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『瀬戸と春樹 ―天使の皮を被ったサイコパスな後輩に、人生を丸ごと乗っ取られる話―』  作者: 八雲 律


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第7話 仮面の裏側と神崎の逆襲

 神崎が部を去ってから、学校でその姿を見かけることはほとんどなくなった。かつての相棒は、瀬戸の視界から静かに消えていった。

 その空白を埋めるように、春樹は瀬戸の生活の隅々にまで入り込んでいた。ノートの代筆、ドリンクの用意、通学の同行。瀬戸は、春樹という完璧な「介護者」がいなければ、日常生活に支障をきたすほど精神的に去勢され始めていた。

 ある日の放課後、春樹が委員会に呼ばれて席を外した際、一人で駐輪場へ向かう瀬戸の前に、神崎が姿を現した。

「……悠真」

 校舎の陰から声をかけてきた神崎は、ひどく緊張した面持ちで瀬戸の行く手を阻んだ。

「神崎……。お前、ここで何してるんだ」

「話がある。……佐倉のことだ。あいつ、やっぱりまともじゃない。悠真、お前、去年の夏に練習試合の遠征先で、大事にしてた刺繍入りのリストバンドを失くしたよな?」

 瀬戸は眉をひそめた。なぜ今、一年前の話を出すのか。

「……ああ。あれはどこかで落としたんだろ」

「違うんだ。昨日、忘れ物を取りに放課後の部室へ忍び込んだ時、佐倉のロッカーが開いているのが見えた。……中に、そのリストバンドがあったんだよ。あいつ、中学生の頃からお前をつけてたんだ。お前の名前が入った使い古しのタオルや、去年の試合のスコアシートまで……。あいつが入部する『前』の私物が、ロッカーの奥に隠してあるんだぞ!」

 瀬戸の鼓動が、一瞬だけ不自然に速まった。一年前、春樹はまだこの学校の生徒ですらない。

「……見間違いだろ。あいつがそんなことする理由がない」

「見間違いじゃない! 俺はこの目で見たんだ! それに、あの日、渡り廊下で女子たちに囲まれた時もそうだ。あいつは自分から壁に頭をぶつけたんだ。あいつはお前を独占するためなら、一年前から計画を立てるような化け物なんだよ!」

 神崎の言葉は、悲痛な叫びとなって夕暮れの駐輪場に響いた。 瀬戸の脳裏に、春樹の献身的な笑顔と、あの痛々しいアザが交互に浮かぶ。

「悠真、今すぐ一緒に部室へ行こう。あいつが戻る前にロッカーを確かめれば……!」

 神崎が瀬戸の手首を掴み、校舎へ引き戻そうとした。 その時——。

「……何をしてるんですか、神崎先輩」

 背後から、温度のない声がした。 振り返ると、春樹が冷めた瞳で二人を見下ろしていた。その手には、瀬戸がさっき「忘れた」と言ったはずのタオルが、恭しく握られている。

「春樹……」

「瀬戸先輩、大丈夫ですか? 無理やり連れて行かれそうになって……怖かったですよね」

 春樹は神崎の手を冷酷に振り払い、瀬戸の前に立ちはだかった。

「佐倉……! お前、中学生の頃から悠真をストーキングしてたんだろ! ロッカーの中にある一年前のあれは何なんだ!」

 神崎の追及に、春樹はふっと悲しげに瞳を伏せた。

「……ひどい。神崎先輩、僕のロッカーを勝手に覗いたんですか? あれは……僕が中学生の時、この学校の試合を観に来て、そこで拾ったんです。いつか憧れの瀬戸先輩に返そうと、僕にとっては宝物だったんです。……それを、ストーカー扱いするなんて」

「嘘をつけ! じゃあ、あの日自分から壁にぶつかったのはどう説明するんだ!」

「……先輩、もうやめてください。僕を傷つけて、瀬戸先輩から僕を奪いたいのは分かりますけど……そんな嘘までついて」

 春樹の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。その泣き顔はあまりに無垢で、神崎の怒鳴り声の方が「狂気」に満ちているように見えた。

「行こう、悠真! こいつに騙されるな!」

 神崎が再び手を伸ばした瞬間、瀬戸は神崎の胸を強く突き飛ばした。

「……もういい、神崎。消えろ」

「悠真……?」

「お前は、春樹がずっと前から俺に憧れて、拾ったものを大事にしてくれてたことまで、悪意に塗り替えてる。……リストバンドのことだって、あいつは純粋にチャンスを待ってただけだろ。お前のその卑屈な疑いの方が、俺にはよっぽど気持ち悪いよ」

 瀬戸の声は、冷徹だった。 春樹が「入部前から自分を思っていた」という事実は、瀬戸の歪んだ自尊心をくすぐり、異常な執着を「熱狂的な愛」へとすり替えてしまった。

「……そうか。お前、もうあいつ無しじゃ生きていけないんだな」

 神崎は力なく笑い、肩を落として去っていった。 瀬戸は、春樹の細い肩を抱き寄せた。神崎が指摘した「異常性」は、瀬戸の心の中で「運命的な献身」として都合よく解釈され、飲み込まれていった。

「帰ろう、春樹。……あんな奴の言うこと、気にするな」

「はい。……僕には、先輩だけがいればいいんです」

 夕闇が二人を包み込む。瀬戸の歩みは、もう春樹という影から逃れることはできなかった。


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