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物見の塔にこもって、はや四日。
赤い月の夜が過ぎ、白い月が西空に沈む頃――。
ようやく、睡眠魔法が完成した。
その間には、まあ色々とあった。
山賊の皆さんが、ゴブリンに担がれて砦の中へ連れて行かれるのを見送ったり。
その後、なんというか――聞いちゃいけないような声が響いてきたりとか。
あと何か、たまたま通りかかったワイバーンが砦のそばで休んでいたら、ゴブリンの集団に襲われて慌てふためいて逃げていくのも目撃した。
恐ろしや、ゴブリンたち。
発情期ともなれば、相手が自分より強かろうが構わず襲いかかるらしい。
多分、ワイバーンは本気になればゴブリンなんてドバーっと炎を吐いて倒すことも出来ただろうけど、もの凄くびっくりしたのだろう。
そうだよね。
いくら強くても発情期の集団が襲い掛かってきたら怖いよね。
ディアドラとも、いろいろあった。
……いや、何もないけど!?
いやいや、人に言えないようなことは何ひとつ起きてないけど!!
夜は危ないからと抱っこされたまま眠ったり、ご飯の時になぜかアーンして食べさせて貰ったり。
それとディアドラの尻尾を触ることを許された。
これはめちゃくちゃ嬉しかった。
虎の尾は、猫よりも毛が硬かったけれど、内側の毛はふわふわ。
それはもう、「幸せそのもの」って言葉がぴったりの触り心地だった。
恐る恐る触った尻尾がひゅるりんっと手に巻き付いて来た時には、嬉しすぎて思わず意識が飛びかけた。
何はともあれ、ミディアとディアドラはゴブリンに襲われることもなく平和に過ごした。
そうしてついに魔法が完成したのだった。
ちなみに、魔法の発動タイミングは、ミディア自身でも制御できないことがある。
もっとも、それは“初めて使う魔法”に限っての話だった。
2度目であれば、どれくらいかかるかは計算できる。
そこに強化を加えても、だいたいの目安はつけられるのだ。
「あ! あ! ディアドラさん! 魔法! 魔法出ますッ!!!! 発動します!!!!」
「大丈夫よ、落ち着いて子猫ちゃん。ちゃんと騎士団とは連絡を取り合ってるわ。砦に魔法が充満したら狼煙をあげてすぐに駆け付けて貰えるわ」
「わわわ、わかりました!!!! じゃ、じゃじゃじゃあ、いきますッ!!!!」
隅々まで魔力のいきわたった魔法陣が光りだす。
それは精霊へのメッセージ。
人と精霊を繋ぐ伝書鳩。
さぁ、お願い。
花の精霊ルピトピエラよ。
優しき眠りを、届けて――。
ひろく、ひろく、世界を撫でるように。
砦をそっと包みこむように。
土の下まで、深く。
お眠りなさい、お眠りなさい。
瞼は重く、手足はぬるく。
夢の深海に沈みゆけ。
ふわり、ふわり、そして――落ちて、落ちて、落ちていく……。
「……、……睡眠魔法、無事に発動しました」
「分かったわ。じゃあ、中の様子を確かめたいんだけど……もう入っても平気かしら?」
「そうですね。念のためもうちょっとだけ待ってからのがいいかもです」
それから、しばらく待ってからディアドラが砦の中を見に行った。
ミディアも確認に行きたかったが、ディアドラ曰く「見ない方がいい」という惨状だったそうだ。
自分が発動した魔法の効果はしっかり確認しておきたかった。
それでも、あのディアドラが眉をひそめて、「見るに堪えない」とまで言ったのだ。
多分、ディアドラは今までにも沢山、悲惨な光景を見てきただろう。そんな彼女でもあんな顔をしてみせたのだ。
だから今回は。ミディアはその警告に大人しく従うことにした。
狼煙をあげると、騎士団と村人たちは朝日とともに到着した。
すでに出発の準備を整えて、今か今かと待っていたようだ。
騎士団の人たちも砦の中を確認に入っていた。
ちなみに、あの山賊たちが助け出されることはなかった。
気になってディアドラに尋ねると、「焼き討ちにする前に、せめてもの慈悲を与えておいたの」と答えた。
そして――砦に、火が放たれた。
やがて岩の割れ目から白い煙がゆっくりと立ち上っていく。
はじまりは酷く穏やかなものだった。
しかし時を待たずして白煙は灰色に変わりはじめる。
薪の爆ぜる音が響き、やがて砦のあちこちから鮮やかな炎がちらちらと顔を出す。
業火への序章は、静かに幕を開けた。
だが炎は、すぐに飽いたかのように――物語を一息に読み飛ばす。
煙はどす黒く色を変え、僅かに開いた砦の口からは噴き出した炎が身をくねらせ空を舐めた。
騎士たちは静かに砦を見張っていたが、村民らは斧を振り上げ歓喜の声をあげていた。
だが、最初は焚火を囲むように笑っていた者たちも、次第に焚かれる側の気配を感じたかのように、炎から顔を背けていく。
やがて、黒煙とともに異臭が溢れ出してくれば、口元を抑えて逃げ出した。
それは肉と脂が燃える臭い。
腹の底を抉るような、甘くねばつく異臭が――
ゴブリンたちの怨嗟の声のごとく、砦から溢れ出した。
物見やぐらも異臭と火勢の熱に襲われる。
煙で満たされた視界はゼロに等しく、視覚と嗅覚を失ったミディアはディアドラに抱えられて退散した。
砦を離れてなお、吹きあがる黒煙は空を染め、肉の焦げる異臭は山肌を滑り降りてくる。
あまりにも濃い死の臭いに、ミディアはディアドラにしがみついて震えていた。
分かっていた。こうなる事を知っていた。
一方的な虐殺を、ミディアは分かっていて受け入れた。
「考えすぎちゃ駄目よ。時には考えないことも大事なの。
奪った命のことよりも、救った命のことを思うのよ。あなたは最善を選んだわ」
ディアドラは優しくミディアの頭を撫でながらそう言った。
そうなのか。
そうなのかな。
今のミディアにはより最善の答えがあったのかすら分からない。
「仕方ないわね。ほら、尻尾を握らせてあげるから元気出して?」
ディアドラはそう言うと、しゅるんと尻尾を差し出した。
ミディアがそっと触ってみると尻尾は懐くように絡みつく。
「……嬉しい。食べたい。はむはむしたい。ちょっとだけ、食べていいですか?」
「そうね。どうしようかしら。私にも子猫ちゃんを齧らせて貰えるならいいわよ?」
ふいに頬を舐められて、その感触が猫と同じようにジャリっとしていたのにびっくりして飛び上がる。
「だ、だ、だ、だめで、しゅ、それは、だめッ!!!!」
あまりに驚いて言葉を噛んだ。
その有様にディアドラはさも楽しそうにコロコロ笑う。
こうしてアレクシアの初陣は実に静かに、呆気なく、一方的な虐殺でもって幕を下ろした。
砦は夜になってもどす黒い煙を噴き続けたが、夜半には激しい雨となり、それは三日三晩降り続けた。
三日後、黒く染まった山頂の砦は――
ただ、完全なる沈黙に満たされていた。