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話を聞き終えたフレイは、あまりにも分かりやすく意気消沈した様子だった。
話の途中から目に見えて青ざめはじめ、開いた口が閉じられなくなっていた。そして、話が進むにつれ怒りと失望がないまぜになり、最後にはぐったりとうなだれた。
まさかここまで落ち込むとは思わなかったミディアとしては、とても申し訳ない気持ちになる。
考えてみれば、アレクシアやリリアナ、それにジュードは驚きこそしたものの、それは彼らの本質を傷つけるものではなかっただろう。
だがフレイは別だ。
神殿騎士として長らく教会に仕えてきた。
その根本を揺るがすような話を聞けば、ショックを受けるのも当然だ。
「あ、の、その、なんかすいません」
「いや、大丈夫だ。すまない、その、先ほどから情けないところをみせてばかりだな」
フレイは両手で頭を抱え込んで息を吐く。
「いえ、フレイ殿の経歴を考えればショックを受けるのも当然です」
「……もともと魔瘴が人為的なものであるという説は教会内部でもささやかれていた。けれど、明確にその関連性を示すものは無かったんだ」
「はい」
「教会の上層部すべてが魔瘴の発生に積極的に関わっているとは思わない。ただ魔瘴を発生させることで教会の権威を保とうと考えている者がおり、上層部がそれを黙認している可能性は否めない」
「ど、どんな組織にも暗部は存在します。なので、その、それがことさらに悪であるとは思いません。ただ、その、魔瘴は隠し玉として使うには危険すぎると思うんです」
ミディアは慎重に言葉を選ぶ。
「でも、まだ可能性としては、魔瘴を発生させているのは異教徒によるもので、教会はそれを封じる手段を秘匿しているだけという可能性もあります。つまり、魔瘴の発生に関しては、教会は関わっていない可能性です」
「……僕と、幼馴染の聖女シーヤがファルト森林大火災で故郷を失ったという話をしたのを覚えているだろうか」
フレイはしばし押し黙った後にゆっくりと口を開いた。
ふいに話の焦点が変わったことに、ミディアは戸惑う。
「はい。以前にレコノミカン納骨堂でご一緒した時のことですよね」
「その通りだ」
ファルト森林大火災は、ここ十年以内でラシャド王国内で起きた自然災害の中でも群を抜いて被害が大きい事件だった。
ラシャド王国は通年にわたり明確な乾季は存在しない。よって深刻な森林火災が発生したことはほとんどなく、それ故に対策が後手後手に回ったのだと聞いている。
「あの大火災については、ずっと疑問が持たれていました。ラシャド王国内では、森林火災が問題になった前例がほとんどなかったからです」
「そうですね。シルクザイア王国のように乾燥した地域では山岳部であっても火災が発生し、大変な被害が出ることもあると聞いています。ですが、ラシャド王国内ではそういった話は聞きませんし、ファルト森林大火災以降にも山火事の報告はほとんどない」
「その通りです。ちなみにファルト森林には複数の村が存在し、そのうちの一つが魔瘴によって滅びたことはご存じでしょうか」
「は、はい、記録では読みました。二十年ほど前に異教徒が魔瘴を発生させ、クマンという村が滅んだと」
フレイの手は卓上で祈るように握りしめられており、彼が語らんとする話の重さを物語っている。
「僕たちの住んでいた村はクマンとそう遠くない場所にありました。そして最初に火災が発生したのは、クマンの廃村付近であったと聞いています。そこから、普段ではあり得ないほどのスピードで一気に燃え広がっていった」
「それは、どういう事なんでしょうか?」
「その時期だけ”燃えやすい環境”にあったのです。リトルローデンの賢人曰く、魔瘴は周囲の生態系に長く深い影響を及ぼすとのことです。魔瘴が発生した土地では、土壌に生きる微生物や分解を担う虫――落ち葉や朽ち木を土に還す存在が激減し、数十年にわたって自然の循環が滞るそうです。
その結果、落ち葉が分解されずに積もり続ける……賢人はそれを“死んだ森”と呼んでいました」
「……ああ、分かりました」
ミディアの思考が一つの結論に結びつく。
そこに連なる悲劇が、明確な形を持っていく。
「クマンの廃村付近では、まさにその“死んだ森”が広がっていたのですね。落ち葉は土に還らず、十年近くも降り積もっていた。そこに何らかの原因で火が付けば、乾いた葉は燃え上がり、風に乗って火の粉が舞い、森全体があっという間に火の海に……」
「ええ、そうです。
つまり元をたどれば、僕らが故郷を、大切な人たちを失ったのは、魔瘴の発生があったからです」
フレイの声はまるで血を吐くかのようだった。
