グリとグラ-3章-
茂みから現れた影の獣は、思っていたよりもずっと大きかった。
クマより大きく、狼よりしなやかで、鳥のように金色の目が光っている。
だけど、不思議と“悪いもの”には見えなかった。
むしろこちらを観察しているような、そんな知性を感じる。
「ひ、ひな先生……あれ、襲ってこないよね?」
背中に隠れているあすかが、小さく震えながら囁く。
「わからない。でも、じっとしていて。」
私は息をのんだまま、ゆっくりと獣を観察した。
その腕には、大きな卵。
白くてつるりとしていて、絵本『グリとグラ』に出てくる“あの卵”にそっくりだけど……どこか模様が違う。
すると獣が、私たちを見つめながら低い声で言った。
「……そなたら、この世界の者ではないな。」
「しゃ、喋った!?」
私とあすかの声が見事にハモった。
獣は落ち着いた様子で、森の風のような声音で続けた。
「この卵……我が巣から盗まれたものだ。
しかし気付けば見知らぬ森に飛ばされていた。
そなたらも、この世界に迷い込んだのだろう?」
私は息をのみ、こくりと頷いた。
「私たち、元の世界に戻りたいんです。方法を知りませんか?」
獣は金色の瞳を閉じ、しばらく考えるように黙った。
そして再び口を開く。
「戻る方法は──“物語の中心”に向かうことだ。」
「物語の…中心?」
「そうだ。この世界は“読み手の心”によって形を変える。
本来の物語から外れた混乱が起きているのだろう。」
私はハッとした。
「……まさか、私がこの本を読んでいたから?」
獣はゆっくり頷いた。
「そなたの心の揺らぎ。
そして、この子供……“あすか”の強い感情が混ざり、
世界が変質してしまったのだ。」
あすかは驚いて私を見上げる。
「わ、私のせいなの……?」
「違うよ。責めてるわけじゃない。」
私はそっとあすかの頭を撫でた。
「気持ちが強いほど、この世界は影響を受けちゃうんだって。
むしろ“あすかがいるから”私もここで一人じゃないんだと思う。」
獣が続ける。
「物語の中心へ向かえば、いずれ“門”が見つかる。
そこを通れば、元の世界に戻れるはずだ。」
「その場所はどこにあるんですか?」
獣は巨大な爪で森の奥を指し示した。
「森を抜け、丘を越え、光る川を渡れ。
そこに“カステラの釜”がある。
本来ならば“グリとグラ”がたどりつく場所だ。
そこが、この物語の中心だ。」
あすかが小さく息を飲む。
「……じゃあ、グリとグラもいるの?」
獣は静かに笑った。
「会えるだろう。だが、物語が乱れている今の姿は分からぬ。」
私は深く息を吸い込んだ。
やるしかない。
この世界から帰るために。
「あすかちゃん、行こう。必ず帰ろうね。」
あすかは不安そうにしながらも、ぎゅっと私の手を握った。
「……うん。ひな先生がいるなら、大丈夫。」
獣がゆっくりと頭を下げる。
「旅路に気をつけよ。
──この卵を取り戻してくれた礼に、一つ“加護”を授けよう。」
その瞬間、獣の瞳が眩しく光った。
金色の光が私とあすかの体を包み込む。
胸が温かくなり、心が強くなったような気がした。
「これは“道を見失わぬ加護”。
心が折れぬ限り、そなたらは進むべき方向を感じ取れる。」
「ありがとう……ございます。」
獣は卵を抱えたまま、静かに森へと消えていった。
残されたのは、私とあすか。
そして——
“物語の中心”へ向かう旅が、いま始まった。




