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サムタ・デラから転送の魔法式を用いて王都に到着したミディアは、聖院大評定の行われる大教会の一室で待機していた。
本来であれば一度屋敷に戻り、迷惑をかけることになる両親に謝罪しておくべきだった。
だが大評定の時間は差し迫っており、屋敷に戻るだけの余裕はなかった。
ミディアが待機しているのは王都内でもっとも大きな教会だ。
様々な式典にも使われる巨大な聖堂や教会の各種手続きを行うための施設が集まっている。
性質上、魔塔やサムタ・デラの錬金術師たちの総合施設にも似ているが、そこに流れる空気はまったく異なっていた。
魔塔や錬金術師たちの施設は学問の場であるが、教会は信仰のための場所だった。
故に、廊下を行きかう人々も皆静かに歩いている。これが魔塔であればそこかしこで活発な弁論が繰り広げられていたことだろう。
その静けさは廊下だけでなく、教会のあらゆる施設に共通していた。
聖職者たちの食堂までもが物音一つ立てず、思わず腰が引けるほどだった。
礼拝堂のある方角からは常に祈りの声が聞こえ、香の匂いが漂ってくる。
住み慣れた街に帰って来た筈なのにまるで異国の地を訪れたかのようだった。サムタ・デラやエストリアよりもよほど疎外感を感じてしまう。
ミディアは好奇心旺盛な方だったが、教会内部を見て回るという気分にはなれなかった。
そこでコルテア卿のために用意された控室で資料の見直しをしながら僅かな残り時間を過ごしていた。
「ミディア様、ゼファン家より書簡が届いております」
部屋の警備についている神殿騎士が控えめにドアをノックする。
すぐに書簡を受け取ると、それはリリアナからのメッセージだった。
『ミディア嬢、その後いかがお過ごしでしょうか。聖院大評定に参加なさると伺い、急ぎ筆をとりました。
魔瘴を逃れ王都へやってきた民達は日々増えていく一方です。皆、魔物の襲撃に怯えながら過ごしております。
ゼファン家は貯蓄庫を解放し、食事の配給を行っております。これにはゴッドウィン家も賛同して下さり、備蓄の食料を届けて下さりました。また、前線に出ることのない騎士団見習いの方々が、避難民のキャンプの警護にあたって下さっています。
まだ先の見えない日々が続いていますが、聖院大評定が開かれれば解決に向けた審議が行われることでしょう。
どうかミディア嬢の献策が聞き届けられますように。
審議の場に同席ができないこと、残念ではございますが、ゼファン家ならび避難民一同、心より願っております』
書簡を読み終えたミディアは、わずかに首を傾げた。
記されていたのは、すでに知っている、当たり障りのない事柄ばかり。
なぜリリアナはこのタイミングであえて書簡という形でミディアにコンタクトを取って来たのだろうか。
「君のご友人は執政者としてなかなかに良い才能を持っているようだね」
穏やかな笑みをたたえながら部屋に入ってきたのはコルテア卿だった。
「ええと、……?」
「おや、気づかなかったかね。これは、いわば審聖官に対しての脅迫状だ」
「え?」
ミディアが固まるとコルテア卿は「ほっほっほ」と楽し気に笑う。
「城門前に避難民たちが集まっている事は知っているだろう。彼らは疲弊し、怯え、一刻もはやく街の中にいれろと訴えている。その不満は日々高まるばかりだ」
「はい」
「それを何とか抑えているのは誰だと思う?」
「ええと、……ゼファン家、ですか?」
「その通りだ」
コルテア卿はおだやかに頷いた。
「彼らはエストリアで自らの商船の積み荷を捨ててまで民を逃がすことに尽力した。陸路から逃げた者たちにも、鉄鼠衆という私兵をつけ警護した。そして今もまた私財を投げうって食料を提供している。
そんなゼファン家の導きがあるからこそ、避難民たちは怯えながらも何とか暴動を起こすことなく過ごしている。
──避難民の動向は、ゼファン家が握っているといっても過言ではない」
「……なるほど」
「そして、国を守るべき騎士団、おもにゴッドウィン家が率いる騎士団は魔瘴から生み出されたモンスターを退治すべく最前線で戦っている」
