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どうぞよろしくお願いいたします。

 サドランド――それは、ラシャド王国南東に広がる海辺の地方だ。

 いくつもの港を抱え、温暖な気候と豊かな海の恵みによって古くから商業の地として栄えてきた。


 王都からの距離は馬を使って4日ほど。高低差も少なく、道も整えられているために流通が盛んに行われている。

 この地方はモンスターによる被害も比較的少なく、物流が盛んなことから人々の生活は豊かだった。


 半面この地方は貴族にとって手に余る部分も多々あった。

 それは商業と流通を主とした都市である故に、商人が幅を利かせていることだった。

 やり手の貴族は商人を懐柔したり、自ら商売に乗り出したりして富を築いていった。その一方で、少しでも隙を見せたものはいかに名家であってもたちまち食いつぶされてしまう。

 それがサドランドという地方だ。


 そんなサドランドの中でも、ひときわ栄えていたのが港町エストリアだ。

 この街の隆盛を築いたのが、かつての領主マティス・ドリスティオールである。


 海に大きく突き出した岬の先端には、かつて栄華をほこっていたマティス・ドリスティオールの館がある。

 エストリアの街に作られた大聖堂や噴水広場、そういったものはすべてドリスティオール家によって作られた。

 エストリアに住む者たちにとってドリスティオールは絶対であり、国王にも等しい存在だった。


 ──だが、突如としてドリスティオール家の名誉は地に落ちた。

 領主マティス卿が悍ましい犯罪に手を染め、狂人としてその名を轟かせたのだ。

 すべては彼の独断によるものとされ、家そのものは断罪を免れた。

 だが、もはや地位を保てるだけの力はなかった。

 裏でどんな手を使おうとも、マティス卿の執政手腕は確かだったのだ。

 その支柱を失い、ドリスティオール家は坂道を転げ落ちるように没落した。

 商業の街エストリアでは、弱った貴族など商人たちの格好の餌食に過ぎない。

 かくして、ドリスティオール家はあっという間に食い荒らされてしまったのだった。


 港町エストリアは荒れに荒れた。

 白壁の街として知られた美しい景色は今はすっかりくすんでおり、路地裏には職を失ったドリスティオールの私兵がならず者となってたむろしている。

 かつては夜半過ぎまでにぎわっていた商店も、今では夕方を過ぎれば店を閉めるようになった。夜にはどの家も鎧戸をおろして例え外から恐ろしい悲鳴が聞こえようとも気づかないふりをして過ごしている。

