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パチ……パチ……。
乾いた音を立てて松明が燃えている。
気づけば日が沈み、濃い闇があたりを包みこんでいた。木立の隙間から覗く空には、二つの月――赤いカロと白いルルエが、静かに輝いている。
今宵のカロは異様に大きく、まるで今にも落ちて来るのではないかと不安を覚えるほどだった。
その色は血のように濃く、じっと見つめていると、胸の奥が不気味にざわつく。
「赤い月が大きく見える夜は、災いが起きる」――そんな古い言い伝えを思い出し、野営地にはどこか張りつめた空気が漂っていた。
事実、カロの月は、百年前にくらべ少しずつ近づいてきているという観測結果が出されている。
騎士たちは静かに、だが落ち着かぬ足取りで動き続けている。
誰も大声を出さない。笑い声もない。
見張りを交代する者、食事の支度を急ぐ者、崩れた柵を修理する者――それぞれが黙々と役目を果たしていた。
ミディアとアレクシア、そして副隊長と斥候、騎士数名人が天幕の中で次なる作戦を協議していた。
協議、と言ってもミディアは聞いているだけだったし、斥候は聞かれたことを答えている。おもに作戦をたてているのは、アレクシアと副隊長の2人だった。
「山中に潜伏中の山賊どもの人数は?」
「村人たちの情報によれば30名ほど。ギルドの傭兵崩れが数年前から徒党を組んで活動するようになったそうです」
完全なる余談となるが……、斥候兵はそれはそれは美人だった。
しかも斥候という任務上、軽装なこともあいまって大変にスタイルのよさが目立っている。
まるでビロードのように艶やかな黒褐色の肌に、ルルエの月のごとく輝く銀色の髪。獣耳と尻尾も見えるのでなんらかの獣人なのだろう。野生の獣のごとくしなやかな体躯にミディアは思わず見とれてしまう。
いいなぁ、私も大きくなったらあんな体型になれるかなぁ。
そんな事を思いながらちらちらと盗み見ていると、ニコっと笑みを向けられた。それはもう大人の色気たっぷりの笑みにたじろぐと、追加でウィンクまで飛んできた。
たいへんな破壊力である。
「山賊どもの殲滅は難しくはないでしょう。ただし時間との戦いになります。山賊殲滅後にその足でゴブリン退治に向かう訳にもいきません」
斥候に見とれていたミディアをよそに、副隊長は渋面で地図を見詰め重々しい声で語りだす。
アレクシアも地図に視線を落とすと、物憂げに眉間に皺をよせた。
「なるほど……ゴブリンどもが発情期に入っているとなれば、普段より攻勢に転じやすかろう。こちらも備えを万全にせねばな。武具の整備と休息に、最低半日は欲しい」
「それに、山賊に囚われた村人を保護する場合、その移送にも時間がかかります」
副官の声は冷静だったが、その瞳には切迫した光が宿っていた。
「村人を守りながらの交戦は不利。迎撃よりも奇襲が適切かと」
「ならば、山賊勢は無視するほかあるまいな。……だが、その背を預けたまま砦を攻めるのは、あまりに危うい」
「一度陽動をかけ、山賊を誘い出すか……あるいは囮を使って誘導するか」
アレクシアは地図から目を離さぬまま、唇の端をわずかに動かした。
ランタンの炎が静かに揺れる。炎の揺らめきは彼女の横顔に陰影を与え、その美しさすら緊迫に塗り替える。
「――ミディア嬢」
「ふぇえええっ!?」
思わず声を裏返すミディアに、アレクシアはわずかに首を傾げただけだった。
「砦に立て籠もったゴブリンどもに、毒か眠りの魔術を仕掛けることは可能か?」
「ど、毒……眠り……ええと……で、できなくはない、ですけど……風通しがよすぎると拡散しちゃって、かなり複雑な術式になるものと想定されます……!」
「不可能ではない、ということか?」
「く、空間の広さにもよりますが……」
アレクシアが無言で視線を送ると、斥候の騎士が応じた。
手元の布包みから一枚の羊皮紙を広げる。かつて侯爵領だった頃に建てられた砦――その古びた図面だった。
「ゴブリンどもは、そのほとんどが地下倉庫に潜んでおります」
「ならば、風通しはさほど良くないと見ていいな。ミディア嬢、どうだ?」
「ええと……これによると地下倉庫はおおよそ縦横40メートルほどとなりますね。高さは、この時代の建築様式だと3メートルから5メートルになるでしょうか。だとすれば、内部空間の容量は4800~8000立法メートル……け、結構、ふり幅がぶれますね。
あ、ええと、ゴブリンの数は分かりますか?」
「残念ながら、地下までの潜入は叶いませんでした。ですが、これまでの時間経過と繁殖速度を踏まえるに……最少で100、最大で200。外部から別の群れが合流していれば300近い可能性もあります」
「ゴブリンの個体数を最大値の300で仮定するとして、……空気の流入出が限定されているので密閉環境下での魔力拡散式は、……──」
ミディアは指先で虚空に簡易陣を描きながら、続けた。
「理論上、拡張は可能です。ただし通常の魔力出力では拡散が不十分。魔術陣を多重展開して対応する必要があります。
問題は対象の個体数と魔術式の最適化……差が大きすぎると、暴走のリスクもあるので、それを抑制するための術式を多目に噛ませるとして、……」
