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魔瘴の出現が早まったことはミディアが選択を誤ってしまったからだと思っていた。
だが、モレアンキントは真っ向からそれを否定した。
「ま、魔障の発生が早まったことは誤りではない、と?」
「そうじゃ。魔瘴はわらわの知る未来よりも遥かに早く発生した。
じゃが、それ故に、現れた魔瘴は──わらわの知る“あれ”よりも、遥かに“小さなもの”であったのじゃ」
「魔瘴が、小さく……?」
胸の奥深く、わだかまっていた暗雲に細く光が差し込んだ。
これまで悩んできたすべての選択が──“間違いではなかった”という事実に、まだ心が追いつかない。
モレアンキントは大きくうなずくと、改めてゆっくりと語りはじめた。
「──わらわの知る未来において、マティス卿の悪行は最後まで裁かれぬままであった。
数多くの少女や奴隷たちが生贄として何年もの間、捧げられ続けてきたのじゃ。その期間はおおよそ10年にも渡ることとなった。
いったい、どれだけの魂が捧げられてきたのか」
ミディアは胸の奥にこみあげた鈍痛を抑え込むように手を握る。
その犠牲の数を知っている。
あの魔法陣を読み解いたミディアには、いかほどの少女が捧げられたかが分かってしまう。
巨大魔瘴を目にしたモレアンキントもまた、捧げられた犠牲の多さを肌で感じ取ったことだろう。
「魔人として力を蓄えたマティス卿は、エストリアとその周辺地域全ての住民を生贄として捧げたのじゃ。
……捧げられた魂の多さ故に、現れた魔瘴はあまりにも巨大なものだった。その大きさは港町エストリアを半島ごと消滅させ、魔瘴の外円は王都の目と鼻の先に迫るほどだった」
「そ、そんな、巨大な魔瘴が……?」
エストリアを飲み込んだ魔瘴は今までにないほどの規模だった。
だが、それは港町一つを飲み込んだが半島そのものを消滅させるには程遠い。
「そうじゃ。あれほど巨大な魔瘴であれば、そなたの魔法式を持ってしても封印は困難であっただろう」
モレアンキントの言葉にミディアも重々しくうなずいた。
試算するまでもない。
それはもはや、ラシャド王国だけでなく、この世界を揺るがすほどの危機であり、封印などとうてい不可能だ。
「だが、マティス卿の悪行が暴かれ召喚のための生贄を得られなくなった。
竜族が自らの血を捧げたというが、それは苦肉の策だったと言えよう」
モレアンキントはそっと両手を伸ばすと、ミディアの小さな手を握りしめた。
「つまりな、ミディア嬢。魔瘴の出現が早まったのは、竜族にとっても悪い意味で予定外の出来事だったのじゃ」
「……出現が早まった分だけ、規模が小さくなった?」
「ああ、その通りじゃ。時期は早まった。だがそれこそが、人にとっての勝機となる」
「勝機に」
「そうじゃ。われらは打ち勝つことが出来る。あの絶望の未来を、退けることが出来るのじゃ」
胸が震えた。
ずっと不安だったのだ。
出来るだけ正しい選択をしてきたつもりだった。
それなのに魔瘴はミディアの知る未来よりも、数年もはやく発生した。
だがそれが、それこそが勝機につながると言うならば。
「魔瘴を、封印することが出来る」
震える唇で、噛みしめるように言葉をつむぐ。
モレアンキントは強く手を握りしめながら頷いた。
「この世界は──いま、ようやく生き残る機会を手にしたのじゃ。
これは絶望ではない。未来へと至る、新たな道の始まりなのじゃ」
「……は、い」
ミディアはかすれた声で頷いた。
モレアンキントもまた強くうなずき言葉を続ける。
「そのためには、審聖官を説得する必要があるだろう。だが今回は、そなたにも説得に足るだけの駒が揃っておろう」
「は、はい、そ、その、頑張れると、思います」
「わらわも出来る限りの応援をしよう。わらわとて力をつけたのじゃ。
今ならば王家の中でも発言力を持っておるし、シルクザイア王国もわらわに期待を寄せておる。
……簡単に捨て駒になどなるものか。わらわは、わらわの意志で、そなたとともに戦うのじゃ」
「……はい、あ、あなた様と、一緒に戦えることを、嬉しく思います」
