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「巨大魔瘴から発生した魔物たちは地下洞窟内部を侵攻中、危機は間近に迫りつつある」
ロベルトのもたらした報告に作戦本部は凍り付いた。
「くわしく説明してくれ」
重苦しく口を開いたのはヴェルドレッドだった。
ロベルトは口元に手をあてしばし思案した後にゆっくりと語りだした。
「エストリアの陥没の直接的原因は魔瘴の発生によるものだ。
だが、灰燼都市エジスーラの例をみても分かるように、巨大魔瘴発生そのものが大地の陥没と結びつくわけではない。
ドリスティオール家の報告書にあったように、マティス卿は屋敷地下に祭壇を作り上げていた。
これは天然の洞窟を利用したものだとあったな」
ロベルトに促されミディアはこくりと頷いた。
「──つまり、エストリアの陥没は、魔瘴召喚の衝撃波が地下洞窟に伝わり、崩壊を引き起こした可能性が高い、ということだ」
なるほど、と一同が頷くのを見てロベルトは大きく息を吐いた。
「私が懸念したのは、エストリアの陥没箇所が地下洞窟の一部に過ぎないのではないかという部分だった。
そこで、錬金術師であるジョゼリン殿に同行頂き地下空間の測定を行った。
ジョゼリン殿、説明を頼む」
指名を受けたジョゼリンが立ち上がった。
見覚えがある。
サムタ・デラの町でコルテア卿がガゼボに呼び出した錬金術師の一人だった。
かなり大柄の女性で、大胆に髪を刈り上げている。
「ジョゼリンだ。錬金術師の立場から言わせてもらえば、地下洞窟があるってのは一目瞭然だった。
丘を二つほど越えたところに”海龍の歯”と呼ばれている場所があるだろ?
白い岩肌が風雨に削られ、鋭い歯のように連なっているあの場所だ。
ああいう土地ってのは石灰岩で出来ていて、たいていは地下に洞窟があるもんなんだよ」
ジョゼリンが視線をやるとロベルトも同意をしめして頷いた。
「魔塔でも、俗に”海龍の歯”や”鯨の骨”などと呼ばれる地域には地下に洞窟が広がっているケースが多いとの研究結果が出されている。貴重な鉱物が採取できることから、秘密の入口を知っている者も多いようだ」
「待って下さい!」
声をあげたのは若い将校だった。
「この前哨基地の側にも地下洞窟があるからと言ってそれがエストリアの地下とつながっているとは限らないんじゃないですか?」
ロベルトは騎士の方へと向き直り、皆に分かりやすく話すため、ゆっくりと口を開いた。
「エストリアの地下洞窟は、地中にある石灰岩の層を、長い年月をかけて海水が浸食していった事で形成された。
地層というのは狭い地域、──サドランドほどの地域であれば、特性の異なった地層が形成される例はあまりない。
エストリアに石灰岩の層があり、”海龍の歯”の地下にも同じ層があるならば、エストリアからこの前哨基地付近まではすべて似通った地層だと考えるべきだ」
ロベルトは一度言葉を切ると、周囲を見回してから再び口を開く。
「……もちろん、地層が同じであれば必ずしも洞窟が存在し、それがつながっている訳ではない。
だがエストリアの陥没穴の規模を考えれば入口付近だけでも相当大きかったことが伺える。
そこから長年にわたり海水による浸食があったとすれば、地下洞窟はかなりの距離まで広がっていると想定される」
そこから再び説明を引き継いだのはジョゼリンだ。
「とはいえ想定だけじゃ動けない。そこで私の出番っていう訳だ。
実際に地下に洞窟があるかどうかを測定するために同行した」
ジョゼリンは円卓の上に見慣れない機材を取り出した。形状はロッドによく似ている。
中央には雷の精霊シンガージの力を宿した魔石がはめ込まれており、杖の下部は大地に突き刺すためなのか、鋭い銛のようになっている。
さらにもう一つの装置が取り出される。箱型の装置の中央には魔石が据えられ、その周囲を複雑な変換装置が取り囲んでいた。
「これは地下構造を計測する装置だ」
ジョゼリンの言葉に、感心とも半信半疑とも取れる息が漏れる。
「まずはこっちのロッドを地中に突き刺して電流を流す。で、こっちの箱型装置で空間の電気的性質を感知するのさ。
岩石ってのは導電性に差異があってな。鉱物の種類や鉱脈の存在が、もろに結果に出る。
正常な岩石は一定の電気抵抗を示すけど、空洞や湿度の多い場所、鉱脈などは導電性が異なるんだ。
つまり、電流の流れを変化させるってことだな。
この特性を利用して、電流の変化を測定することで、地下に空間があるかどうかを調べることが出来るって訳だ」
ジョゼリンは周囲を見回したが、皆の反応にはかなりの差があった。
騎士の一部は理解が追いついていないのか、眉間に深くしわを刻んでいる。
「あー、つまり、地面にびりびり~って電流を流して地下に空洞があるか調べたってことさ」
ジョゼリンが肩をすくめながらざっくりと説明し直すと、ようやく一同の表情が和らぎ、納得したように頷き始めた。
「それで出来上がったのはこの地図だ。まぁ限られた時間しかなかったからな。精度に関しちゃいまいちだが、それでもこれだけは確かだ。