「つまり、……城門を守るべき兵力が不足している、という事ですね」
「その通りだ」
改めて情報を整理して、ミディアはようやくリリアナの意図に気が付いた。
「それって、その、反逆罪すれすれの恐喝をしている、ような、気がするのですが……」
「実際に反逆行為をしている訳ではないからね。現時点での彼らの行いは褒められこそすれ誹られる謂れはないだろう」
「そう、ですね、……」
つまり、これは『てめぇら、ミディア嬢の作戦をくだらない理由で却下しやがったら、避難民を決起させて王都を大混乱に陥れてやっからな』という事を匂わせるための書簡だったという事だ。
リリアナはこの書簡の内容が教会の上層部に筒抜けになることを見越していた。
その上で、あえてこのタイミングで送ったのだ。
……リリアナ嬢、やっぱり怖い。知ってたけど、やっぱり怖い。
思わず指が震えた。
「さて、もうじき大評定が始まるが、その前に君に会いたいという人物を連れて来た」
「私に、ですか?」
「ああ、そうだ。丁度来られたようだ。私は席を外そう」
「は、はい」
一体誰が尋ねて来たというのだろう。
ジュードか、あるいは、父であるロベルトが来たのだろうか。
コルテア卿が部屋を出ていくのと入れ違いでやって来たのは、頭から真っ白なベールをかぶった女性だった。
ドアが閉められると同時に、女性はゆっくりとベールをはぎとった。
その顔にミディアは驚愕して固まった。
「も、……モレアンキント、様!?」
そこにいたのは第三王女のモレアンキントその人だった。
蜂蜜色の髪が波のように流れ、褐色の肌には艶やかな光沢があった。
その瞳は、まるでアメジストの宝石を宿しているかのように、静かに輝いていた。
「おおおおお、王国の黄金の月にご挨拶もうしあげま……」
「良かった、わらわの愛しき小鳥」
慌ててカーテシーをとろうとしたミディアを、モレアンキントは足早に近寄って抱きしめた。
「ひいいうう、も、モレアンキント、様?」
抱きしめられた瞬間、甘く妖しい香りがふわりと立ちのぼった。
ジャスミンと蜜柑の皮、それに乾いたバラの花弁をすりつぶしたような香りに仄かに混じるサンダルウッド──甘く、熱を帯びた芳香が衣のすき間から立ちのぼり、全身がその香りに包まれる。
「わらわの小鳥、そなたが無事で本当に良かった。なんの助けも出来ず、苦労をかけたな」
「い、いえ、あの、その」
モレアンキントの手はかすかに震えていた。
そのことに気づいたミディアは、その体を恐る恐る抱きしめかえす。
「ご、ご心配を、おかけしました。王女様におきましても、ご苦労が絶えなかったことと存じ上げます」
「そなたは優しいな。このような小さな体でさぞ恐ろしい目にあってきたであろうに」
「だ、大丈夫、です、私は、……私は、みんなに、助けて、貰ったので」
ディアドラの事を思い出して、こみあげてくる涙を、歯をくいしばるようにして押しとどめた。
「モレアンキント様、その、今ならばお話いただけますか? あなた様が何を知っているのかを」
「もちろんじゃ。わらわはそのためにここに来たのじゃ」
「で、では、その、ひ、ひとまず座って下さい。こ、このままでは、その、落ち着かないので」
流石に抱きしめられたままで話を聞くのは落ち着かない。
モレアンキントをソファに促すと、ミディアは改めて麗しき第三王女と向き合った。
***
「不思議なものじゃな。わらわはこの瞬間を何度も想像してきた。
そなたと向き合い、話をすることを何度も考えたのじゃ。だがこうして改めて向き合ってみると、……何から話して良いものかと思案してしまう」
「モレアンキント様が、お話しやすい事からで構いません」
「……そなたの見た未来の話から始めよう。
すでに想像がついておろうが──あの場にいた“大聖女”とは、わらわのことじゃ。わらわは、巨大な魔瘴を封じるため、命を賭して“奇跡”を行おうとしておった。
……じゃが、それは、叶わなかった。
封印を成しえるよりも前に、悍ましく巨大な何かが現れ、瞬く間に我らを蹂躙した。それは、あまりにも一瞬であまりにも圧倒的な出来事じゃった」
