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誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

(昨日アップ分、誤字多くてすいませんでした……。ご報告のお手間頂きありがとうございます)

面白いと思って頂けましたら評価ボタンを押して下さいますと大変励みになります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 ゼファン家の邸宅は、貴族街の坂上にはなく、港にほど近い商人街の一角に佇んでいた。

 周囲は厚く高い塀で囲われているが、その中に建つ屋敷は、まるで異国の風をそのまま留めているかのようだった。


 白壁と黒い梁が目を引く木造の建物は、王都に多い重厚な石造りの屋敷とはまるで趣が異なる。

 塀の内側には鮮やかな赤と金で彩られた飾り格子の窓が連なり、海風に揺れる細かな飾り布が、かすかに音を立ててはためいている。

 玄関の上には『是華』と大書された木看板が掲げられており、墨の筆致からは力強くも柔らかな風格が感じられた。


 「東の国の文字なの。ゼファンを表す字よ」


 リリアナがそう教えてくれた時、ミディアは思わずその文字を撫でるように見つめた。


 屋内に入ると、空気の匂いがふと変わった。

 檜の香りに白檀の香が混ざりあい、港町特有の磯臭い香りを打ち消している。

 広間には太い梁が巡らされ、天井からは絵柄入りの赤い提灯が何灯も吊り下げられていた。

 光を柔らかく包むその提灯は、石造りの建物では見たことのない、穏やかであたたかな雰囲気を醸し出している。

 異国というよりも、異界めいた、……黄昏時を切り取ったような空間だ。


 低めの木製の机と椅子には繊細な彫刻が施され、壁には東国の花鳥風月を描いた絵が掛けられていた。

 全体を通して、赤を基調とした装飾と木のぬくもりが、異国情緒の中にどこか懐かしさを宿している。


 特に印象的だったのは、まるで出入り口のように大きく開かれた窓だ。

 木枠の飾り格子がはめ込まれ、風と光を惜しみなく取り込んでいる。


 ミディアはただただ目を見張っていた。

 初めて触れる文化に心を奪われる──まさにその言葉の通りだった。


 「こここ、これは、その、東国の建築様式なんでしょうか?」

 「ああ、そうだよ。見事なもんだろう?」


 気さくに応じてくれたのはリリアナの父アキサメだ。


 「ああああの、窓がとても広いですが、この地域は夏になると激しい風雨に襲われるときがあると聞いています。そういった時にはどうするのでしょうか」

 「ああ、その時は雨戸を、……ラシャド王国でいうならば鎧戸を閉めることにしているんだ。窓の脇に行って確認してみるといい。鎧戸が収納されている戸袋があるからね」


 ミディアはぱたぱたと小走りで窓辺に駆け寄ると、指先で木枠を探った。なるほど、脇に小さな戸袋があり、そこに鎧戸が仕舞われているようだ。


 「おおおおお、こ、これは、その、もしかすると開閉式ではなく、横にスライドさせて使うものなんですね!」

 「うんうん、その通りだよ。ミディア嬢は賢いねぇ!」


 目をきらきらさせながらあちこちを見て回るミディアの姿に、アキサメはにっこにこの笑顔だった。


 「待っていてね。夕飯も東国の料理を用意させているからね。魚料理が中心になるけれど大丈夫かな?」

 「はううううう、そんな、お料理まで東国のものがいただけるなんて……! は、はい、大丈夫です! わたし、多分その、好き嫌いはあまりないと思います!」

 「それは良かった。東国では刺身といって魚を生で食べたりもするのだけれど、抵抗はないかな?」

 「な、生で!? 魚を……!? そ、それはちょっと想像がつきませんが、た、食べてみたいです!」

 「うんうん、実にいいねぇ。チャレンジ精神があるのは素晴らしい!」

 「えへ、へへへへ」


 ファーストコンタクトこそ何かと度肝を抜かれたが、アキサメは実に居心地のよい男だった。人付き合いが不得意なミディアであっても、とてもリラックスして付き合える。

 実際のところ、アキサメは商人として、この街を裏で牛耳るものとして、恐ろしい男でもあるのだろう。それは商店街であった一件からもうかがえる。それでも、今、目の前にいるアキサメの姿も彼である事には変わらない。