……エストリアの洞窟はこの前哨基地のみならずコンコルドの町の地下あたりまで続いている。
獲物の匂いを察知すれば、洞窟を掘り進めて地上に姿を見せるだろう」
そんなと絶望的な声があちこちから漏れた。
先ほどと同じ若い将校が一歩前に踏み出した。
「つ、つまりそれは、……いつ何時この基地に、あるいはコンコルドに魔物の群れが出現してもおかしくないという事ですか!?」
「現時点で言えば、そうではない」
ロベルトが首を振って否定する。
周囲から安堵の息を吐く音がした。
「魔物たちがどこまで侵攻しているかも調査済だ。
いくら魔物とはいえ地下道を侵攻するには時間がかかる。海水による浸食洞窟であることを鑑みれば完全に水没している通路も数多くあるだろう。
現在の魔物どもの位置はちょうど”海龍の歯”の地下あたりだ。この基地に到達するまでは僅かだが猶予はある」
地図上で示された”海龍の歯”とこの前哨基地との距離は、せいぜい500メートルもない。
確かにまだ猶予はある。
だが、それが燃え尽きる寸前の灯火に過ぎないと気づけば、騎士たちの間に落胆と動揺が走った。
「”海龍の歯”の大地には洞窟の出口も存在するため、そこから出てくる可能性はある。
だが、どれも小さな穴ばかりだ。大規模襲撃につながるようなことはないだろう」
「なるほど、……」
ヴェルドレッドが唸る声を漏らすと黙り込んだ。
すぐに襲撃はない。
だが足元の脅威は今この瞬間にも着実に侵攻を続けている。
見えないものに対処するのは難しい。
重い沈黙の中、咳払いをして前に一歩進み出たのは錬金術師でもあるコルテア卿だった。
「これより南方、”海龍の歯”とさほど遠くない場所にゾステス湖という小さな水源が存在します。
……湖と言っても、どちらかと言えば池のようなものです。
貴重な水源でありながら、この場所には地元民がほとんど近寄ることがない。
その理由は──この地帯で発生する”腐卵瘴”によるものです」
”腐卵瘴”はその名の通り、腐った卵のような匂いがする瘴気だ。
もしこの臭いを感じたらすぐにその場を離れるようにとミディアも聞いたことがある。
「”腐卵瘴”は、目や喉に強い刺激を与えるばかりでなく、吸い込むことで即座に呼吸困難を引き起こします。
高濃度のものでは、吸引と同時に意識障害を引き起こし、わずかな時間のうちに抵抗する間もなく生命の危険に晒されることになる」
コルテア卿はまるで教壇に立つ教師のような口ぶりで説明する。
「この瘴気の発生源は地下にあり、地下での濃度は地上の数倍にも膨れ上がることが確認されています。
”腐卵瘴”の恐ろしさは、濃度が上がることで嗅覚を麻痺させ、異臭を感じ取れなくなる点にあります。
これがいかに致命的かというと、周囲にどれほど危険な瘴気が充満していようとも、それに気づくことなく無防備に進んでしまうのです」
コルテア卿の説明を聞いていたヴェルドレッドがゆっくりと顔をあげた。
「──つまり、卿は、魔物どもをゾステス湖の地下へ誘導しろと言っているのか?」
コルテア卿は口元を笑みに緩ませて頷いた。
「ゾステス湖で”腐卵瘴”が発生しているならば、その地下には洞窟があると考えて間違いはないでしょう。
発生の規模や濃度から判断しても、地下にはかなり大きな”腐卵瘴溜り”があるだろうと推測されます。
そしてジョゼリンが作成した地図を見るに、この洞窟は魔物たちの侵攻ルートと重なっていると判断できます。
万が一、つながっていなかったとしても、……二つの洞窟をつなげる事など、魔術師の技を持ってすれば無理難題とは言いますまい」
コルテア卿の挑発めいた言葉を受け、ロベルトは「当然だ」と受けて立つ。
「ええ、ええ、そうでしょうな。
──で、あれば。全てとはいかずとも、大幅に戦力を削ぐことは出来るでしょう」
「しかし、それほど危険な瘴気がたまっているとなれば、誘導するのも命がけだ」
将校の懸念に対して手を挙げたのは意外にも教会の司祭だった。
「我々の扱う奇跡には、一時的に瘴気を無効化させるものがあります。ただちにこの奇跡を扱えるものを呼び集めましょう」
「では、魔物たちを呼び込む手段に関しては魔塔より魔物研究者たちを呼び寄せましょう。
彼らならば、……喜んで手段を講じることでしょう」
皮肉めいた口調で応じたのはロベルトだ。
魔物研究者ときけば軍議に参加している者たちの間にも何ともいえない空気が流れる。
無理もない。
魔物研究者といえば魔塔の中でも選りすぐりの変わり者たちばかりなのだ。
ゴブリンを捕獲するために自らを餌にと全裸で挑み、怯えたゴブリンを全裸のまま追い回したなんて話も聞いた事があるほどだ。
──そして、数時間後。
転送門を通って前哨基地にやってきた魔物研究家たちは作戦を聞くや否や涙を流して喜んだ。
「本当に、いいんですか!? モンスター、呼び寄せちゃっていいんですか!?」
「無傷の死体が手に入る! 無傷の死体が手に入るぞぉおおおおお!!!!! 解剖し放題だひゃっほー!!!!」
「ギドラアントちゃんはいるかな! ポドムガラゴンちゃんもいるかな!
