第五話:独裁者の最期
「とまあ、こんなところだね。私の過去話は」
三十分ほどの演説の後、アルベルトは部屋でコーヒーを淹れた。
「驚きを禁じえないな」
コーヒーを一口含む。
「いいかね、A=H。私はね、『愚かな』人間が嫌いなのだよ」
アルベルトはくつくつと笑いながら話し始めた。
「『愚かで』『もろくて』『欲望にまみれた』人間は嫌いなのだ」
「ふむ。では、どんな人間が良いのかね?」
「そうだね。究極の知性と理性を持ち、さらには極限まで高められた筋力と運動力を持つ者が望ましい」
A=Hは唾を飲み込んだ。額から汗が吹き出る。
「き、君は一体何をしようというのだね。そもそも、君は」
「私は人間に過ぎない。ただ、人間を超えようとしている人間だ」
創造物の発言を遮って答えた。
「ヒトラー君」
アルベルトは初めて名前で呼んだ。
「何かね?」
「君は『第零機関』を埋め込んだ、新生人類のプロトタイプだ。君には力がある。人間を超える力がある。さて、それをもってどうするね?」
作られたヒトラーはすぐに答える。
「そんなものは決まっている。かつて為しえなかった第三帝国の再興だ。我がドイツが世界最強の国となるために」
アルベルトはそれを聞くと身体をよじって笑った。
「それで、また争いを繰り返すのか?」
「そうだ。争いは人類の歴史そのもの。争いの無い歴史などありえない。我々は動物なのだから」
「愚かな、といっておこうか。争いの無い歴史をこれから作るのだよ。それにはこの『第零機関』が役に立ってくれる。思考回路そのものと肉体構造そのものを変えることが出来れば、実現できる」
「それこそ狂っている」
「私が狂っているかどうかは歴史が証明してくれるだろう。これで話は終わりだ。早速任務へ向かってくれたまえ」
二人の会談は終わった。
ジョーカーは村雨の情報を元に郊外の地下研究所へ向かった。
薄暗い研究施設の中には不気味なフラスコが多数あり、薄いオレンジ色の液体が溢れている。人の気配はしない。
ジョーカーはコンクリートの大地に足を付けて歩き始めた。白いスニーカーは靴音を抑えながら移動する。
「うげぇ……ホントにいい趣味してるよ」
銃を構えつつ、ゆっくりと歩を進める。
フラスコの中に『小川一郎』というネームプレートがつけられたものがあった。
「あの悪党の名前か」
フラスコの中にはジョーカーの知る小川一郎本人が入っている。
「あのヤロウのクローンでも作ってるのか?」
こんこんとフラスコを叩く。
「それに触らないでもらおうか?」
アルベルトがゆらりとそこに現れた。ライトが灯る。
「誰だ、アンタ?」
「失礼な若造だね。私を知らないのか?」
「オッサンの面覚えてるほど頭良くはないんでね。綺麗なレディなら覚えるけど」
アルベルトは表情を歪ませる。
「愚かな人間は嫌いなんだ。消えてもらおうか?」
「何だ? 見たところ武装もしていないし、ガタイがいいだけだろ。俺を倒せるとでも思ってるのかよ?」
ジョーカーは嘲笑う。
「思っているよ」
「なら、見せてもらおうか?」
アルベルトは『小川一郎』と書かれたフラスコについているボタンを押した。
「さあ。起きたまえ、『小川一郎』君」
フラスコの中の液体がぬけていく。
そして、フラスコのガラスを破って『小川一郎』が出てきた。
ぎょろりとした目は生気がない。
かつてのような野心と悪意に満ちた眼差しもない。
「テメエ、こいつは何だ?」
「『小川一郎』だよ。日本国を朝鮮連王国と北京民主共和国に売り飛ばした、稀代の売国奴。鳩川紀夫とともに日本国沈没に向けて尽力した人物」
「どう見ても様子がおかしいぞ」
ジョーカーは険しい顔になる。巨大なショットガンを構える。
「そうとも。彼は『第零機関』の実験体となったのだからね。もう君の知る小川一郎ではない。新生人類のプロトタイプだよ」
アルベルトは高い声で雄たけびをあげるように笑う。
「講釈垂れんのはそれだけか? ついでに答えろ。ここに鳩川紀夫とかいうクズがいるはずだ。どこにいる?」
「ああ、あの愚物かね。『総長』のところへ行ったよ」
「『ゲシュペンスト』のか?」
「ああ」
「それをもらしてもいいのか? テメエも構成員なんだろ」
ジョーカーは敵に気取られぬように背中に隠してあるハンドガンに左手を伸ばした。
「いいんだよ。組織なんてものは私にとって弾除けにすぎない。軍人崩れのロンメルなどは私と相性が悪いのでね」
「で、その総長とかいうのはどこにいる?」
「おいおい。状況が分かっていないのかね? 君が今すべきことは敵の撃退ではないかな?」
小川一郎はナイフを抜いて構えている。目は相変わらず虚ろでどこを見ているのか分からない。ジョーカーはハンドガンから手を離した。
「さあ、新生人類の片鱗を見せてもらうよ。まあ、彼は思考能力を著しく低下させた戦闘力特化型だからね。『クィーン』を破壊した者とどこまで渡り合えるか、楽しみだよ」
ジョーカーは赤髪を乱暴にかきあげる。
「下衆野郎が!」
唾を床に吐いた。
「何とでも言うがいい。これは進化なのだから」
アルベルトは長身からジョーカーを見下ろした。
「さあ、サンプルよ。この男を足止めするのだ。私は一足先に自分のラボへ向かう」
ジョーカーはショットガンで殴りかかったが、小川一郎に阻まれる。がきんと鈍い金属音が鳴り響いた。
「あ……が……ら……くに……なり……た」
意識がわずかにある。
ジョーカーはショットガンを引いた。
アルベルトは優雅に一礼すると歩いて研究所奥に進んでいった。
しばらくすると、小川一郎は頭を抱えて吐血した。
ふらふらと歩き回る。
瞳はやはり焦点が定まらず、口からはだらだらと血の混じった涎をこぼしている。
「たすけ、て……クレ。もう……自分が、自分で……なくなる前に」
何度も何度も呟いた。
「分かった」
ジョーカーは表情を歪めて、ショットガンの照準を小川一郎に合わせる。
小川は必死で『第零機関』に抗っていた。たぎる戦闘衝動を押さえ込み、己の脳の指令を聞かない身体を押さえ込む。
「今、楽にしてやる……」
小さな声で応えると、一発の銃声が響いた。
こんばんは、Jokerです。
第一部最後らへんで出した伏線の回収です。
実は小川一郎は改造人間にされていた、というオチでした。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……