 ミディアの胸に、ふと重なる影が差す。

 自分の父も、こんなふうに――冗談を交えて、娘の話に耳を傾けてくれる人だったら。

 そんな当たり前のことを、羨ましく思ってしまう自分に、少しだけ驚く。


 「まぁ楽しそうですこと」


 二階から降りて来たのはあでやかな着物に着替えたリリアナだ。

 紫から黒へとゆるやかに溶け込む布地は、まるで宵の空をそのまま織り上げたかのようだった。

 繊細な蝶と花の刺繍は夜に咲く幻想を映し、金の帯は、夜空に浮かぶ満月のように静かに輝いていた。


 「は、はわ、り、リリアナ嬢、す、すごく、綺麗、です!」

 「あら、嬉しいわ。ミディア嬢も着物を試してみたらいかがかしら?」

 「わ、私は、ええと、それを着ると、すぐに転んでしまいそうなので」

 「あら。それじゃあ今度、もうちょっと落ち着いた時に試してみましょう。あなたにぴったりの生地を探しておくわ」

 「ああああ、ありがとうございます」


 ミディアも伯爵令嬢だ。ドレスは何枚も持っている。だが着物は当然のこと一枚も持っていなかった。

 似合うか似合わないかは別として、着てみたい気持ちはちょっとある。


 「さて、それじゃあそろそろ夕食にしようか!」


 アキサメがパンっと手を叩き、一同は食堂へと移動する。

 漆のような艶をもつ一枚板の大テーブルには、湯気を立てる皿や輝く刺身が所狭しと並んでいた。香ばしい匂いが鼻をくすぐり、見ているだけで腹が鳴るほどだった。

 港町であることもあいまって魚料理がその大半を占めている。煮魚に揚げ物、それにアキサメが話していた生魚の切り身も何種類も置かれている。


 「我らが出会いを祝して!」


 アキサメの音頭で杯を掲げて楽しい夕食がはじまった。

 料理はどれも珍しかったが、癖がなく食べやすいものが多かった。煮魚はほろほろと身が崩れるほど柔らかく、天婦羅はサクサクしていてまたちがった味わいだ。

 何よりも感動的だったのはお刺身だ。

 生の魚は身が透けるように美しく、赤身は驚くほど鮮やかだ。白身の魚はぷりぷりとした弾力で噛めば噛むほどに旨味が滲みだしてくる。脂身は口に含めばその温度でとろけ出しあっと言う間に消えていく。

 あまりの美味しさに頬っぺたを抑えてしばし悶絶したほどだ。


 「美味しい、すごく美味しいです。はうう、幸せです。こんなに美味しいのにどうして王都では食べられないんでしょうか」

 「それはやっぱり鮮度の問題が難しくてね。港から運ぶのにはどうしても日数がかかってしまう。馬車を使えばおおよそ5日はかかってしまうからね。その間、常に冷やし続けている方法がなかなか確立されていないんだ」


 ミディアの問いかけにアキサメは丁寧に答えてくれる。


 「なるほど……一定の出力で温度を保つ魔法式さえあれば、魔術師を輸送部隊に配備することで、王都でもこのお魚が食べられるようになる……!」

 「それは素晴らしいねぇ! ミディア嬢が魔法式を開発した暁には、心ばかりのお礼として選び抜いた鮮魚を毎週お届けすることにしよう」

 「はううううう、それは、なんて美味しいご褒美!」

 「商人の立場として言わせて貰うと、そいつは本当に便利な魔法式だからね。鮮魚だけじゃお礼として不足するくらいだが、魔塔の魔術師あてに贈り物をしすぎるのも賄賂だと疑われる恐れがある。でも僕個人としては、支援させてもらえたら嬉しいんだけどね」

 「むしろ、今までなぜそういった魔法式が生み出されてこなかったのかが不思議です。ああ、でもそうか。魔塔の研究者たちは没頭すると寝食も忘れるような人が多いからですね」