 それが今のエストリアだ。


 「と、いう割にはめっちゃ賑わってる!!!!!!」


 事前に聞いていたエストリアの噂は、荒廃した港町というものだった。

 けれど、ミディアの目の前に広がるのはその予想とはまるで違う光景だった。


 街は、信じられないほどの活気に満ちていた。

 露店が軒を連ね、どの店も人で溢れ返っている。

 王都では見かけたこともないような商品が所狭しと並び、その間を人々が肩をすり合わせて行き交っている。


 見たことのない種族が入り混じっていた。

 狼とおぼしき耳と尻尾をはやした少女が干し果実を売り、その傍らでは耳の尖ったエルフの男が香辛料の瓶を吟味している。

 やけに小柄な商人は噂に聞くドワーフだろうか。店先に並べられた武具はどれも一級品で、修繕も請け負っているらしく奥ではカンカンと鉄を叩く音が響いている。

 ミディアが思わず足を止めたのは、籠いっぱいに盛られた、紫や橙、翡翠色の奇妙な果実。

 そのどれもが彼女の知る果物とは違い、どこか毒々しさすら漂わせていた。

 魚売りの露店には、瑠璃のような鱗を持つ魚が並び、エメラルドの瞳を持つものもいる。

 まるで宝石を捌いているかのようだった。


 路地の一角では、異国の旋律を奏でる詩人がいて、その傍らでは陽気な踊り子がきらびやかな衣装をひるがえす。

 鍋から立ちのぼる香辛料の刺激的な香り、遠くで聞こえる喧騒と笑い声、足元をすり抜ける子供たちの駆け足――

 五感すべてが、熱を帯びているようだった。


 「雑多で、情熱的で……なんか、すごい……」


 ミディアがエストリアに抱いた第一印象は、まさにその一言に尽きるのだった。


 「あああ、あの、リリアナ嬢、その、エストリアは治安が悪く混乱のさなかにあると聞いていたのですが」

 「そうね。それは正しい情報だわ。でもね、この港町はいつだって混乱のさなかにあるし、治安だってあまり宜しくはないの。変わったのはその矛先よ。

 以前のエストリアは貴族たちにとっては安全な場所だった。ドリスティオール家の威光は街のならず者たちまで行き届いていたの。

 その威光がなくなった。貴族たちは身を守る笠をなくしたというわけね。だから“危険になった”と騒ぎ立てているのよ。ええ、自分たちにとって、という意味でね」

 「ええと、でも、その、以前は夜遅くまでやっていた店も今は陽が落ちると閉めてしまうと聞きました」

 「ええ、それはその通りよ。治安が以前より悪くなったのは確かだわ。以前はドリスティオール家の私兵が街の見回りをしていたけれど、それがなくなってしまったから。でも昼間はこの通り、以前と変わらない活気に満ちているの」


 リリアナとミディア、それに護衛としてついている騎士はエストリアの中心である商店街を歩いていた。

 アレクシアは騎士団を率いて少し遅れて来ることになっている。リリアナによる手回しが終わったころに合流できることだろう。

 ミディア達はそれに先だってエストリアを訪れた。

 正装を避け、目立たぬ装いに身を包んでいても、商人たちの鋭い視線はごまかせない。

 品定めするような目が、ミディアたちの服の縫い目から靴底に至るまでを舐め回していく。

 「旅人」などという言い訳は、この街では通用しない。

 正直、ミディア達が商店街を歩いて回るのは危険だった。

 ドリスティオールの私兵の中には、ミディア達の存在を知っている者もいるだろう。自分たちの職を失わせた者として敵視されていても不思議ではない。

 それでもミディアは実際に街を見て歩きたかったし、マヌマム族を襲撃した者たちの情報をくれたコボルトの商人と直接会って話したかった。


 「あそこのようですわね」


 コボルトの露店では見覚えのあるカエルの丸焼きを売っていた。

 今のミディアならドドマタカエルを見ても悲鳴をあげることはないし、何なら丸焼きでも食いつける自信があるほどだ。

 だが問題はそこではない。

 コボルトの商人はなんだかとっても揉めていた。

 柄の悪い連中に囲まれて因縁をつけられているようだった。

 近づくにつれて、ぴりついた空気が肌にまとわりつくようだった。

 通行人は視線を逸らし、露店の売り子たちは手を止めて成り行きを窺っている。

 いかにも柄の悪い男たちが、コボルトを囲んでいた。


 「気色悪いもんを売るな」

 「誰に許可とって商売してんだ、ああ?」


 繰り返される罵声に、コボルトの耳がぴくりと動く。


 「ななな、なんか、その、めっちゃ揉めてますね」

 「そうですわね」


 困りましたわね、などと言いながらもリリアナが足を止める様子はない。

 笑顔のままゴロツキ達に近づくと、「ごきげんよう」と優雅に声をかけた。


 「随分とお声が大きくて驚きましたわ。……あら、このコボルトさん、ちゃんと出店許可書を掲げていらっしゃるのね。まさか、ご覧になられていなかったのかしら?」


 リリアナが示した出店証明書はギルドの焼き印がついている木札で、確かにそれは店の分かりやすい場所にきちんと提示されている。


 「うるせぇッ!!!! 誰に向かって口を聞いてやがるんだ!!!!」


 まるで慣用句のようにゴロツキが唾を飛ばしながら言い返すが、リリアナはまるで動じない。


 「あら、どなたに向かって言っているのかしら。わたくし、貴方の事を存じ上げないので教えて下さらない?」

 「オレを知らねぇとは潜りだな? ただの世間知らずの嬢ちゃんか? いいか、オレはサドランドを治めてる鉄鼠衆の一員だ。ここいらの事は俺たち鉄鼠衆が好きにしていいと言われている。てめぇみたいな生意気なガキをしめるかどうかも、俺たちの胸三寸つ~訳だ」

