滅境終焉 コンコルド前哨基地
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自室のベッドで目覚めたのは随分と久しぶりのように思えた。
ドリスティオール家を捜査するために港町エストリアに向かい、そこから錬金術師達の集うサムタ・デラでしばし滞在した。一か月以上ここには戻っていなかった。
寝心地の良いベッド、薄目をあければ見慣れた部屋が目の前にある。
しばらく留守にしていたが、室内は清潔で埃をかぶっている場所もない。ミディアが留守の間もしっかりと掃除をしていてくれたようだった。
相変わらず床のあちこちに本が積み上げられているが、それらはあえてそのままにしてくれているのだろう。壁や床に書き殴った魔法陣の草案も、文字を消さないように注意深く埃だけを払ってくれている。
ゆっくり体を起こすと、思ったよりあちこちがぎしぎしと痛む。
恐らく、昨日、大評定の控室で倒れてから半日は眠っていたのだろう。窓から入ってくる陽の光の角度から、今の時刻は朝であることがうかがえた。
ベッドサイドにあるベルを鳴らす。
このベルには魔石がついており、メイドたちの控室にある対のベルが鳴る仕組みになっている。
ミディアは常日頃からメイドを側に置くことはせず、こうして必要な時だけベルを鳴らすことに決めていた。
「おはようございます、ミディアお嬢様」
しばらくして現れたメイド達の一人に、ミディアは見覚えがあった。
「ああ、ええと、アンネマリー、だったよね」
ミディアが問いかけると、アンネマリーは嬉しそうに頷いた。
「覚えて下さっていて光栄です」
「元気そうで良かった」
「ミディアお嬢様のお陰です。メイド教育を終えましたので、ミディアお嬢様つきのメイドをと希望させて頂きました」
「あ、ありがとう」
アンネマリーは、マティス卿によって地下牢に閉じ込められていた聖女見習いの一人だった。
そのまま教会に戻る手もあったのだが、アンネマリーは心に深く傷を負っており、再び教会に戻る事を恐れたのだ。そこでミディアがロストバラン家のメイドとして引き取ることを申し出た。他にも、アレクシアのゴッドウィン家やリリアナのゼファン家に引き取られていった者もいる。
アンネマリーは地下牢で出会った時よりも肉付きが良くなっており、顔も血色がいいようだ。あの地下牢で起こった悲劇を克服するにはまだまだ時間が必要になるだろうが、少しずつ順応しているようだった。
「ええと、それで、……今、目覚めたので、どういう状態か分からないんですが、あの、その、お父様は、……」
お怒りだったりするだろうか。
と聞いたところでメイドたちが答えられるはずはないだろう。
あいまいに言葉を濁すと、もっとも年長であるメイドがにっこりと微笑んだ。
「お嬢様がお目覚めになられたと聞き、ロベルト様は朝食をご一緒なさりたいと仰っておいでです」
「そ、そう、ですか、ええと」
「お手伝いさせて頂きますので着替えをいたしましょう。家族のみの食事ですので簡易的なドレスでかまわないとのことです」
「わ、わかりました」
控えていたメイドたちがあたたかな湯を入れた桶を持ってくる。
それで顔を洗い、髪を整えると深緑色のワンピース風ドレスを身に着けた。
年長のメイドだけを伴って食堂へ向かうと、父のロベルトだけでなく、母のサラディアと弟のルディンも待っていた。
サラディアは高位貴族の令嬢で魔術師としての資質も持ち合わせていたことから、ロストバラン家に輿入れをした。
30歳を少し過ぎた頃合いだが、未だ少女のようなあどけなさと華やかさをもった女性で、我が家の社交はサラディアが担っていると言っても過言ではない。
栗色のくるくると巻いた髪の持ち主で、直毛の父とくらべミディアと弟の髪の毛がくるくるしているのは、この母の血の影響だろうとうかがえる。
弟のルディンは今年6歳だ。
ロストバラン家の血を濃く引いた赤い髪を持っており、それはミディアと同じようなくせ毛であちこちに跳ねて広がっている。顔にはけしの実を散らしたようなそばかすがあり、大きな目はいかにも意思が強そうだ。