モレアンキントは目を伏せる。
「──わらわは絶望した。民が殺されていく様を目の前にして、何一つできなかった。
わらわ自身の命も、風前のともしびだった」
モレアンキントは一度言葉を切ると、黄金色の長いまつ毛を震わせた。
彼女にとってみれば、その恐ろしい光景は昨日のことのように脳裏に焼きついているのだろう。
「……その時、わらわは感じたのじゃ。誰かが門を叩く音を。
あれは門の精霊ネフェリリの気配だった。転送の門よりもはるかに不安定なそれは、だがわらわにとって最後の希望だった。
故にわらわは、最後の力をふり絞ってその門を開き、そして、──そなたの手を握ったのじゃ」
「私の、手を、……」
思わず自分の手を見つめる。
小さな手。
貴族の家に産まれたミディアの手は、か細く、とても頼りない。
ミディアはずっと疑問に思っていた。
未来視の魔法は一度しか完成しなかった。それはまるで”その時だけどこかから足りないパーツが飛んできた”かのようだった。
──間違いではなかったのだ。
あの魔法は過去と未来、その双方が手を伸ばしてはじめて完成するものだったのだ。
ミディアが未来へと手をのばし、それをモレアンキントが握り返したことによって、僅かな間だけ重なりあった。
その時、ミディアは自分自身の魂と記憶が混ざりあったのだろう。故にその記憶は、未来視においてミディアが死亡する直前までのものだった。
「……あの瞬間、わらわは、持てるすべてをそなたに託した。
門が閉じるその刹那、魂の形さえも手放し、わらわはそなたとともに──時の流れを逆しまに駆けたのじゃ」
「つ、つまり、……過去、に戻った……?」
「うむ。故にわらわは、二つの記憶を有している。魔瘴によって滅びた世界の記憶と、今わらわ達がいるこの世界だ」
ミディアは驚きのあまり、しばしは相槌をうつことさえ出来なかった。
そんなミディアにモレアンキントは柔らかに微笑みかけると、再びゆっくりと話しはじめる。
「過去にたどり着いたわらわは、絶望の未来をかえるべく何が出来るかを考えた。同じ轍を踏んではならぬと自らに言い聞かせた」
「モレアンキント様が記憶を持ち帰ったのはいつだったのですか?」
「ちょうど謝霊祭のころだったな。毒入り焼き菓子事件が未遂に終わったころじゃった」
「だとすれば、私が未来視を発動させた時期とほぼ一緒ですね」
「なるほど。そうであったか」
モレアンキントは懐かしむように目を細めた。
「あの事件、以前のわらわは動揺するばかりでな。本気でわらわを蹴落とそうとする一派がいる事を想像しておらなんだ。
わらわは所詮、第三王女。シルクザイア王国からの支援も薄く、孤立した存在であった。
……故に、抗争にも巻き込まれることなく捨て置かれると思っておった。
じゃが、貴族たちはほんの小さな憂いであっても、排除したいと思うらしい」
「モレアンキント様、……」
「良いのじゃ。あれはわらわが未熟であったが故。この国に滅びを招いた責任の一端はわらわにもあったのだ」
モレアンキントのアメジストの瞳が悔恨に揺れる。
「巨大魔瘴が現れた時、わらわはあの魔瘴を封印することが不可能であると分かっていた。だが、それを聞き入れてくれる者はいなかった。
国王にとって、娘のひとりを聖女として差し出すことは、“封印の成否とは無関係に、民衆の怒りを逸らす盾”でしかなかったのじゃ。
教会もまた同じく、魔瘴の封印が不可能であると知りながらも、大聖女であり第三王女であるわらわが命をかける事により、国民の同情を得られるであろうと考えた。
そしてわらわの故郷も。シルクザイアの血を引いたわらわが犠牲になる事によって、失われた発言力を取り戻すことが出来ると考えたのじゃ」
ミディアは息を飲む。
アレクシアとリリアナが言っていた事は真実だった。
未来視で見えた光景では、まるで“彼女だけが守られる価値ある存在”として扱われていた。
だがその実、彼女は……すべての陣営から切り捨てられた、哀れな駒だったのだ。
