできません。
ただ、物を亜空間にしまい、取り出すだけです。
けれど。
その「ただの収納」で、この城の物流と在庫管理を支えてきたのは誰だと思っているのでしょう。
私は小さくため息をつきました。
「そうですか。私の魔法は、不要ということですね」
「そうだ! 目障りだ!」
王子は私の足元に、飲みかけのワイングラスを投げつけました。
ガシャン、と赤い飛沫が飛び散ります。
私のドレスの裾が、少し汚れました。
「今すぐこの城から出て行け! 二度と私の前に顔を見せるな!」
私は汚れた裾を一瞥してから、王子を見上げました。
「承知いたしました。では、直ちに退去いたします」
「おう、さっさと行け! あぁ、そうだ」
王子は意地悪く口角を上げました。
「貴様の荷物は邪魔だ。後から送れなどと言うなよ。貴様が管理している私物は、今ここで全て持って行け。チリ一つ残すな!」
その言葉に、私はピクリと眉を動かしました。
「……全て、ですか?」
「ああ、全てだ! 貴様の薄気味悪い収納魔法に入れて、さっさと持ち去るがいい!」
「確認させていただきます殿下。『私が管理責任を持っているもの』は、『例外なく全て』持ち出して良いのですね?」
「くどい! 俺の許可がないと荷物もまとめられんのか! 許可する、全部だ全部! 俺の視界から貴様の気配を消せ!」
言質は取りました。
周囲の貴族たちも、近衛騎士も聞いています。
これは王子の正式な命令です。
私は深くお辞儀をしました。
「かしこまりました。お言葉通り、私が管理する全ての物品を回収し、退去いたします」
私は顔を上げ、スッと右手を上げました。
さあ、業務開始です。
前世の記憶が蘇ります。
私は物流倉庫のマネージャーでした。
誤出荷は許されません。
在庫管理は徹底的に。
そして、退去時の原状回復は完璧に。
「収納、展開」
私の脳内に、膨大なリストが浮かび上がります。
まずは、目の前のテーブルからいきましょう。
私はそっと、ビュッフェ台に触れました。
シュン。
一瞬で、料理が消えました。
銀の大皿も、高価なテーブルクロスも、テーブルそのものも。
「は?」
誰かが間の抜けた声を出しました。
構わず私は歩き出します。
壁に飾られた絵画。
これは私が美術商と交渉して買い付け、温度管理までしていたものです。
私の管理下ですね。
シュン。
消えました。
剥き出しの石の壁が現れます。
「な、何を……」
次は、窓にかかった重厚なベルベットのカーテン。
季節ごとに私が選び、クリーニングの指示を出していたものです。
私の管理下です。
シュン。
夜の闇が、窓から直接覗き込みます。
「おい、ヴィオラ! 何をしている!」
王子が叫びました。
私は手を止めず、淡々と答えます。
「荷物をまとめております。ご命令通りに」
「荷物だと!? それは城の備品だろう!」
「いいえ、殿下。これらは全て、王家の予算ではなく、私の実家の持参金と、私が運用して増やした資産で購入し、私が台帳をつけて管理していたものです」
嘘ではありません。
この国は慢性的な財政難でした。
王子の浪費癖のせいで、城の備品を買う金などなかったのです。
だから私が、私財を投じ、魔法で管理コストを削減し、なんとか体裁を保っていたのです。
「こ、これもか!?」
「はい。そのシャンデリアも、絨毯も、そこに飾ってある壺もです」
私は指を鳴らしました。
シュン、シュン、シュン。
広間を照らしていた豪華なシャンデリアが消えました。
足元のふかふかな絨毯が消えました。
調度品が、次々と亜空間へ吸い込まれていきます。
残ったのは、冷たい石床と石壁だけ。
そして、唯一の光源は、窓から差し込む月明かりのみ。
薄暗くなった広間に、貴族たちの悲鳴が上がります。
「暗い! 何も見えない!」
「寒い! 風が入ってくるわ!」
カーテンも窓ガラスも「私が手配したもの」だったので回収しました。
吹きっさらしの風が、ドレス姿の貴族たちを直撃します。
「ヴィ、ヴィオラ! やめろ!」
王子が震える声で叫びました。
しかし、私は止まりません。
まだ「全て」ではありませんから。
私は広間を出て、廊下を歩き出しました。
騎士たちが慌てて追いかけてきます。
ですが、私に触れることはできません。
私は自分自身に「物理無効」の結界を張っています。
これも、以前私が魔導具師に特注で作らせた魔道具の効果です。
私は城の心臓部へ向かいました。
まずは、厨房。
食材庫の中身は、全て私が発注し、鮮度管理していたものです。
最高級の肉、新鮮な野菜、熟成されたワイン。
調味料、調理器具、予備の薪に至るまで。
「収納」
厨房にいた料理人たちが、呆然と立ち尽くします。
彼らの手元から、包丁もお玉も食材も消え失せたのですから。
明日からの食事?