 実際ミディアもうっかり食事を忘れてしまう事はある。

 でもそれは、王都での食事に飽きてきてしまっているという部分もあるだろう。

 各地から様々な素材が届くようになり、食文化の幅が広がればもっと皆も食事に興味を持つはずだ。


 「……時間ができたら、ちゃんと研究してみます。だって……この美味しさ、知らないままなのはもったいないですから」


 ミディアの決意にアキサメは嬉しそうに頷いた。




 ***





 夕食を食べおえてしばらく経った頃合いだ。

 コボルトの商人がやって来る前に、紹介したい者がいると言われミディアは客間へ移動した。

 そして、そこで待っていた人物に、驚きのあまり固まった。


 「ふ、ふ、ふ、フレイ殿!?!???」


 神殿騎士団所属のフレイ。

 それは、未来視においてミディア達を処刑台に追いやった一人である。

 そして、立場的に味方に引き込むのは難しいと考えていた人物だ。

 銀灰の髪は以前より短く刈り込まれ、その面差しは精悍さを増している。少年の面影は薄れ、まるで鍛え上げられた剣のような鋭さと硬質さを感じさせる青年に変わっていた。

 フレイとは王都にてマティス卿の屋敷に乗り込んだ時にしばし行動を共にした。

 だがフレイの立場を鑑みれば、ミディアとしてはかなり警戒してしまう。


 「あ、あの、ええと、その、なんでフレイ殿が」


 ミディアが小動物のように怖気づいて立ち止まっていると、リリアナがにっこりと微笑んだ。


 「大丈夫よミディア嬢。彼はわたくし達と同じ目的をもって動いているの」

 「ええ、ええと、……」


 腰が引けたままのミディアに、フレイが申し訳なさそうに眉を下げた。


 「驚かせてしまってすまない。僕からちゃんと事情を説明するから、取り合えず座ってくれるかな?」

 「は、はい」


 消え入りそうな声で頷いて、ひとまずは客間の椅子に着席する。


 「改めて、お久しぶりですミディア嬢。鷹巣砦でのご活躍ぶり、お伺いしております」

 「はひ」


 緊張して上手くしゃべれない。

 アキサメの部下が出してくれたお茶を啜ってみたものの、味がよく分からなかった。


 「……すいません、僕の存在があなたを萎縮させてしまっているようですね。ご説明させていただきたいのですが、一体どこから話していいのやら」


 フレイが思案していると、リリアナがクスリっと笑みをこぼす。


 「フレイ殿、ごまかして話そうとするのは悪手ですわ。ミディア嬢は賢いお方。事実をぼやかせば、そこに裏があるのかと勘ぐられてしまいますことよ」

 「……そうですね。ここは大人しく白状しましょう。協力が必要なのは僕の方ですから」


 フレイは一度咳払いをすると、しっかりとミディアに向き直った。


 「現在の僕はコルテア卿からの依頼を受け、ゾデルフィアに関して探っています。

 ……なぜ、そうなるに至ったかと言うと、マティス卿の事件以来、ひっそりとゾデルフィアに関して調べ回っていたからです。

 ひっそり、と言いましたが、どうやら僕にはその才能が薄かったようで、コルテア卿に勘づかれてしまったんです」

 「こ、コルテア卿といえば、審聖官の一人ですよね。サムタ・デラを治める有力貴族でかなり発言力のある方だとお伺いしています」

 「その通りです。正直、呼び出されたときは命が危ないと覚悟しました。本当に“首が飛ぶ”意味で、です」


 ははは、とフレイは笑ったが、ミディアとしてはまったく笑えない話だった。


 「ところがコルテア卿はゾデルフィアに関しての調査の後援を申し出てくれた。もちろん、僕もコルテア卿の真意は疑ったし、今も完全に信用している訳ではない。ただ、ゾデルフィアを調査するための名分は手に入れた。

 コルテア卿は様々な情報に精通しておられる方だ。そこで彼は、鷹巣砦に魔瘴が発生した際に、人為的な介入があったらしき事も突き止めていた。その実行犯と思われる者たちがサドランド領に逃げ込んだことも把握しておられたんだ」

 「な、なるほど」

 「そういう経緯で、僕はこの地へと調査のために訪れることになった。現時点で容疑を疑われているのはドリスティオール家、それと、……」

 「──ゼファン家、ですね」


 言葉に詰まったフレイに、ミディアが続きを引き継いだ。


 「……その通りだ。だがもちろん、僕はゼファン家が潔白だと言うことを信じている。リリアナ嬢とアキサメ殿が魔瘴によって故郷を失ったことを考えれば、その疑いはあまりにも的外れなものだろう」

 「いえ、そんな事もないと思いますよ。コルテア卿の推測は現状を正しく捉えていると思います」

 「なんだって?」


 驚いた顔をするフレイに、ミディアは自分が失言をしたことに気が付いた。

 「ええと、その」と口ごもると、リリアナが「いいのよ」と微笑んだ。


 「ミディア嬢がなぜそう思っているのか説明してあげて頂戴」

 「は、はい、分かりました。ええと、その、確かにリリアナ嬢とアキサメさんは魔瘴によって故郷を奪われました。その喪失感は計り知れないほど大きく、今も尚、心に深い傷を抱えていらっしゃるのだと思います。