 「まぁすごい。難しい言葉を知ってらっしゃるのね!」


 リリアナはぱちぱちと手をたたく。

 案の定、激高したゴロツキがリリアナに掴みかかろうとしたところで、集まっていた野次馬達が二つに割れた。


 「はいはい、ちょおっと通してもらいますよ」


 野次馬の人垣がざわめき、次の瞬間、誰かが息を呑んだ音が聞こえた。

 そこへ、ゆっくりと歩いてくる一人の男がいた。着流しを粋に着こなした、どこか東の香りのする人物だった。

 朱色に紺の刺繍を施した衣は、動くたびにさらりと風を切り、場の空気をぴんと張らせていく。

 歳は四十を少し越えたあたりか。白髪の混じる黒髪は無造作に結われているが、それすらも粋に見せる風格があった。

 物腰は穏やかで、笑みを浮かべた顔立ちは人好きのする柔らかさをたたえている。

 だが、その笑顔にはどこか底知れぬ静けさがあった。

 軽く目を伏せただけで、人々の呼吸が浅くなる。

 声を発せずとも、場の空気が張り詰めていく。

 まるで、猛禽が羽音もなく枝に舞い降りたような静けさだった。


 「お前さん、鉄鼠衆って言ったかい?」

 「そ、そ、そうだッ!!!!」


 ゴロツキ達は数で押そうと男の前に立ち並ぶ。だが、男の後ろからはゴロツキの数倍の男たちが現れた。一人ひとりが、殺しを飽きるほど経験してきた顔をしている。


 「ほお? 鉄鼠のどこの団だ?」

 「わ、われわれは、み、港の警備を任され、……」

 「どこの団だか言ってみろ。お前らみたいなゴロツキを雇った馬鹿がいるってなら、ちょいと叱ってやる必要がありそうだ」


 にやにやと男が笑うのに、ゴロツキ達は青ざめる。

 気がつけば、いつの間にかゴロツキたちの背後を、私兵たちが静かに塞いでいた。

 足音ひとつ立てず、殺気だけで空気を締め上げている。


 「そちらさんが大人しくするってなら、手荒な真似をする気はない。商売はまず話し合いだ。腹ぁ割って話し合おうや。どこをどう間違えて鉄鼠衆の名を騙ろうなんて思ったか、た~っぷり聞かせてもらおうか?」


 無精ひげを擦りながら笑う男に、ゴロツキたちは死刑宣告でも受けたような顔になっている。

 まぁ実際、それに近いことが起きそうだ。ミディアはそっと手を合わせる。

 悲鳴をあげるゴロツキは、あっさり連行されていった。

 後に残った着流しの男は、リリアナに向き直ると目を細めて微笑んだ。

 リリアナも男に向かってたいそう嬉しそうに微笑みかえす。


 「お久しぶりです、お父様。お迎え、感謝いたします」


 一拍、静寂。

 そして次の瞬間、男の態度が豹変した。


 「ぷえええええええええお帰りなさいリリアナちゃん!! リリアナちゃんが来るって聞いて、パパ、朝から何も喉を通らなかったんだよ! 夜も眠れなかったし、商談すっぽかして服選びに3時間かけたんだよ! どこか痛いとこはない? 寒くなかった? 怪我してない? リリアナちゃんにもしもの事があったら、パパはもうどうしていいか分からな、……」


 まくしたてる男の額へとリリアナの扇がバシンと音をたてて打ち下ろされる。

 男は「ふぎゅうう」と声をあげると、額を抑えてしゃがみこんだ。


 「……お父様、以前から言っておりますが、人前でそのような態度は控えてくださいませ? そうでないとリリアナは機嫌を損ねて、口も聞きたくなくなってしまうかもしれませんわ」

 「ふええええ、ごめんなさい! パパ、あんまり嬉しかったから、ついつい約束忘れちゃったよ!」


 そこまで言うと男はすっくと立ち上がった。

 甘ったれた声を嘘のように引っ込め、咳払い一つで男はすっかり“顔”を変えた。

 背筋を伸ばし、目元にだけ微笑を残した表情は、どんな修羅場もくぐり抜けてきた商人のそれだった。


 「──ようこそ、サドランドの貿易都市エストリアへ。私の名はアキサメ・ゼファン。リリアナの父親にして、この一帯を仕切る鉄鼠衆の長でもある。よろしく頼むよ、ミディア嬢」


 男――アキサメは、片手で袂を押さえながら、もう一方の手を胸元に添え、腰を浅く折る独特の所作で礼を示した。

 それは、この地では珍しい東方の礼法でありながら、不思議と洗練された品格を感じさせるものだった。

 商人としての誠意と、長としての矜持。その両方が滲み出ている。

 ミディアはなんともいえない笑みのまま、丁寧にお辞儀をして返した。

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