ももも、もしかして、ゴルディアルパドスちゃんが手に入っちゃたりしちゃうかもぉおおお~~~~~??!??」
喜び勇んで跳ねまわる学者たちに皆がドン引きしたのは言うまでもない。
彼らに付き添って洞窟内部に入ることになるであろう聖職者たちは一塊になって怯えていた。
ともあれ、魔塔、秘術機関、教会が自発的に協力した事は、大きな前進と言えるだろう。
魔物たちの地下侵攻を食い止める作戦はこうして動きだしたのだった。
***
地中を進む魔物たちの対策は少数精鋭で行うこととなった。
逃げ場のない前哨基地から戦力を割くのは危険だったし、大人数で動けば上空の魔物たちに気付かれるリスクも上昇する。
まずは作戦リーダーであるロベルト。
洞窟破壊要員となる実戦系魔術師と、モンスターをおびき寄せる魔物学者。
ジョゼリンを始めとする錬金術師と、瘴気を無効化するための聖職者。
騎士団からはアレクシアとアレクシスが護衛に着く事になった。
ちなみにジュードはロベルトに首根っこをつかまれるようにして別動隊側に連れ攫われていった。
あの時のジュードと言えば無言のまま顔で助けを求めていたように思えたが、ミディアは小さく手を振って見送った。
ゴッドウィン兄妹がいるならば、そうそう危険にさらされることはないだろう。
……ただ恐らく、ジュードが恐れていたのは魔物の方ではなかったような気もするけれど。
前哨基地に残った主なメンバーはミディアと、騎士団代表のヴェルドレッド、そして錬金術師の長、コルテア卿だった。
コルテア卿はコンコルドの町まで戻ってはいかがかと勧められていた。
だが、錬金術師を束ねるものとして最後まで前線に残り続けることにしたという。
魔瘴封印の術式は幾人もの魔術師たちにより昼夜を徹して描かれており、完成の時は近づきつつある。
むしろ問題はその後だ。
術式を発動すれば魔瘴のモンスターは死に物狂いの猛攻を仕掛けて来るだろう。
鷹巣砦とはことなり、丘陵地帯にある前哨基地は天然の遮蔽物などは皆無であり、モンスターの大群相手に適しているとは言い難い。
術式が完成するまで持ちこたえることが出来るのか。
誰も口にしないものの、皆が不安に思っているに違いない。
そして今は新たな問題が持ち上がった。
夜間に現れた襲撃者だ。
僅かな間に騎士50人を葬り去った魔物は脅威であったし、その存在そのものが騎士団の士気に影響する。
地中のモンスターを排除すべく別動隊が慌ただしく準備を整え砦から立ち去っていく。
その頃には太陽は西の空の果てに傾きつつあった。
じきにまた夜の帳がおりるだろう。
「こ、今夜も、あの獣はここに来ますかね……」
ヴェルドレッドの傍らに立ちミディアはこわごわと周囲を見回していた。
前哨基地の外。
騎士たちは今日も無言のまま野営の支度を進めていた。
焚き火の煙が低く漂い、風に揺れる松明の光が、甲冑の隙間でかすかにきしむ音を照らし出す。
交代制の見張りは昨夜より増員され、持ち場の交代間隔も短くなっている。
だが、それは怯えの裏返しだった。
魔術師たちは魔法陣にかかりきりで、姿すら見えない。
代わりに錬金術師たちが草葉の陰や岩陰に爆裂符や震動罠を設置して回っていたが、それがどれほどの足止めになるのかは誰にも分からなかった。
いつ、どこから、何が襲ってくるかも分からない。
その“分からなさ”こそが、じわじわと人の気力を削り、戦意を浸蝕していくのだ。
陽が落ちる──
騎士たちの不安をあざ笑うかのように、空に低く浮かぶは血のように濁った禍月。
夜空を緩やかに漂う紺青のヴェールのなか、赤いカロの月は西の空でその輝きを増していく。
月明かりは静かに地面を照らし、だが、光の輪郭はどこか不穏に揺れていた。
その月明りすら、夜半過ぎにはなくなるだろう。
南方の海から吹きつける潮風には、ねばつくような濃い腐敗臭が混じっている。
まるで地の底から、何かがうごめいているかのようだった。
「……長い夜になりそうだな」
一人の若い騎士が、松明に照らされた自分の影を見つめながら呟いた。
その声に誰も返さなかった。
返す声すらも、闇に聞きとがめられるのを恐れていた。