幼い頃に見た惨状が、彼の瞼にはまだこびりついているのだろう。
「クマンの村に現れたという魔瘴は異教徒が原因とされています。でも、もしそれが、教会の手によるものだったら。
あるいは、教会が魔瘴に関する知識をもっと広めていれば魔瘴はより早い段階で閉じられ周辺への影響が少なかった可能性もあります。
これはすべて仮説です。そして、真実がどうであれ僕らの故郷が戻ることはない。
それでも、そうだからこそ、僕は魔瘴に関する真実を何としてでも知りたいと思うのです」
「よく、分かりました」
フレイの決意がいかに固いのかはよく分かった。それならば同じ志を持った心強い味方になってくれるだろう。
「それではフレイ殿、一緒に魔瘴のことを、ゾデルフィアのことを解き明かしましょう。どうぞよろしくお願いします」
***
フレイとの話し合いが終わった後には、ようやくコボルトの商人と会う事になった。
大分待たせてしまったのか、コボルトの商人は茶菓子をすべて食べきって、新たな菓子を受け取っているところだった。
「いやぁお待たせしてすまないねぇ、ウンパク殿」
アキサメが声をかけるとウンパクと呼ばれたコボルトはひょいっと椅子から立ち上がった。
「コレハコレハ、アキサメ殿! イエイエ、商人ハ待ツノガ大事! 『商機ハ寝テ待テ』ガ、コボルトノ格言ネ!」
「ははは、それはいい格言だ。おおっと、君、ウンパク殿にはお茶でなく馬乳酒を出してくれるかな。ちょうど先日仕入れたものがあった筈だ」
茶菓子と茶を持ってきていた召使は、アキサメの言葉に頷くとすぐに馬乳酒を持って来た。白く濁った液体はわずかに泡が湧き出しており、初めてみる類のものだった。
そっとリリアナに尋ねてみると東国の一部の地域で飲まれているものらしい。
子供でもがぶがぶ飲めるような代物だが、初めて飲んだものは大抵腹を下してしまうと教えてくれた。コボルト族にも似通った文化があり、山羊の乳を原料に酒を作っているそうだ。
これは、コボルト族の移動手段として用いられるものが馬ではなく山羊である事が多いことによって違いが出ているのだと言う。
ウンパクは馬乳酒を一気に半分ほど飲むと、それは心地よさそうに息を吐く。
「ンンン~、コレハ美味! 流石アキサメ殿! 良イ品ヲ仕入レテイラッシャル!」
「お気に召したようで何よりだよ」
すっかりいい気分になっていたウンパクも、マヌマム族の村を襲った者たちの話となれば、さすがに表情が曇った。
ウンパクの話によれば、襲撃者がこの街に訪れたのは間違いがないそうだ。
コボルト達はそれぞれの部族により若干ながら食生活が異なるらしい。それによって血の臭いや体臭にも違いが出るそうで、人の数倍も鼻がいい彼らは臭いだけでどの部族のものなのか大体は判断がつくそうだ。
「マヌマム、木ノ実タクサン食ベル。中デモ、トトアカノ実、マヌマムシカ食ベナイ」
トトアカの実というのはかなり癖があるそうで、臭いも独特なのだと言う。それによってウンパクは、サドランドで嗅いだコボルトの血の臭いがマヌマム族のものだと分かったそうだ。
「確かにトトアカの実は独特の臭いがあってねぇ。実の部分はそりゃあもう酷い臭いで、実がなっている付近を通り過ぎるだけで分かるほどだよ。でも実を取り除いて、さらに種を割った中身は酒のあてにぴったりなんだ。東国にあった銀杏と良く似ていてね。僕はけっこう好きだなぁ」
アキサメが思い出を語ると、リリアナも懐かしむように目を細める。
故郷をなくすという事は、それまでに食べてきたものや当たり前だった習慣も失うことになるのだ。
ミディアは改めて失ったものの大きさを実感する。
「それで、襲撃者たちがこの街のどこに向かったかは分かりますか?」
フレイが尋ねるとウンパクは申し訳なさそうに首を振る。
「コノ街ニ入ッテ来タ、間違イナイ。デモ、ドコニ行ッタカ分カラナイ。ウンパク、追イカケタ。途中デ分カラナクナッタ」
「君たちも見て来た通り、街の入口から入って中央通りかなりごった返しているからね。あそこではほとんどの者が馬を降りることになる。ただ、通りを抜ければ再び馬に乗って移動する。そうなるとコボルトであっても追いきれなくなってしまうだろう」
「なるほど」
アキサメが状況を補足すると、フレイが神妙な顔で頷いた。
「あの、ちょっと聞きにくいことなんですが……その、念のため、です。この屋敷にコボルトの血の臭いは残ってませんか?」
ミディアが問いかけると、ウンパクは驚いた顔をする。思わず馬乳酒の入った杯を落としそうになったほどだ。
「トンデモナイ!! ココデ臭イシタラ、トックニ逃ゲテルヨ! 人間ノ血ノ臭イ、イッパイスル。デモ、コボルトノ血ノ臭イ、ココニナイ」
「人間の血の臭いはいっぱいするんだ~」
