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私の男は黒猫

私の男は黒猫

彼は私を見つけると、少し首を傾げて、眉を寄せて話しかけてきた。

 困っています、助けて、という顔で。長身で黒髪、黒い瞳の彼は漆黒の印象を私に与えた。腰に巻かれた、長い髪の女の子のおさげみたいな紐が、腰のラインをしっかりと見せている。


 すぐに魅力的だと、認めてしまった。濡れている黒い瞳に見つめられ、私は早くなった鼓動を落ち着かせ、彼の言葉に耳を傾けた。


 どうしても手に入れたい本があるが、ブーツを履き潰すほど書店を回ったがどこにもない。どうにかなりませんか、と彼はやや高いトーンで話した。


 それならば……と私は耳に髪をかき上げて言った。注文してみましょう。絶版になっていたら、品揃えのいい中古書店紹介します。


 彼は人懐っこい笑顔を浮かべて、「ありがとう」と言った。胸に響く、低い声で。


 彼が手に入れたいと願った魔法書は、絶版になっていた。彼がとても残念がったので、私は病的なまでの品揃えの中古書店を紹介したところ、一緒に行って欲しいと頼まれた。


 淀みのない流れだった。中古書店で本を見つけて彼はとても喜び、美味しいランチを奢ってもらい、一緒に街を歩き、カフェで口説かれた。


 彼は私の目を、じっと見つめて言った。

「猫は好き?」

「ええ、好きよ。可愛いもの」

「僕は猫に化けられるんだ」

「まぁ、すごいわね」

「僕が猫になったところ、見てみたい?」

「そうね……興味があるわ」

「そうかい。ここで披露したいけれど……猫になったら服が全部ね……脱げてしまう」

「そう……困ったわね」


 私がくすりと笑うと、彼も笑った。瞳がかち合って、合意が成立した。


 それからの展開はご察しの通り。私のベッドで彼は猫になり、頬をぺろぺろ舐めてくるので背中を撫でてやった。彼は興奮しきった男になっていた。


 私は魔法書専門店の書店員で、彼は若き魔術師研究者。

「僕たちは付き合っているよ」と彼が言ったのは一週間目のベッドの上で。

 それから彼が猫になって私の頬を舐める日が増えていった。

 彼は私の腕の中で「にゃあ」と鳴いてみせる。黒く濡れた瞳で私を物欲しそうに見上げ、たくましい腕で私の体を軽く押さえつけて。

 この色男の手口を私は完璧に見破っていた。


 小柄な栗色の髪が麗しい女の子の肩を、彼が抱いて歩いているのを目撃したのは、四週間が経った頃だ。


 彼とは遊びだったし、私も別の男に抱かれる機会があれば、ベッドを開放していたかもしれない。

 別段、気にはしていなかったが、多少は腹が立っている。


 悪戯がバレたと知らない黒猫が、私のベッドににゃあと鳴いてもぐりこんでくる。

 ぐるぐると喉を鳴らしてるので、優しく優しく撫でてやる。


 頬を舐めて、さぁてんやわんやが始まろうかとするとき、私は猫の首根っこを掴んで持ち上げた。


 猫は目をまん丸にして私を見て、にゃあにゃあ鳴いて抵抗する。


「栗色の髪の子もお好きなのね」


 私がつぶやくと、彼は大きな猫耳を後ろに倒し、目をひん剥いた。


「あの子は妹だとか、たまたま肩を抱いていた、なんておバカな言い訳はやめてちょうだいね、耳が腐っちゃう」


 猫は暴れることもせず、おとなしい。裸の腕に黒猫を抱き込み、私はくすくすと笑う。

 こうしていれば、可愛い無害な猫だ。男を力で服従させている喜びと、黒猫の毛ざわりが素肌に心地よく、つい抱く腕に力が入る。猫は震えている。


「ところであなた、私に魔法の覚えがあるってご存知?」


 「にゃあ」と怯えた声で猫が鳴く。


「私、猫って大好き。特に黒いの。あなたをずっと、この姿のまま、抱きしめていたい」


 黒猫をぎゅっと抱きしめて、私は呪文を囁いた。叫んで暴れる猫を私は押さえつけた。


 私と黒猫の生活が始まった。黒猫は戻してくれと懇願するように、私の足元で鳴き続けた。


 キャットフードを前に置いてやり、私は鼻で笑った。


「もっと可愛い顔をしておねだりして頂戴。出会った時みたいな、あの顔よ。助けて、お願いって。さぁ、してごらんよ」


 黒猫が膝に乗り、胸にすり寄って甘えてくる。ざらざらとした舌で首筋を舐めてくる猫の背を、指先だけで撫でる。


「人間に戻りたい? このまま猫の姿で、私に愛されるのも悪くないんじゃない」


 尻尾を軽く引っ張って、私は笑う。

 かわいそうな黒猫を弄びながら、さて、どうしようと考える。


 私は魔法を解く呪文を知らないのだ。

 魔法をかけた者しか、魔法は解けない。だけど、私にはそれほどの魔力はなかった。


「見てごらん。雪が降っているわ」


 ぶ厚い魔法書の上で、丸くなっている猫の背を、私は撫でた。

 黒猫は、ぱたり、と尻尾を動かす。

 痩せて、ひげが抜け落ちた黒猫は、最近、眠ってばかりだ。


 ぶ厚い魔法書を、何冊読んだかわからない。このところ、私は小さい文字が読めなくなった。

 皺だらけの乾燥した指で、ページをめくるのも億劫になった。


 もういいよ、と言うように、黒猫はぶ厚い魔法書の上で眠るようになった。

 年月は過ぎて、私の頭は雪のように真っ白になった。


 黒猫は、黒猫のままだ。


 毛糸のショールを肩にかけ、ソファーに腰掛けると、黒猫が膝に乗ってきた。

 私は黒猫の背を、ゆっくりと撫でる。

 しんしんと雪は降り積もる。

 愛していたのかもしれない。


「あなたをずっと、この腕の中に引きとめていたかったのよ」


 黒猫の耳が動いた。


「行ってしまうのが、嫌だったのよ」


 黒猫が、満足したように大きく息を吐いた。前足が痙攣して、撫でる体は冷たくなった。


 魔法の勉強に必死で、私は恋人を作ることも、結婚することも、忘れていた。


 私はあなたを、ずっと抱きしめていたかったのよ。


 冷たくなった黒猫に、私は涙を落とす。

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