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どうぞよろしくお願いいたします。

 再びランブロッサ家の中庭にあるガゼボにてコルテア卿と向き合ったミディアは、精神と体力をすり減らし、まるで魂の抜け殻のように疲れ切っていた。

 たくさんの書物を読み、マルベルからはエーテル変換装置に関する知識を強行軍で詰め込まれ、頭が破裂しそうになっている。


 「いやはや、随分と疲れた顔をしているね。私からの宿題はそんなに大変だったかな?」


 コルテア卿に尋ねられて、ミディアはふるふると首を振る。


 「い、いえ、その、大変ではありましたが、とても有意義で、貴重な体験、でした」

 「それは良かった。ひとまず甘いものでも食べなさい。糖分は脳にきくもっとも甘美な薬だ。ほら、好きなデザートをとってあげよう。ケーキがいいか、それともこっちのパイにするかね?」

 「ええと、その、で、では、パイを」

 「ふむふむ。このパイはうちの庭でとれた木苺を使ったものだ。甘酸っぱくて私も大のお気に入りだよ」

 「ありがとうございます」


 木苺のパイは、一口かじった瞬間に思わずため息が漏れるほど美味しかった。

 サクサクと香ばしく焼き上げられたパイ生地の上には、なめらかで濃厚なカスタードクリームがたっぷり敷かれている。

 その上に並べられた木苺は、まるで宝石のように艶やかで、噛めばぷちんと弾けて、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。

 さらに、全体を包み込むようにとろりとかけられた甘いシロップが、カスタードのまろやかさと木苺の酸味をふわりと調和させていた。

 香ばしさ、甘さ、酸っぱさ、すべてがちょうどよく重なり合い、じわじわと疲れた頭と体に染みわたっていく。

 ──もう少しだけ、何も考えずこの味に浸っていたい。

 そう思わせる、完璧なご褒美のような一皿だった。


 「美味しい、……」


 ほとんど呆けたように呟くミディアにコルテア卿は目を細めながら紅茶を啜る。


 「食べながら、ゆっくりで構わない。君が得てきたことを話してくれるかな?」

 「は、はい。ゾ、ゾデルフィアは、かつてロタティアンと二つで一つの精霊であったと考えます。

 調和をつかさどる精霊と言われたロタデルフィアがドラゴン族の長、原初の母と言われる存在を封じるために切り離した半身がゾデルフィアであり、残った半身がロタティアンではないかと」

 「ふむふむ、実に素晴らしい。この短期間でよくぞそこまでたどり着いた」

 「コルテア卿も、そのようにお考えなのでしょうか」

 「実際に何があったのかを知るものはなく、正確な資料も存在しない。だがかつての文献から判断すれば、私も君とほぼ同意見だ」

 「はい」

 「ではゾデルフィアの正体が分かったことで、教会を説得するのがいかに大変かも分かっただろう」

 「そう、ですね。教会はロタティアンの半身がゾデルフィアだと言うことを認める訳にはいかないでしょう」

 「ならば君はどうするかね?」


 即答はできなかった。ミディアはしばし沈黙する。


 「……正直、分かりません。

 ロタティアンを唯一神とする教会は、精霊魔法を扱う魔術師たちとはあまりにも考えが異なっていて、戸惑うことばかりです。

 それでも、差し迫った危機を目の前にすれば、協力しあえるのではないかと考えるのは甘いでしょうか」

 「甘いかと言われれば、その通りだと言わざるを得ない。

 ただ、君の言うとおり今まさに我々の戸口まで差し迫った危機を前に、解決策に目をつむることも難しいだろう。

 それでも君は大評定に出席し、彼らの説得を試みるかね?」


 ミディアはパイを食べていたフォークを置いた。

 コルテア卿に向き直ると、しっかりと視線をあわせて深くうなずく。


 「はい。私は、……解決手段となりうる策を持っているのに、黙って過ごすことは出来ません」


 魔瘴を封印して消え去ったエレナローズ。

 ミディア達を逃がすために戦うことを選んだディアドラ。


 ここまで来るのに犠牲になった人は彼女らだけではない。

 そしてもしミディアが口を噤み安寧を選べば、──より多くの犠牲が出るだろう。

 その筆頭は、大聖女として祭り上げられようとしている第三王女、モレアンキントだ。


 「いいだろう。君がそこまで覚悟を決めているのならば私も手助けをしよう」

 「すいません、その、我儘を言って」

 「こんな時は謝罪よりも『ありがとう』を聞かせてくれた方が嬉しいよ。それに魔瘴封印が失敗に終わればこの街も滅びる運命となるだろう。私とて他人事ではない話だ」

 「はい、……ありがとうございます」

 