家長の椅子についたロベルトはいつも通りの仏頂面だが、それでもいつもよりは遥かに機嫌がいいように見えた。五ツ紋魔術師の正装をまとっている様子から、今日は一日公務が忙しいのだろう。
「お、お、おはよう、ございます、お父様、お母さま、ルディン」
ミディアがスカートの裾を持ち上げて挨拶すれば、サラディアがにっこりと微笑んだ。
「おはようミディア。さぁ座って。久しぶりに家族での朝食なんだもの。うんと楽しまないと。料理長には腕をふるうように言ったのよ」
サラディアの言葉にロベルトが緩く首を振る。
「サラディア、今日は朝から立て込んでいると言っただろう。悠長に食べている時間などないぞ」
「駄目です」
険しい顔のロベルトにもサラディアはまったく躊躇しなかった。
「貴方は忙しいとすぐに食事をおろそかにするわ。きっと今日は昼もろくにとらないし、帰ってくるのは遅い時間になるのでしょう? そうすると『もうこんな時間だから軽いものでいい』とか言ってたいしてお召し上がりにならないのよ。せめて朝だけはちゃんと食べて頂かないと」
「だが、私が急いでいかないと、……」
「貴方が急いでいかないと回らないような組織なら、それは組織のあり方に問題があるのよ。貴方はすぐに全部自分でやってしまおうとなさるから周囲が育たないのだわ」
サラディアに押されているロベルトを見てミディアはいささか驚いた。
家族全員の食事は久方ぶりだったが、母はこんなに強かっただろうか。ミディアの中にあるサラディア像は、夫をたてるもっとたおやかな女性だった筈だった。
ミディアが呆気にとられていると、ルディンが「ねえさま」と声をかけてきた。
「ねえさま、ねえさま、お茶には何をいれますか?」
「あ、ああ、ええと、……」
ラシャド王国における貴族の朝食はまずハーブティーから始まる。
数種類のハーブをまぜたもので、配合は家によって異なっている。高位貴族ほど希少価値のあるハーブを取り入れており、とくに古くからある家系ではその家のみにしか卸すことが許されていないというハーブも存在する。
この希少ハーブは婚姻の際に相手の家にも持ち込まれることが多く、好事家などは珍しいハーブを所有しているという理由で婚姻相手を探すこともあるほどだという。
ロストバラン家は敷地内の温室のみでしか育たないというフォトリアングレースというハーブを必ず配合する事になっており、これは魔力の流れを整える効果があるそうだ。
他にまぜられる数種類のハーブは胃腸を整えるものや、季節によって体を温める、あるいは発汗作用を高めるもの。それに食事前という事もあり、万が一の毒の混入に供え毒消し効果のあるものを混ぜ込んでいる。
それらをうまく掛け合わせいかに味を整えるかはラシャド王国の貴族にとっては重要なことで、どの家でも専属の調合師を雇っている。
そのハーブティーに、さらにスパイスやフルーツ、ジャムや蜂蜜などを加えて自分好みにアレンジするのだ。
ルディンはスパイスを漬け込んだ蜂蜜とミルクを加えているようだ。
「わ、私は、洋ナシのジャムとハニーナッツを」
ミディアが言うとルディンは嬉々としてジャムとハニーナッツをハーブティーの中に入れてくれる。ちょっと量が多かったし、若干こぼれてしまっているが、弟が一生懸命やってくれた事なので大変ありがたく頂戴した。
ハーブティーを飲むと、家にいるのだという実感が沸いてくる。
因みに、エストリアでゼファン家に滞在した際には緑茶ベースのハーブティーを、コルテア卿の館では龍心草花と言われるかなり希少価値の高く独特の癖があるハーブティーを頂いた。
久しぶりのハーブティーをじっくり味わっていると、何やら強烈な視線を感じた。
あえて視線を向けるまでもないほどに、じっと見られているのを肌で感じる。
ちらっと見てみればルディンが目をきらきらと輝かせていた。
ミディアと視線が重なれば、ティーカップを持ったまま前のめりになる。
「ねえさま、ねえさま、大評定での話をしてください! ああ、でもゴブリンを討伐した話も聞きたいです。あ、でも、魔人と戦った時のことはもっと聞きたいし、でもでも、……」
「ええと、……」
興奮気味にまくしたてるルディンにミディアが戸惑っていると、サラディアが「ルディン」と声をかける。