予想以上の力強い言葉に気圧されると、モレアンキントが握りしめた手を胸元まで引き寄せる。
「なんじゃ、そう他人行儀にするでない。
……わらわの小鳥よ。そなたは、わらわを絶望から引き戻してくれた。何よりも大切な、希望そのものなのじゃ」
「こ、光栄、です」
あまりに恐れ多くて震えるが、それでも嬉しさと気恥ずかしさが勝ってしまう。
震える指先で、ミディアもそっと手を握り返す。
そのぬくもりが、胸の奥まで染み込んでいくようだった。
「そ、その、もしかして王都近辺で行方不明になった孤児の調査は、モレアンキント様がリリアナ嬢に依頼したのですか?」
「うむ。……焼き菓子の事件以降、ゼファン家とはつながりが出来たのでな。
わらわは、孤児たちの失踪とマティス卿の行いに関して示唆したものの、はっきりと指示を出した訳ではない。もし何か不測の事態が起こった際に、それを防ぎきれるほどの力をわらわは持っておらなんだ。
故に、強制するようなことはしなかったつもりだが、あの令嬢はわらわの意図を正しくくみ取ってくれたようじゃった。
全ての事が片付いた折には、ゼファン家は格別な取り立てをしてやらねばならぬな」
「そう、ですね。こたびの件でたくさんの私財を失ったと思いますので、モレアンキント様のお力添えがあればさぞ心強いと思います」
こうなってくると、モレアンキントはコルテア卿ともつながりを持っていたと考えるべきだろう。
そうでなければ、この場面でコルテア卿がモレアンキントを連れてやって来ることなどあり得ない。モレアンキントも周囲を見回し、誰を味方に引き込むかをじっくり考えたことだろう。
そこでゼファン家とコルテア卿を選んだことは、かなりの鑑識眼の持ち主だ。
ミディアがともに手をとって、命運を賭けるべき相手として最高だ。
「わ、私……頑張ります。必ず、魔術式を認めさせます。
モレアンキント様、一緒に……戦いましょう」
「ええ。そなたと共にあれることを、わらわは──心より誇りに思っておるぞ、我が小鳥よ」
***
いよいよ聖院大評定は始まった。
聖院大評定は教会関係者が重大な取り決めを行う際に開催する会議の場であり、敷地の中でももっとも警備が厳重な建物で行われる。
六角形の荘厳な建造物。その正面には神の如き威容をたたえたエダンの像がそびえ、内部には聖遺物とされる石像や、聖戦に使われたとされる剣や盾が並ぶ。
それらは静寂のなかに、威圧感すら放っていた。
実のところそれらは精巧に作られたレプリカであり、本物はリトルローデンの宝物庫に収められているとも言われているが、ミディアにはその真偽は知るよしもなかった。
六角形の建造物の中にあるホールはすり鉢状になっており、もっとも低くなる中央に証言台がある。
それを取り囲む形で審聖官たちの席が置かれていた。
天井は振り仰ぐほどに高く、巨大な天井絵にはロタティアンの加護を得たエダンがドラゴンたちと戦う姿が描かれている。
会場の各所に神殿騎士が立っており、なかなかに物々しい空気だった。
ドアが開かれ、24人の審聖官達が入場する。その最後に大司教が入場した。
国王の姿は見えないが、審聖官の中には王族出身の者もいる。恐らく、国王の言葉を代弁するためにこの場にいるのだろう。
ミディアはひっそりとコルテア卿の傍らに控えていた。
モレアンキントは大評定に参加することは出来ないそうだが、大聖女に指名を受けることが内定しているために、控えの間で待機しているとのことだった。
まず最初に、発生した魔瘴の規模、被害状況などの報告が行われた。
次に神殿騎士のフレイが壇上に立ち、魔瘴が召喚された経緯についての報告を行う。
竜族の出現について言及すれば、審聖官の多くが不快そうに顔をしかめたが、コルテア卿を始めとする幾人かの審聖官は淡々と報告に耳を傾けているようだった。
ミディアは身じろぎもせずに彼らの反応を追った。
目の動き、口元の硬さ──そのすべてが、信仰か、それとも利害かを雄弁に語っていた。
報告に対する反応一つ一つからも、審聖官たちの立場や思想が透けて見えた。