 お二人は魔瘴を間近で見た。その恐ろしさを誰よりも知っています」


 ミディアは一度言葉を切ってリリアナの表情を盗み見る。

 リリアナは穏やかな笑みのまま言葉の先を促した。


 「……だからこそ、魔瘴の対策について後ろ向きな教会の姿勢に不満をもっていても不思議ではありません。

 より能動的な対策をたてさせるための着火剤として、魔瘴を発生させるという過激な思想に至る可能性も捨てきれません。

 被害にあったのがゴッドウィン家の領地内であったことも関係します。

 これは、ゴッドウィン家に恨みがあるドリスティオール家の仕業だと見せかける役にもたっていますし、令嬢同士が仲が良いことも隠れ蓑としての効果があるでしょう」


 ミディアが一気に喋りきるとフレイは驚愕の表情を見せたまま固まった。

 一方、リリアナは笑い声をあげると、ぱちぱちと楽しそうに拍手をする。


 「すごいわ、ミディア嬢。あなたってばわたくしの事を本当によく理解して下さっているのね。そうね、その通りよ。自分の策を押し通すためには友人さえ隠れ蓑にして過激な手段も厭わない。まさしくわたくしの事ですわ」

 「どどど、どうも」

 「嬉しいわ。ミディア嬢がこんなにもわたくしの事を分かっていて下さるなんて」


 ぎゅうっとリリアナがミディアの手を握ってくる。

 その表情は本当に嬉しそうで、ミディアの方がどんな顔をすればいいのか分からない。

 ガタンっと席を立ち上がったのはフレイだった。


 「ミディア嬢、あなたはリリアナ嬢に対してそんな疑いをもっておられたのですか? 故郷を失い、苦しんでいる彼女に対してそのような!?」

 「り、リリアナ嬢は、そんな弱い女性ではありません。ど、どんなに苦しいことがあっても、それを跳ね返す。持てるすべてを持って戦う方です!」


 ミディアの言葉にリリアナは笑うばかりで、フレイはその矛先をアキサメへと向ける。


 「アキサメ殿、あなたはご息女を疑われて何も思わないのですか?」

 「いやぁ~、ミディア嬢はかしこいなぁ~って感心してたよ!」


 アキサメもまたリリアナと同じく笑顔だった。だがふっと真顔になるとフレイの双眸を見つめ返す。


 「君は誤解しているよ。ミディア嬢はね、豪胆なところもあるけれど基本的には臆病だ。そんなミディア嬢が我が家でくつろいでいるのはなんでだと思う?

 ……それはね、第三者的視点ではゼファン家が疑わしいと分かっていても、彼女自身が我々のことを微塵も疑っていない証左と言えるんじゃないかい?」

 「それは、……」


 フレイが視線を泳がせた。

 ミディアは恐る恐る口を開く。


 「そ、その通りです。私自身はリリアナ嬢のことを疑っていません。

 でもそれは、確かな証拠がある訳ではないので、コルテア卿に説明することは出来ません。

 ですので、なぜ疑われているかを理解して、その上で調査し報告しなければ……ええと、その、調査報告自体が信用に値しないものだとみなされてしまいます」

 「……なるほど、……僕が、浅はかだったようだ」


 フレイは肩を落としながら着席した。


 「すまない。あなたに安心して貰おうとしていたのに、かえって信用を欠く真似をしてしまった」

 「い、いえ、そんな事はないです。フレイ殿がリリアナ嬢を大切に考えていることが伝わりました。ええと、それでつまり、フレイ殿はドリスティオール家の調査に参加したいということなんですね」

 「ああ、それと、叶うならばあなたの持っている情報を僕にも共有して欲しい。

 これは僕個人としてのお願いであり、コルテア卿に報告をするつもりはない。

 あなたは、鷹巣砦の一件でゾデルフィアに関する情報を得たのではないかと思っている。それをリリアナ嬢から聞き出そうとしたが断られてしまってね。教えて欲しければミディア嬢の信用を勝ち取れと」

 「……なるほど」


 ミディアはしばし考えこんだ。


 「コルテア卿がゾデルフィアの調査を依頼したという事は、教会も一枚岩ではないという事ですよね。審聖官の立場であってもゾデルフィアに関わる知識はとぼしく、魔瘴の発生に関しても干渉してはいない、と」

 「それは、……分からない。僕に調べさせることでゾデルフィアに関する知識を持つものをあぶりだそうとしている可能性もある。

 ただ、これだけは誓います。

 僕自身は魔瘴の発生を絶対に許すことはなく、それに関わるものがいるならば全身全霊をかけて抵抗する。あなたがその勢力に抗おうとしているならば、決して裏切ることはいたしません」

 「……分かりました。ここまで来たらお話した方がよさそうですね」


 ミディアが覚悟を決めると、リリアナが席から立ち上がった。


 「でしたらお茶を入れなおしますわ。だって、喉がからからになるようなお話になりますものね」

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