「落ち着きなさい、せめてパンとスープが来るまでは待ちなさいといつも言っているでしょう?」
「でも、でも! 僕も何があったか知りたいです!」
「あなたのお姉さまはとても疲れているのよ? せめてお茶を飲む間くらいは待ってあげなさい」
「だってだって、母さまは昨日の夕飯の間ずっと自慢してたじゃないですか! 僕はまだ全然なにがあったか知らないのに」
逸るルディンをサラディアがたしなめるが、ルディンは前のめりのまま止まらない。
そこで出て来た”自慢”の言葉にミディアは心底驚いた。
「え、……じ、自慢?」
「そうです! 母さまはいつもねえさまの自慢話をなさるのです! 三ツ紋を頂戴した時には自分のことのようにお喜びになられていて。
いつも僕は母さまからのまた聞きなんです!」
「え、ええと、その、……わ、私のことは、その、ふ、不出来な娘だと、思っていたのでは……?」
恐る恐る尋ねると、ロベルトがなぜか得意げに鼻を鳴らした。
「ほらみろ、サラディア。お前もミディアの信頼を勝ち取れてはいなかったではないか!」
「得意げに仰ることではありませんわ」
それはそう、とミディアは思う。
サラディアは深くため息をつくと、しっかりとミディアに向き直った。
「──あなたが聖院大評定に出廷したとき、我が家に一切頼ろうとしなかったことを聞き、わたくしはとても自分を恥じました。大切な娘から頼ることの出来ない親だと思われていたのは、わたくし達の不足です」
サラディアは胸に手をあてると「ごめんなさい」と静かに謝罪を口にした。
「あなたは家族の中で、自分の身が大事にされていないと感じていたのね。それは、わたくしがルディンに付きっ切りだったからで間違いないかしら?」
「は、……はい、あの、る、ルディンは、私と違って、まっとうに魔法を使えるので、母上も父上も安心したのではないかと」
「確かにあなたの魔法は個性的だわ。でもあなたを劣っていると思ったことはなかったのよ。でも、そう思わせてしまったならば本当に申し訳ないことをしたわ。今更言い訳になってしまうけれど、弁明をさせて貰えるかしら」
「も、もちろんです」
ミディアも姿勢を正して頷いた。
「あなたが生まれた直後は、わたくしは長いこと体調を崩してしまったのよ。嫁いだばかりでロストバラン家のしきたりにもまだ馴染めず、第一子だった事もあってとても大変だったの。だから乳母に任せきりになってしまったわ」
「は、はい、それは、その、乳母に任せきりになるというのは、よくある事だと分かっています」
「でも何故、ルディンの時はわたくしが付きっ切りで面倒を見ていたかという事ですわね」
サラディアは目を閉じると深く深く息を吐いた。
「まず第二子だったのでわたくしにも余裕があったこともあります。でもそれ以上にわたくしがルディンを片時も手放さなかったのは、──ロベルトさんのお母さまがいらしゃったからなのです」
「おばあ様が?」
父方の祖母は保守派貴族の出であり、女性は表に出るべきではないと考えているタイプだった。
祖母というよりも、やたらと厳しい家庭教師のようだったという印象だ。
灰色の髪をきつく結い上げ、いつも背筋が伸びている。祖父が亡くなって以来はずっと喪に伏しており、華美な装飾品や派手な化粧は控え、黒や紺のドレスを纏っていた。
ミディアが魔塔に入ることにも猛反対したと聞いている。
なんとか女としての役割に押し込めようと、無理やり縁談を持ってきたこともあったらしい。
ミディアが幼かったころには頼んでもいないのにお茶会を開いては、淑女のなんたるかを教え込もうと必死だった。
ただ、ミディア自身がまったく無関心であった上に、お茶会では何かと奇行をしては祖母の面目を潰しまくった。
家族全員をうっかりカエルにしてしまった時もちょうど祖母が同席しており、一週間寝込むほどのトラウマを与えてしまったと聞いている。
……実際、あの事件以来、祖母はミディアの顔を見ると足早に去っていくことが多かった。
因みに、祖母は思い込みが激しい上に思いつきで行動してしまう事が多々あるため、ロストバラン家のメイドたちから煙たがられていたらしい。