 一度言葉を切ってから、ミディアはずっと気になっていたことを尋ねてみる事にした。


 「あ、あの、その、コルテア卿は、その、なぜマティス卿がゾデルフィアに傾倒してしまったのだと思いますか?」

 「それは、私にも分からないことだ。だが、あの男とは何度も顔を合わせたことがある。

 あれは、……正直なところ、まったくもって面白味のない男だった。古臭い考えに固執し向上心のかけらもない」

 「て、手厳しい……」

 「だが、かつての彼は確かに高潔な男であった」

 「はい。私も、港町エストリアで彼の偉業を聞いてそう感じました」


 ミディアは神妙に頷いた。

 コルテア卿もまた眉間に皺を寄せながら紅茶のカップを傾ける。


 「あの男が大きく道を踏み外す少し前にも、話をした事があった。彼は神の声を聞いたと、そんな事を言っていたよ。

 実際、あの男は時間さえあれば神に祈っていた。魔術師が精霊の声を聞いたという事例が数多く存在するのだから、マティス卿が光の精霊の声を聞いたとしてもおかしくはないだろう。

 ……だがそれが、光の精霊と体を分け合っていたゾデルフィアであったら?

 もとは双子であった精霊だ。それだけ存在が近ければ、同一に近いもう一方の精霊の声を聞いてしまう事もあったかもしれない」

 「それがゾデルフィアの声だったとして、ゾデルフィアは邪悪な存在になってしまったという事でしょうか」

 「そうではない」


 コルテア卿は首をふる。


 「元の性質を思い出してみればいい。

 あれは対局の性質をもった精霊なのだ。人が善と信じることを同じように断じるとは限らない。

 あるいは、……あまりにも長い間、原初の母と時間をともにした事により、その根源が染まってしまった可能性もある。

 いずれにせよ、ゾデルフィアの思惑を我らが知ることは難しいだろう」

 「そう、ですね」

 「話はこれくらいにしておこう。君は随分と疲れているようだ。ここにあるデザートを沢山食べてしばらくは休んでいるといい。その有様では大評定の古だぬきどもと渡り合うのは大変だぞ?」