コルテア卿のようにロタティアンを妄信する訳ではなく、教会との利害関係にアドバンテージを持っている事により審聖官の座に着いた者たちは、一様に淡泊な反応を見せている。
一方でロタティアンの熱心な信者達は、竜族という言葉ですら強い忌避感を抱いているようだった。
つまり、彼らこそがミディアが説得しなければいけない相手だった。
教会の大評定であるのだから当然だが、ロタティアンの信者である審聖官がおおよそ三分の二をしめている。
この割合が多いとみるか少ないとみるかは、こういった場に馴染みのないミディアには難しい。
一通り報告が終わったところで進行役の審聖官がミディアに壇上にあがるように促した。
「ここで、本来であれば尋常ならざる危機を解決すべく大聖女様の選出に移るところですが……、魔塔より三ツ紋魔術師であるミディア・ロストバラン殿より聖院大評定に対して提案があるとのことでお招きいたしました」
「三ツ紋」の肩書きに、多くの審聖官たちが眉をひそめた。
視線のいくつかは露骨に冷たく、「子供の戯言を聞くつもりか」とでも言いたげだった。
ただ、ロストバランの家名と、壇上に向かうミディアがまだ幼いことを見れば、面と向かって異を唱える者はいなかった。
「ミ、……ミディア・ロストバランと申します。この度は、私のような若輩者に発言の機会を与えて下さいました事、心より感謝もうしあげます」
大司教に向かって丁寧にお辞儀をしてから、ミディアは大きく深呼吸をした。
「まず始めに、大司教様および審聖官の皆さまにお詫び申し上げます。
わ、私は魔術師であるため、これから説明する様々な事柄に関して、魔術師としての視点でお話することになります。例えば教会が行っている奇跡に関しても、術式として説明しますが、ど、どうか、寛大なお心で受け止めて頂ければ、と、思っております。
私は、教会の教義を熟知している訳ではないので、言葉の選び方などが、不敬であると感じる方がいるかもしれません。た、ただ、唯一神ロタティアンならび教会の教義に関して、ないがしろにする意図はありません」
以前のミディアであれば、要点から話し始めてしまったかも知れない。けれどミディアは様々な人、それにコボルト達などの異種族とも触れ合った事で、独自の文化の大切さを学んできた。
初めて見た時のカエルの丸焼きはとても食べる気にはなれなかったが、口にしてみれば美味しかった。
コボルトに対してミディアは沢山の偏見を持っていたと知ったのだ。
教会の教義もミディアから見れば、不合理で理解しがたいことが多かった。正直、カエル以上に咀嚼して飲み込むのが難しいと思えるほどだった。
だが今なら、その“異質さ”の向こうに、守るべき信念があると分かる。
ロタティアンの信徒から見れば、魔術師こそが理解しがたい存在なのだから。
「私はノズガリア地方の鷹巣砦にて発生した魔瘴にて、聖女エレナローズが浄化の儀を行う場に居合わせました。
そこで、浄化の奇跡を間近で見たことにより、どのような術式で構成されているのかを把握することが出来ました」
審聖官たちの間でざわめきが起こる。
ミディアは再び深呼吸をすると、魔法式を書いた紙を広げた。遠くからでも見れるように大き目の紙に書いたそれを記録板に固定する。
記録板とは、木製の板に皮ひもや釘で資料をはりつけて提示するためのもので、会議の場では必ずと言っていいほど登場する。
「……審聖官であり、奇跡の担い手でもあるシンクレア様にお伺いいたします。この式に誤りはありますか?」
ラシャド王国の聖女の代表として審聖官の座についているシンクレアは、貴族出身であり、齢50歳を超えた女性だった。
シンクレアはしばし目を細めて魔法式を見つめた後に口を開く。
「細かな誤りはございますが、正しいと申し上げても問題のない範囲でしょう」
「シンクレア様、ありがとうございます」
ミディアは深々と頭を下げた。聖女であるシンクレアに対して奇跡を魔法式として提示するのは無礼と誹られても仕方ないような行為だろう。だがシンクレアはミディアが魔術師であることを寛容に判断してくれたのだ。
