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──翌朝、魔瘴浄化のための巨大魔法陣が完成した。
この時点で、人員の大幅な交代が行われる。
魔法陣を作成していた魔術師にかわり、魔力の高い四ツ紋魔術師たちがやってくる。
ミディアは魔法式の変更が必要となった時のために、残ることになっていた。
錬金術師たちは整備係として最低限の要員が残り、他の者は退去した。
コルテア卿は避難を勧められていたが、最後まで立ち会うと言って前哨基地に残っている。
父であるロベルトを中心とした別動隊は、まだ帰還していなかった。
定時連絡によれば、地下の魔物を引き寄せる作戦は無事に進んでいるようだ。
だが、魔法陣を発動させるまえに戻ってくることは難しい。
前哨基地はロベルト、アレクシス、アレクシア、ジュードという優秀な戦力を欠いた形になっている。
とはいえ、地下侵攻中の魔物部隊は敵の半数を占めている。
それを足止め出来るならば、損失に見合うだけの十分な戦果となるだろう。
交代は速やかにおこなわれた。
去っていくものは、基地に残る者の肩を抱き、拳を合わせて健闘を祈る。
静かに、まるで儀式のように粛々と。
聖職者たちの祈る声が響き、勝利と無事を願う香が焚かれている。
ゆらゆらと重くたなびく軍旗に魔塔と秘術機関、そして教会と聖騎士団の旗が並び立つ。
最後にやって来たのは大聖女であり、第三王女のモレアンキントと護衛の神殿騎士たちだ。
大聖女の白い衣は聖女たちの祈りとともに編まれたレースが幾重にも折り重なっており、しずしずと歩む姿は光神ロタティアンへの信仰がなき者でも自然と両手を合わせていた。
じきに儀式が開始される。
ミディアの心は奇妙なほどに凪いでいた。
いや、違う。
感情が麻痺しているのだろう。
考えすぎれば折れてしまうと自覚して、心が鈍くなっている。
やるべき事は分かっている。
戦いたくないと泣き叫んで駄々をこねるほど幼くはなかったし、ミディアの理性はこの場を放棄することを認めない。
分かってる。
やるべきこと。
やれること。
悲しみに沈んだ心でも、ミディアは冷静にそれを選り分ける。
ヴェルドレッドは気遣う様子を見せながらも、あえて話しかけては来なかった。
その距離感がありがたい。
モレアンキントとも視線を重ね合わせたが、語る機会は訪れなかった。
ミディアはそのことに安堵する。
今はただ、自分がすべき事だけに、ひたすらに集中したかった。
人員の入れ替えが完了し、前哨基地に残った者たちが整列する。
魔瘴封印の儀が始まれば、ここには魔物の群れが殺到する。飛行系に限られたものとしてもあの規模の魔瘴なのだ。
その数は何千、あるいは万を越えることもあるだろう。
生きて戻れる保証はない。
張りつめた空気の中、皆の前に進み出たのはモレアンキントだ。
顔を隠すベールを持ち上げ、整然と並ぶ勇士たちに向き合うと、大聖女は穏やかに語りだした。
「……わらわは、ラシャド王国第三王女にして、大聖女の名を授かりましたモレアンキント。今日この場で、皆に伝えたいことがあります。
この場に集いしは我が国の誇る稀なる勇士たち。わらわはそなた達一人一人の勇気と知恵、祖国を守り家族を愛する姿を心より誇りに思います」
ドレスの端をつまみ優雅に頭をたれる大聖女の姿に、あちこちで息を飲む音がする。
モレアンキントは顔をあげると、その麗しいかんばせを曇らせた。
「王国はかつてない危機に瀕しています。かの大国、エジスーラを滅ぼしたほどの巨大魔瘴がエストリアを滅ぼした事は、あまりにも耐えがたい悲劇でありました。
ですが、魔瘴はエストリアを飲み干しただけでは飽きたらず、ラシャド王国そのものを食らおうと目前に迫りつつあります。かつてこれほどの苦難にまみえた者がいるでしょうか?」
大聖女は一人一人に目を合わせるように語りかける。
そして一度言葉を切ると、胸元で拳をつよく握りしめた。
「ですが、我らは立ち上がりました。
大いなる絶望を前に膝を折らず、勇気と知恵と希望を胸に、我らは立ち上がったのです。
……それは一人の少女が始めた小さな戦いでした。とても小さな灯火でした。
しかし今その灯火は我らの胸を焦がす大きな炎へと転じたのです」
周囲の視線が自分に集まるのを感じて、ミディアは目を見開いた。
そこにあるのはかつてのように、奇異なものを見る視線などではない。
熱意と尊敬に満ちた視線が、ミディアの小さな体に注がれる。
モレアンキントも、ミディアと視線をあわせると、穏やかに微笑んで頷いた。
ミディアは知っている。
彼女もまた、たった一人で戦いを始めた少女なのだ。
ミディアの思いを、皆の思いを背負い、モレアンキントは高々と手を振り上げる。
「ラシャド王国の勇者たちよ!