 「あ、いえ、あの、実はもう一点ご相談したいことがありまして」

 「ふむ、なんだね?」


 ミディアはパイの乗った皿をそっと横に寄せ、指先に少し力をこめて、慎重に設計図を広げた。

 何度も折りたたんだ紙には、小さなインクの染みや、手汗の痕まで残っている。


 「あれだけ大規模な魔瘴となれば近づくのはあまりにも危険だと思いなおしました。

 ……となれば、ぎりぎり安全圏で魔法式を書くとすると、そこは中心部ほどエーテル濃度が高くはないため、変換に要する魔力量が増える可能性があります。

 エーテルの魔力変換を削って、魔術師を増やすことで魔力量を補う手段もありますが、あまり人数を増やすと防衛が難しくなります。

 そこで、錬金術師が使っているというエーテル変換装置を活用すれば魔力も消費もなく、より効率的にエーテルを変換することが出来るのではないかと……」

 「ふむ、見せてみなさい」


 コルテア卿はびっくりするほどの食いつきだった。

 すぐさま眼鏡をかけるとテーブルの上においた図面をじっと見つめ、ぶつぶつと何か呟きはじめる。


 「ふむふむ、なるほど、魔術式に変換装置を組み込んで、……」

 「あ、あの、その、付け焼刃の知識で書いたものなので、何かと不味いところはあると思うのですが」

 「君がこの変換装置の図式を書いたのかね? いつ錬金術の勉強を?」

 「つ、ついさっきです。マルベルさんに教わりました。そ、それに魔術でよく使う術式を組み込んで……」

 「ふむふむ、……ここでエーテルを、……」

 「あの、ええと、……」


 ミディアが戸惑っているとコルテア卿が手を叩いて執事を呼び寄せた。

 どこに隠れていたのか、さっと現れた執事にコルテア卿は早口で指示を出していく。


 「ガラティアの工房からルコイを、サイアの若いのも呼べ。学園にも声をかけて、変換装置の専門家を揃えたい」

 「カマイア工房のジョゼリンは?」

 「それも頼む。面白いやつだ」


 執事が足早に去っていくと、コルテア卿は再び設計図に向き直り、眉間に皺を寄せて唸りはじめる。


 「あ、の、その、こ、コルテア卿?」

 「ああ、すまないね。しばらく集中したい。悪いが隣のテーブルに移動して、デザートを食べていてくれるかな?」

 「は、はい」

 「仮眠をとって貰っても構わないよ。だが工房の連中が来たら君からも説明をして貰うことになるだろう。もうしばらくここにいてくれるかい?」

 「も、もちろんです」


 ミディアがデザートの乗った皿を持って隣のテーブルに移ると、給仕たちが集まってきて他のデザートや紅茶も移動していく。

 コルテア卿は新しい玩具を得た子供のように、設計図に夢中になっていた。




 ***




 コルテア卿が呼び寄せた技師や専門家たちが集まってくると、優雅なガゼボはまるでどこかの工房のように騒がしくなった。

 とにかく「至急」と呼び出された技師たちは作業着のままだったし、専門家たちもミディアが魔塔に籠って研究に没頭しているときと同じような、よれよれのローブにぼさぼさ頭の者もいる。