ミディアが残念そうにアキサメに視線を向けると、アキサメは慌てて首を振る。
「そそそ、そんな! おじさんは悪い人じゃないんだよ! 本当だよ! たまにちょっと荒事になる事があるけれど、基本的には平和主義者なんだよ!」
「お父様、そこは慌てて否定するよりもチョイ悪おやじを気取ったほうが受けが宜しくてよ?」
リリアナの言葉にアキサメは突然、きりりとキメ顔を向けてくる。
顎の下に手をあてて、……恐らく本人的には”ニヒル”な笑みを浮かべて見せているのだろう。
「よ~し、それじゃあね、おじさんは実はちょこっとワルなんだよ!」
「その調子ですわお父様!」
「やった~! リリアナちゃんに褒められた! やった~!」
リリアナがぱちぱちと叩く中、ミディアとフレイ、ウンパクは何とも言えない顔で顔を見合わせ、無言でテーブルに視線を落とした。
***
話を終えたウンパクは、お土産にと馬乳酒の瓶を受け取り、上機嫌で帰って行った。
残された面々は、あらためて今後の行動を協議することとなる。
四人は再び客間に移り、人払いを済ませて話し合いを再開した。
「はっきりとした足取りは掴めず、か。やはりこうなったら何とかしてドリスティオール家を調査するしかないですね」
最初に口を開いたのはフレイだった。
「マヌマム族を襲撃した実行犯がこの街に入ったきり消息を断っているのも気になりますね」
ミディアはう~んと低くうなる。
「ウンパクさんの話を聞くに、ここにたどり着いてから再び街中をうろついていたら、きっと気がついたと思うんです。でも、まったく気配がない。
仮に街のどこかに潜んでいるとしても、もう何日も経ってます。コボルトの商人は何人もいるので、生きていればどこかで再び血の匂いを嗅ぎつけられているはずです」
「……実行犯はすでに消されている可能性が高いという事ね。捕まえてドリスティオール家関与の証拠にすることは難しい」
「実はもう一つ困ったことがあるんだ」
茶をすすりながらアキサメが人差し指を立てて見せる。
「このところ街をうろついていたドリスティオール家の元私兵たちが大人しい。大人しいというよりあまり姿を見かけなくなったというべきか。そのせいで昼間の市場で見たようなゴロツキが現れるようになったんだよ」
「元私兵が暴れているという名目でゴッドウィン家の騎士団を呼び込むのは難しいという事ですわね。でも、どうして私兵たちが消えたのかしら」
「どこかから引き抜かれたと考えるべきだろうね。おそらく何らかの理由で、ドリスティオール家が彼らを再雇用したんだろう。
所でね、この所ドリスティオール家の輸入船が頻繁に港に出入りしているんだ。しかも荷の上げ下ろしは夜間のみに限っていると来たもんだ。ほとんど名ばかりといえどドリスティオール家は未だサドランドの領主だからね。鉄鼠衆と言えど積み荷を確かめるのは難しい」
「わ、分かりやすく、きな臭いですね」
苦笑しながら言えば、フレイも隣で頷いた。
「となれば、方針はおのずと限られますね。少人数でひっそりドリスティオール家が荷下ろしをする場所に忍び込み、何を企んでいるのかを確認する。僕はもちろん偵察隊に参加します」
「鉄鼠衆からも腕のたつものを用意しよう」
「わたくしとお父様は今回は留守番をしていた方がよさそうですわね。万が一に備えて、ゼファン家が関わっていないように見せかけておかないと、助け出す手段もなくなりますもの」
「わ、わ、わたしは、そ、その、……さ、参加、します」
恐る恐る手をあげると、リリアナもフレイもいささか驚いた顔をする。
「ミディア嬢、あなたは前線に立つのは苦手なのではありませんか? 今回は偵察のみですので無理をなさらなくても大丈夫ですよ?」
「いえ、あのええと、……」
ミディアはしばし口ごもった後に、ゆっくりと言葉を選んで話はじめる。
「ド、ドリスティオール家の邸宅を見に行った時に、異様な気配を感じたんです。
あれは、……マティス卿が変異した時の、ま、魔人に、よく似ていました。魔人とは異なる存在だったとしても、魔術の使い手であることは間違いないと思います。
な、なので、もし交戦状態になった場合、わ、私がいた方が、いいんじゃないか、と」
思い出すだけで指先から血の気が失せていき、背筋に悪寒が蘇る。
魔人と言えばリリアナもフレイもアキサメもあからさまに目の色が変わる。
「なるほど。魔人か。だとすれば、いつでも救援に向かえるように準備を整えておいた方がよさそうだ」
「わたくしも、アレクシア嬢に連絡をとって、騎士団を出来る限り街の近くまで移動して頂けるようお願いしておきますわ」
「よ、よろしくお願いします」
かくしてミディアたちはドリスティオール家の積み荷を探るべく手筈を整えることになったのだ。