例え一人一人の灯火は小さくとも、我らが集まりし希望の炎は決して燃え尽きることはありません!
何故ならば、我らには見えるのです。
我らの目指す先には必ずや明日の希望があるのだと!
この胸が、天を焦がし地を揺るがすほどに叫んでいる!!!!
……──希望は、我らとともにあらん!!!!」
ドクンっと大きく胸が脈打った。
例えどんなに辛くとも、戦う理由があることが胸の奥から湧き上がる。
その炎に、失った人たちの熱い思いを感じとる。
「……希望は、われらと、ともにあらん……」
震えながら拳を握り、涙を堪えて呟いた。
今度こそちゃんと大丈夫。
顔をあげて、背筋を伸ばして、私はちゃんと戦える。
***
いよいよ魔瘴浄化の儀がはじまった。
魔法陣の中央にモレアンキントがひざまずき、厳かに祈りを開始する。
同時に魔術師たちが魔力を注ぎ、錬金術師たちの作り上げたエーテル変換装置が起動した。
騎士団の多くは前哨基地の外で陣を敷いている。
神殿騎士はモレアンキントの傍らに控えており、大聖女を補佐するための聖女たちもそこにいる。
ミディアはヴェルドレッドとともに騎士団の後方に控えていた。
前哨基地周囲を取り囲む騎士団は昨日よりも数が増えている。
コンコルドの街で待機していた者たちもすべてこの場にやってきた。
文字通り総力戦なのだ。
エーテル変換装置が作動すると、周囲のエーテル濃度がかわっていく。
それは奇妙な感覚で、鼓膜がかすかに振動する。
「来るぞ」と誰かがささやいた。
空が、蠢き揺れている。
最初はただの暗雲かと見えた。だが、雲は羽ばたき、咆哮し、牙を剥いた。
――飛行型モンスター。
魔瘴の空から姿を現したのは、翼を持つ魔物の大群だった。
数え切れぬほどの影が、空を彼方まで埋め尽くす。
羽ばたくたびに大気がうねり、硫黄と血の匂いが混じった風が前哨基地を舐めるように吹き抜けた。
騎士達は地面に槍を突き立てると、盾を並べ、空からの襲撃に身構える。
「東からワイバーン!!!! 来ますッ!!!!」
物見の兵が声をあげる。
空を裂く轟音とともに、激しい熱風が吹き荒れた。
灼熱が大地を駆け抜ける。
急襲を受けた騎士団は、神殿騎士団から借り受けた奇跡の加護を付与された盾を掲げて耐え忍ぶ。
炎がぶつかり、火花が閃く――だが、防いだ。
崩れなかった。
されど、魔物にとってもワイバーンの襲撃は挨拶替わり。
その強襲を皮きりに、飛行部隊が豪雨のごとく降ってきた。
「ル・アラ・リーヤ・シンガージ・アーナ・リャ・トーヤ・ドゥ・アーナド・ファクナ!!!!」
魔術師がはなった雷撃魔法が空を裂く。
降り注ぐ魔物の群れを騎士団の槍が刺し貫き、動けなくなったところを剣で突く。
詠唱を防ごうと基地に殺到した魔物たちは、結界魔法の役目を果たす網によって、侵入を拒まれた。
敵はあまりにも大群だ。
だが初動は悪くない。
士気が高く、皆が一丸となって動いている。
「ヴェルドレッド団長! 奴です! 大虎が出ましたッ!!!!」