 彼らは、ミディアの書いた設計図を見ると一様に眉をつりあげた。


 「おいおい、こりゃひどい。マナ回路の流路設計が全体的に甘すぎる」

 「この術式の繋ぎ方、論理崩壊してんぞ。何で出力と安定化が直列になってんだ?」

 「うちの生徒だってもうちょっとましな図を書きますよ」


 さんざんな言われようにミディアは肩を縮こませる。

 だがコルテア卿はお構いなしにそんなミディアを紹介した。


 「この図を書いたのは、そこにいるお嬢さんだ。自己紹介をしてくれるかな?」

 「……ぅ、あ、……は、はい、わ、私は、ミディア・ロストバランと申します」


 立ち上がってペコリと頭を下げると、一同はしんと静まりかえる。


 「──ロストバラン?」

 「あの、魔塔の筆頭魔術師の家系の?」


 耳が痛い。ミディアはますます縮こまるが、錬金術師たちの反応は予想とは違うものだった。


 「ちょっと待て、魔術師がこれを書いたのか? この変換ブロックの配置、アルケミー式でしか見ない構造だぞ?」

 「錬金術の訓練を受けてないと、まずこの発想にはならん。どこで勉強した?」

 「え、ええと、その……お恥ずかしながら……つい先ほど、マルベルさんに教えてもらいながら、本を読みつつ……」

 「さっき教わってこれ組んだってのか? ……マジかよ」

 「いや、確かにこの術式構成は――破綻寸前だし、最適化以前の問題だけどさ」

 「視点の取り方が面白い。モジュールの意図はちゃんと見えてる。何より、──センスがある」


 大柄の錬金術師が呟くように言うと、他の錬金術師たちも頷いた。


 「そうだな、センスがある。ブロック単位での魔力制御、ちゃんと意識してるな」

 「それに、魔術式にここまで自然に錬金構文を組み込んだ例は初めて見るよ」


 何だか風向きが変わってきた。錬金術師たちは設計図の周りに集まると、あれこれ意見を交わし始める。


 「さてどうかな? 諸君。そこに書いてあるようなエーテル変換装置を大急ぎで作ることは可能かな?」


 コルテア卿が尋ねると、錬金術師たちは顔を見合わせ、それからまた一気に話しはじめた。


 「まず筐体素材から見直しだな。既存の変換装置だと熱伝導が追いつかん」

 「中核の回路構成、現行仕様じゃ対応できない。魔術式に合わせてチューニングが必要だ」

 「エーテル供給を均等にしないと、術式全体が破綻するぞ」


 ああでもない、こうでもないと話しているが、前向きに検討してくれているようだった。

 やがて錬金術師の一人が向き直る。


 「結論から言えば……正直、これは手間がかかります。設計は再構築が必要だし、数も相当数用意しなきゃ回らない」

 「ふむ。難しそうかね?」

 「ええ、かなりシビアな案件です。ですが、……不可能ではありません」


 うむ、っと錬金術師たちは一斉に頷いた。新しい知識を得た時のマルベルと同じようにやけにキラキラと輝いている。

 キラキラ、いやギラギラだろうか。

 獲物を目の前にした肉食獣のような迫力だ。

 ……これが脳汁だっばだば、鼻血だばんだばんの状態というやつだろうか。


 「では至急取り掛かってくれたまえ。資金や資材はすべて私から提供する。遠慮はいらない。君たちの腕を見せてくれ」

 「お任せくださいッ!!!!!」


 資金と聞いてミディアはおろおろしたものの、ここでミディアが支払うと言い出すのはコルテア卿の面目を潰すことになりかねない。


 「ああああ、ああの、その、あ、ありがとうございます!!!!」


 ミディアがぺこりっとお辞儀をすると、錬金術師たちは楽しそうに笑いあう。


 「いいってことよ。それに、こいつはあれだろ? あのどでかい魔瘴をぶっ壊すために使うんだろ?」

 「ええと、その」


 返答に窮していると、ジョゼリンと呼ばれていた若い女性の錬金術師が肩をすくめておどけてみせた。


 「このタイミングでコルテア卿が全額支払うなんて言い出すんだ。そら魔瘴に関しての事だろうってのは想像つくさ。だったら尚のこと、うちらも本気で取り掛かる。

 ……エストリアの街はこことよく交流があった。あっちにも錬金術師の工房もあったんだ。だけど、そこにいた連中とは音信不通。生きて逃げ出せたのかさえ分かっちゃいない」

 「それは、……」

 「だからこそ、うちらにとっても他人事じゃないんだ。あそこにいた連中の分も頑張ってやろうって思うんだよ」

 「ありがとうございます」


 ミディアがにっこり微笑むと、女性錬金術師もはにかんだ笑みをかえしてくる。

 「それにしても」と声をあげたのは熊のように大きな髭面の男だった。


 「急いで錬金術を学んだって言うが、いったいどの書物を読んだんだ?」

 「あ、は、はい、あの、『エーテル変換装置の変革 効率化と安全性の境を問う』っていうやつを」


 ミディアが答えたと同時に、錬金術師の一人が突然マッチョポーズを取り始めた。

 あまりに唐突な出来事に呆気にとられて見つめていると、マッチョポーズの錬金術師はなぜか少しずつ近づいてくる。


 ──これは何か訴えかけてきている。

 確実になにかを訴えられている。


 人の心の機微に疎いと言われるミディアでも、ここまで分かりやすいアピールをされれば気づきもする。

 だが、一体何をそんなにアピールされているのだろう。


 「あ、……ええと、もしかして、あの本を書いたのは、……」

 「それは私です!!!!!!!!!!!!」 


 マッチョポーズの男から思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量で返事がかえってきた。


 「いやぁ、何も言ってないのにバレちゃったな~。僕が書いた本だってバレちゃったな~。やっぱりあれかな、滲みだす知性はごまかせないという事かな~!!!!」


 ポージングをしたままきらりんと歯を光らせる有様に、他の錬金術師たちはさも面倒臭そうな顔をする。


 「入門書に丁度良かったってだけの話だろ?」

 「今度は私の書いた本も読んでみてくれないかね。多少難解ではあると思うが、分からないことがあれば何でも質問に答えよう」

 「エーテル変換装置もいいけれど、変換後の魔力と純魔力の差異に関して興味はないかい? よければ私の書いた論文をロストバラン家まで送り届けよう」


 他の錬金術師たちに詰め寄られ、ミディアは目を白黒させる事になる。


 「こらこら君たち。その小さなお客さまは徹夜で禁書庫に籠っていてお疲れだ。そろそろ解放して差し上げよう」


 コルテア卿の言葉でようやく解放されたミディアは改めて錬金術師たちに礼を言うと、ふらふらと寝室へ戻っていった。

 そうして服を変える間もなくベッドに身を沈めた瞬間、心地よい重力に引きずられるように意識が途切れた。

 久しぶりに夢すら見ない、深い深い泥のような眠りだった。

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