知りません。私はもう部外者ですので。
次は、執務室。
書類の山が見えます。
過去十年分の政務記録、税収の帳簿、外交文書。
これらも全て、私がファイリングし、インデックスを付け、保管していたものです。
王子は一度も読んだことがありませんよね。
なら、不要でしょう。
「収納」
本棚が空になりました。
机も椅子も消えました。
インク壺一つ残りません。
そして、宝物庫。
ここにある金貨や宝石。
王家の資産ということになっていますが、実際は私が商会を運営して稼ぎ出した利益がほとんどです。
それに、王冠や王笏のメンテナンスも私の管轄でした。
「収納」
ガランとした空間に、私の足音だけが響きます。
気持ちがいいですね。
これが「断捨離」というものでしょうか。
最後に、騎士団の詰め所へ。
予備の剣、槍、鎧。
訓練用の木刀、傷薬、包帯。
これらも予算不足を補うために、私が安く仕入れて備蓄していたものです。
「収納」
これで、概ね完了です。
城の中にある「機能」の九割は、私の収納の中に収まりました。
私は城の正門へ向かいました。
背後から、ローランド王子が息を切らして追いかけてきます。
「ま、待て! 待てと言うに! 返せ! 今すぐ返せ!」
月明かりの下、私は振り返りました。
王子は靴も履いていません。
廊下の絨毯と一緒に、彼が脱ぎ捨てていた靴も回収してしまったからです。
石の床は冷たいでしょうに。
「何を返すのですか? これらは私の『荷物』です」
「ふざけるな! 城が……城が空っぽじゃないか!」
「ええ。殿下が仰った通り、私の気配を完全に消させていただきました」
私は優雅にカーテシーをしました。
今着ているドレスも、もちろん私の私物ですが、これは着ていくことにします。
裸で外を歩く趣味はありませんから。
「それでは殿下。ミナ様と、その『何もない箱』の中で、末長くお幸せに」
「待て! ヴィオラァァァ!」
王子の絶叫を背に、私は待たせておいた馬車に乗り込みました。
この馬車も、御者も、私が個人的に雇っているものです。
「出してちょうだい」
「へい、お嬢。どちらへ?」
「国境を越えて、レグルス帝国へ」
馬車が動き出します。
窓から見えるオウェル城は、灯りが消え、まるで廃墟のように黒く沈黙していました。
ろうそく一本、残していませんからね。
私はシートに深く体を預けました。
この馬車のクッションも、私が開発した低反発素材です。
座り心地は最高。
「さて……」
収納の中リストを確認します。
食料は十分。
資金は一生遊んで暮らせるほど。
家財道具も一式揃っています。
王家の印鑑や、国の重要機密書類も入っていますが……まあ、それは「おまけ」ということで。
私は小さく笑いました。
胸の奥から、今まで感じたことのない清々しさが込み上げてきます。
これからは、誰のためでもなく。
私のために、この能力を使わせてもらいましょう。
馬車は夜の街道を、軽快に走り抜けました。