ヴェルドレッドの元へ駆けてきた兵に、ミディアは杖を握りしめた。
「やはり来たか。……分かった、俺が出る」
「……ヴェルドレッド卿、……」
ミディアが不安げに見つめると、ヴェルドレッドは微笑んだ。
「そんな顔をするなミディア嬢。俺以外に誰がやる? アイツも、それを望んでいるだろう」
「はい、……そう、思います」
「ああ、そうだとも。いけそうか、ミディア嬢」
「……いけます」
ミディアが頷くと、ヴェルドレッドは大盾を持ち上げた。
それは盾の中央に炎の魔石を埋め込んだ特別性のものだった。
通常、盾に埋め込む魔石や奇跡を付与した鉱石は防御に特化したものが選ばれる。
だが今回、ヴェルドレッドが選んだのは、火の精霊スルの力を宿したものだ。
攻撃魔法と盾の相性は決していいとは言い難い。魔石の力が盾の耐久値を削ってしまう事すらある。
そこでミディアが術式を書き加え、魔石の力を制御できるように工夫した。
魔法式を発動するにはかなりの時間を要するが、魔石を制御するだけならばそれほど時間はかからない。
必要なのは魔法式を維持するための魔力量で、それならばミディアに相応しい役目だった。
ミディアは、ミディアなりのやり方で戦うのだ。
疾駆する大虎を魔術師の雷撃が追いかける。
連続して地面を穿つ閃光はその巨体に追いすがるが、陰すらも貫くことは叶わない。
ぐぉおおおおおん、と虎が咆哮する。
空気を震わす轟音に、若き騎士たちは気圧されたか、体が固まって動けない。
そこに空から飛行系モンスターが来襲する。
反応が遅れた騎士はあっと言う間に上空へと連れ去られた。
無防備な体に魔物たちが殺到し、切り裂かれた肉片が落ちてくる。
最後に落下してきた騎士の頭部を踏みつぶし、虎はさらに前へ出た。
ゆらりと尻尾を揺らすさまは、怖気づく騎士たちを挑発しているかのようだ。
「道を開けろ」
ヴェルドレッドが歩を進めれば、騎士たちはすぐさま道を開けた。
悠然と進むその姿に、憧れと畏怖の眼差しが注がれる。
黒塗りの鎧は、幾千の戦場を駆けて来た無数の傷跡が刻まれている。
だがその傷こそが、彼が他に並び立つ者なき猛者の証であり、誇りなのだろう。
身の丈ほどの大盾をもって尚、その足取りはよどみなく、踏みしめる一歩すら騎士たちを鼓舞する力となる。
黒揃えの鎧は、兜の羽飾りだけが火を噴くよう鮮やかな赤だ。
唸りをあげていた虎は、ヴェルドレッドの姿を認めるや体勢を低く身構えた。
好敵手が現れたと察したのか、先ほどまでの挑発的な態度は身をひそめる。
「ラシャド王国騎士団隊長、ヴェルドレッド・ゴッドウィン……いざ、参るッ!」
カシャンと音を立て兜のバイザーを下ろせば、ヴェルドレッドの表情は伺えない。
僅かな間。
大虎の筋肉がわななくと、その体躯に見合わぬ俊敏さで跳躍し、一気に間合いを詰めて来た。
だが、浅い。
そこに逡巡があったか、踏み込みの浅さにヴェルドレッドは地を蹴って前に出る。
ゴォンッと鈍い音を立てて、大盾が虎の顔面を強打する。
続けざまに埋め込まれた魔石が火を噴き、虎は慌てて飛びのいた。