故にミディアが祖母をカエルにかえてしまった時には、メイドたちが影でガッツポーズをしていたのだが、ミディアは知る由もないことだった。
さておき、ミディアに恐れをなしロストバランの本邸に近づかなくなった祖母だったが、ルディンが生まれてからは再び現れるようになったのだという。
「お母さまはルディンの教育に対して大変興味をお持ちでしたのよ。隙あらばわたくしからルディンを奪い去って可愛がろうとしていました。もし乳母に任せていたら、お母さまの要求を跳ねのけることは難しかったことでしょう」
「そ、そうですね。おばあ様は、その、とても押しが強いので」
「ええ、そうでしょう。それでもしお母さまにルディンの教育を任せていたらどうなったと思うかしら」
「ど、……どうなったのですか……?」
ミディアはごくりと息を飲む。
サラディアはほとんど沈痛と言ってもいい表情で口を開いた。
「──我が家に、二人目の暴君が誕生するわ」
「それはとっても大問題ですね」
「ちょっと待て」
大きくうなずくミディアに異議を申し立てたのはロベルトだ。
「なぜルディンが私に似たら問題なのだ」
「なぜって、……」
ミディアとサラディアが顔を見合わせ、それからふっと噴き出した。
互いの間にあった目に見えない緊張感がゆっくりとほぐれていくのを感じ取る。一人納得できないロベルトを後目に、ルディンは見事に空気を読むとメイドに向かって「そろそろスープをお願いします」と声をかけた。
料理人たちが運んできたのはスープとパン、それにパンのための付け合わせだ。
ラシャド王国でスープといえば、塩漬け肉を豆と野菜と一緒に煮込んだものか、ミルクにたっぷりの茸と鹿肉ベーコンを加えたものが一般的だ。今朝のスープは前者だった。
パンは黒パンが一般的で、ライ麦をふんだんに使っておりずっしりと重い。それと酸味が強いのも特徴だ。数種類のナッツをペースト状にして砂糖をまぜたものや、ハーブ入りのバターを塗って食べるとより美味しい。
メインはウサギのソーセージで血を混ぜ込んで作るため、栄養価がとても高く色は黒い。付け合わせは煮込んだ豆とマッシュポテト、それにピクルスが乗っていた。
食事はとても和やかだった。
ルディンが問いかけミディアが答える。ルディンは以前に話した時よりもかなり聡明になっており、それにミディアに似てとても好奇心が旺盛だった。今まであまり接する機会がなかったが、ミディアに対してとても懐いてくれているのがよく分かる。
ロベルトとサラディアはほとんど口を挟むことなく姉弟の会話を穏やかに聞き入っているようだった。
そうして、食事の最後は紅茶とドライフルーツで締めくくられる。
ロベルトは早々に紅茶を飲み干して立ち上がった。
「ミディア、私は一足先に魔塔へ向かう。お前は急がずともかまわない。少し休んでから来るといい。
魔法陣の準備は、高位魔術師たちが検証作業を行っている最中だ。魔瘴のサイズや錬金術師たちとの足並み合わせも魔塔の総力をもって取り組んでいる」
「は、はい!」
「では、……また後ほど話をしよう」
ゴホンっと、どこか気恥ずかし気に咳払いをしてから立ち去っていくロベルトの背中をミディアは何とも不思議な気持ちで見送った。
父のことはずっと怖いと思っていた。あの背中も拒絶されているように思えたが、今は後ろから飛びついても怒られないような気がしている。
「ご、ごちそうさまでした。私も、その、そろそろ支度をします」
ミディアが立ち上がると、サラディアは穏やかに微笑んだ。ルディンはまだ話し足りないようだったが現状の緊急性を理解しているのか、素直に頷いて立ち上がる。
「ねえさま、頑張ってください。そして帰ってきたらまたお話を聞かせて下さい」
「う、うん、もちろんだよ」
ミディアはにっこり笑って承諾した。
今までで一番楽しい朝食だった。
素直にそう思える一方で、これまでになくした数々の重みが足元には黒くわだかまる。
素直に喜んでいいのだろうか。幸せを感じていることへの罪悪感が湧き上がる。
それでいいのよ、子猫ちゃん。
あの人ならそう言ってくれるだろう。
幸福の最中にふいに沸き上がった悲しみを、ミディアはぐっと飲み込んだ。