術式の骨子が出来れば、ミディアはアレクシアに向き直った。
「ええと、で、ですので、毒魔法は避けるべきです。
ゴブリンの個体数が大幅な差異が生じた場合、例えば各個体への効果が薄まった場合には苦痛により異常な混乱を招くでしょう。逆に個体数が予想を大幅に下回った場合には、……抑制術式を敷いても外部への流出が懸念されます。
すべての術式がかみ合った場合でも、この規模で毒霧を発生させれば、地下水脈に流れ込み、村の井戸にまで影響が出るかもしれません。土地の生態系も壊します。一帯の樹木が枯れる可能性も高く……長期的な被害が予想されます」
アレクシアが頷き先を促す。
「その点、睡眠魔法なら多少漏れても被害は限定的です。効果時間も長く、最低でも半日、長ければ一日、ゴブリンたちは昏睡状態になります。
万が一、個体数が増加し、効果が弱まった場合でも……繁殖中のゴブリンは不眠不休で活動すると言われていますので、その興奮状態を解除するだけでも反動として虚脱状態に陥り、睡眠に移行すると推測されます」
「ふむ……ならば睡眠魔法を基軸に動くべきか」
「はい。ただし、眠っているだけなので、殲滅には別の手段が必要です。それと、剣などで直接攻撃すると、絶命前に暴れて仲間を起こす危険もあります」
「それもそうだな……なにか、名案は?」
「えっ、えっと……な、ないことも……ないですが……」
「遠慮せずに言え、ミディア嬢」
アレクシアの声には、促すよりも信じる意志が込められていた。
「……はい。ゴブリンたちは、通気性の悪い地下に密集しているとのこと。ならば、地下への入り口を薪や木炭で封鎖し、火を……」
「なるほど。目を覚ました時には、既に逃げ道を絶たれている、か」
「はい。……火の気で酸素が奪われれば、ゴブリンの大半は、眠ったまま……その……」
彼女の声が小さくなる。だが、誰も否定はしなかった。
「……燃料は問題ない。トトリノ村は林業が盛んで、炭焼きの質も高い。王都にも出荷されるほどの逸品だ」
副官が低くつぶやいた。
誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。作戦は確かに理にかなっていた。
チク、チクと胃が痛む。
相手はモンスターだ。それでもこれは虐殺だ。その作戦に自分の意見が加わることが恐ろしい。
「で、でも、この作戦には致命的な欠陥がありまして!」
「なんだ?」
「ご存じの通り、私が魔法を使うとめちゃくちゃ時間がかかります。それはもうびっくりするほどかかります」
「具体的には?」
「この規模だと、……3日か、4日くらいは、かかっちゃうんじゃないかなぁ、と」
「なるほど」
アレクシアは静かに頷いたが、副隊長は、露骨に顔を曇らせた。
「それでは到底間に合いませんな。砦を出たゴブリンどもが、村に達するほうが早い。今すぐ『魔塔』に別の術士を要請できれば――」
「派遣の手配と到着までの所要時間は?」
「……最短でも5日。実質、現状では不可能かと」
「ならば、選択肢は一つだ」
アレクシアは地図を指でなぞりながら言った。
「魔法の発動を待つ間、いかにしてゴブリンどもを砦から出さずに済ませるか。それだけだ」
「それが可能ならば……ですが、どうやって」
副隊長の問いかけに、アレクシアが満面の笑みを浮かべてせる。
その笑顔に、とてつもなく嫌な予感がわきあがった。
「いるじゃないか、ここに。恰好の囮たちが」
トントンとアレクシアの指が地図をつく。
そこは山賊たちが立て籠もっているという洞窟だ。
「発情期のゴブリンには老若男女は関係ない。山賊どもも発情期のようだしな。お互いの欲望を果たせる実に平等な作戦だと思わないか?」
顔は聖女のごとく慈愛に満ちた笑みだったが、言葉は極悪人そのものだ。
さすがの発言に副隊長もタラリと冷や汗をかいている。
「そ、それは……しかし、山賊とはいえ、人間をゴブリンの餌にするなど……。そのような行為が騎士団の名の下に行われたと知れれば……」
「副隊長、我々が受けた任務はあくまで“ゴブリン討伐”だ。山賊の存在など、報告には含まれていなかったはずだが?」
「……確かに、正式な報告は上がっておりません」
「我らはゴブリン討伐に来たのだ。そこで砦を根城にしていた山賊どもがゴブリンの犠牲になっていることを発見する」
「そ、の、ような、気がして、まいりました。そ、う、ですな。山賊の存在を隠蔽していたとなれば、トトリノ村も責めを負うことになりますしな」
「そうであろう?」
アレクシアは静かに微笑んだ。その目の奥には、冷徹な計算が光っている。
「では、作戦の詳細に入ろう」
アレクシアは、さらりと指示を口にしていく。
「第一段階。山賊の根城を制圧し、拘束。被害者である村娘たちの安全を最優先とする」
「了解」
「第二段階。捕らえた山賊を洞窟付近に放置。装備を奪い、逃走不能な状態にしておく」
「……承知」
「第三段階。我々は村へと撤収。砦への偵察と封鎖を継続しつつ、囮作戦の効果を観測する。ミディア嬢は別動隊と共に、砦へ向かい睡眠魔法の準備に取りかかってもらう。……異議のある者は?」
誰も手を挙げなかった。
騎士たちが一斉に敬礼し、散っていく。
その場に残されたのは、地図と、未だ揺れるランタンの火だけだった。