距離をとる動きを許さず、歴戦の騎士はさらに前へと踏み込むと、盾を軸に体をねじるように前に出し、鋭く剣を突き立てる。
ヴェルドレッドが大虎に優勢を見せれば騎士たちの動きも引き締まる。
迫りくる飛行型モンスターをボウガンで叩き落とし、高度が下がれば翼を切り裂いて機動力を奪い去る。
動きが鈍くなった魔物に別の騎士がとどめを刺すという見事な連携を見せていた。
大虎が再び跳躍。
素早さで翻弄しようと横に飛ぶが、ヴェルドレッドは動じない。
けん制の動きが攻撃に転じた瞬間を見極めて、爪を盾で受け止める。
ただの盾ならば防戦一方になるところだが、攻撃を受け止めた反動で炎を噴き出す大盾は防御こそが攻撃となる。
盾が火を噴く瞬間に、ミディアは魔法陣を制御して、魔石の暴走を食い止める。
巨大な鉄の塊を持って尚も立ち回れるヴェルドレッドの並外れた膂力と洞察力、ミディアの制御能力があってこその戦法だ。
ただの騎士ならば、大盾でさえ虎の攻撃を受けきれず、とっくに地面に伏しているだろう。
ぐあぁあああああ、っと大虎が咆哮する。
小手先の技は通じぬと見たか、真正面からの突撃だ。
ヴェルドレッドは大盾を地面に突き立てると、全体重をかけて受け止める。
だが流石に純粋なぶつかり合いでは、軍配があがるのは大虎だ。
鉄塊は大虎を受け止めたものの、地面を抉りながら後方に押し込まれる。
それでもヴェルドレッドは冷静だ。
瞬間的な衝突力が弱まった瞬間を見極めて、大盾に体ごとぶつかって虎の体を跳ね返す。
追撃とばかりに魔石から最大火力の炎が噴き出し、大虎の巨体がよろめいた。
たたらを踏む大虎に、ヴェルドレッドは盾を捨てて懐に鋭く踏み込んだ。
剣先が分厚い皮膚を裂き、肋骨の隙間を縫って──正確に心臓を貫いた。
剣が引き抜かれると同時に、大虎は大地へと倒れ伏す。
魔瘴に侵され黒く腐食した血が大地に溢れ出す。
それが仮初の燃料として死した体を無理やりに動かしていたのだろう。
「……ミディア嬢、魔石を」
「はい」
ミディアは息を殺しながら応じ、大盾へと歩を進める。
震える指で、魔法陣を解除し炎の魔石を取り出した。
カチリと音を立てて外れる魔石は火傷しそうなほどに熱かった。
それでもミディアはしっかりとそれを手に取り、ヴェルドレッドに差し出した。
魔石を受け取ったヴェルドレッドは、静かに伏した大虎のもとへ歩み寄り、そっと膝をついた。
「よくぞ今日まで尽くしてくれた。後は、我らに任せて休んでいろ」
白く濁った大虎の瞳が、かすかに瞬いた。
もはやそこに映るものはない。
だが――
ミディアには、そこに確かに彼女の”意思”を見た。
額を撫でるヴェルドレッドの手にすり寄り、かすかに喉を鳴らす音を聞く。
そこに悪鬼のごとく猛る獣の陰はなく、安堵して眠る姿は子猫のようですらあった。
ヴェルドレッドが魔石を傷口に押し込めば、大虎の体が燃え上がる。
音をたて炎が噴きあがる。
その様は壮絶であるものの、眠る虎はどこまでも穏やかだった。




