タチグモの巣
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふ~、蜘蛛の巣掃除もこれでひと段落……と。
いや~、大掃除を小掃除くらいにしようと、分割清掃を始めたはいいけれど、倉庫の掃除となるとこいつは避けづらい。どうしても動かさないものが多くて、彼らにとっては住まいづくりをする絶好のポイントとなる。
蜘蛛の寿命、タランチュラなんかは10年単位で生きることもあるようだけど、たいていは数年程度と聞く。その彼らにとって1年間ほぼ動かないとなれば、もはや年代もの。自分たちにとって安定したロケーションと認めるかもしれない。
そんな彼らの住まいも、こうしてほうきでささっと掃いたり、支えとなっているブツを動かしたりすれば、あっという間に崩れ去ってしまう。
我々人間も、ときにすさまじい天災の被害を受けてしまうが、彼らにとっても同じようなものなのかもなあ。まあ、我々が勝手にそう思うだけで、彼ら自身が何を思うかは勝手な想像でしかないけど。
しかし、場所によっては想像の外にあるような影響が出てしまうかもね。以前に友達から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
田舎にある友達の実家は、このような倉のみならず、家のまわりも蜘蛛の巣がよく張っていたそうだ。
三日もそのままにしておくと、屋根の裏側とか、窓に備え付けられた雨戸入れの影とかへ、あっという間に作り上げられてしまうのだとか。住んでいる祖父母も、そこまで頓着していないようで、来訪するたびになかばお化け屋敷の風情を見せるような。
しょっちゅう出入りしているところに巣ができないのは、別にこの家に限った話じゃない。しかし相手方もそれを承知しているのか、まず目が向かない、手を出さないだろうポジションを狙って、抜け目なく巣を張ってくる。
当時、子供だった友達にとっては楽しいものだったらしい。アリの巣にいたずらをするときのような感覚で、形の整った巣を自分の手でプチっと壊してやる。幼いころに多くの人が通る破壊行為の一環というか。
こいつにどのように力をかけたら、何が起こるのかを知りたいという好奇心。壊すことでたとえ注意されたり、怒られたりしても、かまってもらえるという承認欲求。こいつを派手に蹴散らすことで、「自分はこんなにムカついているんだぞ!」という表現行為……。
大人になっても、まま抱くことのある思い、行ってしまうことの根っこがすでにある。そして壊すことの楽しさを知るからこそ、それらを律して相手に合わせていく創造という行為の尊さもまた知ることができる。
そこまで高尚なことを考えなかったとしても、片づけるという行為は一種の気持ちよさを持つのは確かだろうけどね。
友達は実家に行ったとき、時間にゆとりができるとこの蜘蛛の巣を壊して回っていく。先に話したように祖父母は自分から巣を壊すことはめったにないようで、一度に壊す巣の数は20や30を超えることもあったとか。
それも子供の遊びの一環、と放っておかれるのが常だったけれども、一度だけ。祖父母に止められたことがあると、友達は話してくれた。
そのときも巣壊しへ熱心に取り組み、どんどんと壊して回っていたのだけど、敷地内を一周まわって気づく。玄関先に垂らした傘つきのランプ。その傘の中へ蜘蛛の巣が張っていたんだ。
――おかしいな。あそこは真っ先に処理したところのはずなのだけど。
友達はそう思いつつ、手にした小さいほうきで、ちょいちょいと巣を取り払っていく。
これでひと段落ついたかな、と念のためもう一周まわってみて驚いた。ほんの数十分ほどで、自分が除去したはずの巣の大半が復活していたのだから。すべてでないとしても、これで人の気配がなければ空き家だといわれても、うなずいてしまいそうな重厚さ。
いくら無数の蜘蛛がいたとしても、これほどの早業ができるものだろうか……。
気味悪く思った友達が報告したところ、「よくしらせてくれたな。どうやら『タチグモ』が出てくるらしい」と、祖父母はすぐに行動を開始。
各所の窓を閉め切るばかりか雨戸まで閉ざし、家の中は昼間だというのに夜のごとく真っ暗となってしまう。明かりを灯しながら、祖父母はタチグモについて話をしてくれた。
そいつは大きい大きい、蜘蛛の親玉……とだけ伝わっている。姿かたちなどは一切分からない。実際に出くわしたものは、みないなくなっているとうわさされているそうなんだ。
そいつの張る巣は、ほかの蜘蛛と同じようなものでありながら、センサーとしての機能も段違いだ。なにせ巣にかかってもがくものだけでなく、巣そのものに触れた生き物すべてを追いきる力を持つのだから。
より位置を特定せんがために、おろかなものがかかるのを期待して、すぐさま二度目、三度目の糸を張るが、実際には一度目のみでもかなり高い精度の追跡ができるらしい。先人たちは破ったはずの蜘蛛の巣が、すぐまた張り直されることでタチグモの存在を判断したという。
「そうした場合はすみやかに身を隠し、いささかも生きているものの痕跡を見せてはならないとされる。こうして家の中に閉じこもっていれば安心じゃ。絶対にな。
が、それを破ってしまったときの『終わり』もまた、絶対じゃ。誰も知らないのだからな」
その密閉空間が解かれたのは、日が暮れてしまってからだった。
それまで家のそこかしこを、ときおりガタガタと揺らす気配があったが、友達も祖父母もじっと音を立てないよう努めていたそうな。
家の外へ出ようとするも、はじめは玄関の戸さえも中途半端に引っ掛かり、動かすのに難儀した。
極太の蜘蛛の糸が、戸へ何重にも絡みついていたから。ようやく外へ出てみると、家は屋根の一角を残して、ほぼ真っ白い糸に覆われた状態だったという。
これらを破って、またタチグモとやらに察知されないか友達は不安だったが、この白さならば安心していいとは、祖父母の談。タチグモが獲物をとらえきれず、八つ当たりでかけたようなものに過ぎないという。
それからも友達は、蜘蛛の巣を見かけるたびにタチグモのものでないか用心しているのだとか。