術式に誤りがないことを証明したミディアは、次に魔瘴の規模がエーテル量によって測定できることを説明した。
その上で、平均的な人間の魔力量を魔法式にあてはめ、魔瘴の規模にたいしてどれだけの魔力が必要になるかを逆算していく。
「このように、術式というのは各項目において定められた魔力を消費していきます。つまり、魔瘴の規模を数値化することが出来れば、それを封印するためにどれほどの魔力が必要になるかも計算することが可能です」
魔法式の書かれた紙にミディアはどんどん数字を書き込んでいく。
「今回エストリアで発生した魔瘴については、現時点で直接的なエーテル濃度の観測が行われておらず、正確な数値の算出は困難です。しかし、魔瘴の可視領域の広がりは、発生源周辺のエーテル拡散量と強い相関を示すため、既知の魔瘴との比較によって暫定的な数値を推定することが可能です。
こちらがエストリア周辺、こちらが鷹巣砦周辺の地図となります。赤で示された領域が、現地調査に基づいて推定された魔瘴の外縁です。
面積換算により、今回の魔瘴の拡散規模は、おおよそエーテル濃度換算で1200前後に達すると見られます。
この値は、かつてエジスーラを壊滅させた魔瘴の規模と、ほぼ同等のものであると推定されます」
改めて地図を取り出すと、傍らにいた神殿騎士がそれを掲げる手伝いをしてくれた。
「よって、この魔瘴を封印するために必要となる魔力は、……平均的な魔術師おおよそ50人分となります」
会場がざわついた。「馬鹿な」「大嘘だ」と声が飛び交うが、大司教が手をあげると審聖官たちは静かになる。
「ほ、本題はここからです。現行の術式で魔瘴の封印が難しいという事はご理解いただけたかと思います。よって私は、多人数で魔力を流し込める術式を考案いたしました。それがこちらです」
ばさばさとまた大きな紙を広げると、別の神殿騎士がやってきて記録板にはりつける手伝いをしてくれた。
ミディアとしては神殿騎士たちが協力的なのが意外だったが、彼らは魔瘴が出現する最前線に赴くことがある。目の前で聖女が犠牲になったこともあるだろう。故に彼らなりに思うところがあっても不思議ではなかった。
「本術式を運用することで、魔瘴の封印に必要な供給者は約30名にまで削減可能です。
人数が先の試算よりも少なくなっているのは、エーテル変換部に錬金術師が使用する変換装置を一部代用した構成としたためです。
これにより、供給効率の向上と術式負荷の軽減が見込まれます」
錬金術師と話題にあがれば、幾人かの審聖官がコルテア卿へ向け忌々しげな視線を向けるが、当のコルテア卿は実に涼し気な顔だった。
「以上が、今回発生した巨大魔瘴を封印するための提案となります。どうか、前向きな検討をお願いします」
ミディアが頭を下げると、会場は一瞬、凍りついたような静けさに包まれた。
まるで、この場に集った全員が、言葉を失ったかのように──。
だがふいに一人の審聖官が顔を真っ赤に染めて立ち会がる。
「この異端者めッ!!!!!! 神聖なる大評定の場で虚偽を並べたてるとは何と悍ましいことか!」
そうだそうだ、と何名かの審聖官が同調する。
「だいたい唯一神ロタティアンの奇跡を魔法式にあてはめるなど、まるで異教徒の策略のようではないか?」
「仮に術式に変換することが可能だとして、エストリアの魔瘴の正確な規模が分からないのでは話にならん。頭でっかちな魔術師の空論だ」
ざわめきが広がり、審聖官たちが口々に意見を投げかける。
ミディアの意見を敵視する声は大きく、中立を保っているであろう審聖官たちは議論の成り行きを見守るように黙している。
「まったく話にならん! 異端審問にかけられる前にこの神聖な場から立ち去るがいい!!!!」
審聖官の一人が立ち上がって大声で叫ぶ。
その瞬間、会場の扉が重々しく軋み──
騒然とした空気を切り裂くように、よく通る声が響き渡った。
「──異議を申し立てる!」
炎のような赤髪をたなびかせ、魔塔最上級の象徴である五ツ紋の黒いローブが、その姿に重々しい威厳を与えていた。
その名は、ロベルト・ロストバラン。
すなわち、ミディアの父であった。