「わ、私の見た光景では、ジュード殿やアレクシス殿、フレイ殿があなたを御守りしていたように思えたのですが」
心に引っかかっていた事を尋ねると、モレアンキントはゆっくりと頷いた。
「……彼らは、わらわの身の上をよく理解してくれていた。
そして、そなた達への処断がもはや変えられぬものだと分かった時、国を救うべく残された唯一の手段としてわらわを守り抜くと決めたのじゃ。
彼らは正しく状況を理解していた。
もはや残された希望が僅かであることを誰よりもよく分かっていたのじゃ。
じゃがな、わらわはその事を真に理解してはおらなんだ。
最初の生でのわらわは、自分の不幸を嘆くだけのか弱く、愚かな娘だった。僅かに手を差し伸べてくれる者たちに縋り、そのことがより分断を生むなどと思いもしなかった」
モレアンキントは恥じ入るように俯いた。
「わらわは、自分の身の上ばかりを嘆いて、周囲の思うままに踊る哀れな道化師だったのじゃ。
だが、現実はもっと残酷だった。わらわの繰り糸を握っていた筈の者たちですら一息で吹き飛ばすほどの。
民意を操っていたつもりの役者たちも、絶望そのもののような存在を前にしては、ただの塵──いや、声すら残さぬ灰と化したのじゃ」
モレアンキントは長く深く溜息を吐いた。
伏せられたまつ毛は滲みだした涙によって濡れている。
伏せたまつ毛がゆっくりと上がると、その奥に宿っていたのは、かつての彼女とは別人のような意志だった。
それはもう、王国の道化ではない。“運命を変えんとする者”の眼差しだった。
「……それでも、あれはもはや“今”ではない。たとえそれが未来であったとしても、わらわにとっては、過ぎ去った出来事なのじゃ」
過去と決別するようにモレアンキントは言い放った。
「──過去に戻ったわらわが真っ先に考えたのは、未来視の術式を使ったものを探しだすことだった。しかしその時点ではわらわはそなたを見つけ出すことが出来なかった」
「そ、それはそうだと思います。私は、あの時まだ一ツ紋すら取っていない魔術師だったので」
「そうじゃな。それは驚きじゃった」
モレアンキントは軽やかに嗤う。
「だが、わらわは以前と違う動きを見せている者がいることに気が付いた。ゼファン家とゴッドウィン家の令嬢たちだ。あの二人は焼き菓子事件の際にも尽力してくれたが故によく覚えていた。
わらわの記憶では、アレクシア嬢のゴブリン退治は手痛い失敗に終わっていた。
しかし、──こたびは成功した。
その理由を調べたところ、そなたの活躍に行き当った。そこでわらわは、未来視を行ったのがそなたであると考えたのじゃ」
「アレクシア嬢のゴブリン討伐は、失敗していたんですね」
「うむ。あれは悲劇であった。ゴブリンの襲撃を受けトトリノ村は全滅。討伐に向かった騎士団の多くも犠牲になった。
アレクシア嬢は逃げおおせたものの、ハト派貴族からの激しい非難にさらされ騎士としての出世を絶たれる事となったのじゃ」
「……あ、アレクシア嬢も、あの遠征は彼女を失脚させるためにあったのだろうと、そう言っていました」
「その通りじゃ。だが、……悲劇は防がれた。
それを目の当たりにし、どれほど心が躍ったことか」
モレアンキントの瞳がゆるみ、熱に揺れる。
「──未来は、変えられる。あの絶望の光景を止めることが出来る。
そなたらの活躍がわらわにそれを気づかせてくれた」
「あ、ありがとう、ございます」
「礼をいうのはわらわの方だ。わらわだけでは、魔瘴に立ち向かうことは出来なかった」
だがその情熱を前にミディアは後ろめたさに押しつぶされそうになっていた。
握りしめた手が震える。
ミディアは口を開きかけては飲み込み、それを何度か繰り返し、ようやく言葉を絞り出した。
「で、ですが……魔瘴の発生は、私が見た未来よりも遥かに早まってしまったんです。
それは……私が、何か、取り返しのつかない間違いを犯したからではないでしょうか……?」
「──それは違う」
モレアンキントの声は、芯から揺るがぬ想いを湛えていた。それは否定ではなく、確信だった。
「わらわがここに来たのは、まさにそのことを……そなたに伝えるためじゃ」




