③
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「闇の精霊”ゾデルフィア”に呼びかける召喚術だと?」
アレクシアが大きく目を見開いた。
ガタリっと音をたて思わず椅子から立ち上がる。
「その名前は、マティス卿が叫んでいたものと同じですわね」
リリアナが憂い顔で呟いた。
「はい。それがまず第一の点です。
教会が浄化の奇跡と名付けて使っていた魔法が、闇の精霊に対して呼びかけるものだった。ゾデルフィアの名前は魔塔においても禁忌のように扱われています。それをまさか、教会が――しかも“聖女”の手によって――奇跡として用いていたなんて」
「だが、それだけではないのだな」
「はい、そうです」
ミディアは重々しく頷いた。
会議室に集った面々と一人ずつ視線をあわせ、そして再び口を開く。
「先ほども話した通り、この術式は二つで一つなんです。
つまり、”門を閉じる”術式がある以上は、”門を開く”術式もあるということになります。
……これは、魔瘴の出現が人為的に行われているという証拠となるんです。
そして、その術式を教会側が把握しているという事にもなります」
アレクシアは呆然としたまま、静かに腰をおろした。
しばらくは誰も喋らない。重苦しい沈黙が降ってくる。
「……状況を一つずつ整理しよう」
最初に口を開いたのはジュードだった。
卓上に置かれたグラスの水で喉を潤し、冷静になろうと努めている。
だが握りしめられた拳が小さく震えていることにミディアは気が付いた。
「まずはこの術式に関して、──教会がどこまで理解しているかについてだ。
俺が思うに、教会関係者のほとんどはこの術式を正しく理解してはいないだろう。ゾデルフィアの名も魔塔の中ですら禁忌としてほとんど耳にすることもない。長い詠唱の一文にその名が入っていたところで、意味も分からずに唱えている可能性の方が高いだろう」
「そうだな。エレナローズ嬢は気づいたようだが、彼女は上流貴族として魔術の教育も受けていた。ゴッドウィン家に名を連ねるものとしてマティス卿の事件に関しても報告書に目を通していた可能性も十分にある」
ジュードの言葉にアレクシアが同意をしめす。ジュードは頷くと先を続けた。
「よって、教会関係者の多くは浄化の奇跡の異常性に気づいてすらいないだろう。つまり、教会関係者のほとんどは魔瘴の召喚に関わっていないし、それが人為的なものだとは知りもしない」
「問題は悪意をもって魔瘴の召喚を行っているものがどれくらいいるか、ですわね。魔瘴を召喚した方々の尻尾をつかめれば良いのだけれども」
リリアナは魔法陣を見つめながら眉をしかめる。
「て、手掛かりはあります」
ミディアは身を乗り出した。
「マヌマム族の里に魔瘴が召喚された時のことです。
生き残った者によると――魔瘴が現れるよりも前に、人間が村を襲ったそうです。そしてコボルトたちを一か所に集め、皆殺しにしたと……
これは魔瘴を召喚するための生贄として利用されたのだと思います。
これまで魔瘴が出現した場所は、いずれも誰かが暮らしていた痕跡がある土地ばかりでした。誰にも知られず、無人の地に魔瘴が自然発生した例は、ひとつもありません」
「魔瘴の発生とともに周囲の村が滅んだという報告は数あるが、モンスターによってではなく、生贄として殺されていたという訳か」
アレクシアの表情が目に見えて曇る。
その空色の瞳は憂いと、そして無惨にも命を奪われた者たちへの義憤で静かに揺れていた。
「はい。そして、ここからが重要なのですが、コボルト達は血の匂いがとても濃いそうです。
仲間を殺した相手は必ず分かると言っていました。なので私は、マヌマム族の巫女であるクニャンにお願いをしておいたんです。もし同胞を殺した者を見つけたら教えてほしいと」
「見つかったのか?」
「……時間がかかりました。襲撃者はすぐに逃げていってしまったので。
でもコボルトの商人は各地に散らばっています。ノズガリア以外にも情報網があるそうで、そこから入った情報によればコボルトの血の匂いをつけたものがサドランド領に向かったらしいんです」
サドランドと聞いてアレクシアが眉をしかめる。
「あの地方といえば、……マティス卿の領地か。あそこは今、混迷をきわめている。マティス卿亡き後、処罰を免れた一族は必死に立て直しを行っていたようだがな。混乱に乗じた商人に特産物の販売権を奪われた上に、領土の管理もままならずギルドの傭兵たちに依頼している有様だと」
「ああそれでしたら、おおむね我が家のせいですわ。サドランド領はゼファン家が貿易の主流として使っている港街なので、沢山のコネクションがありますの」
さらっと口にしたのはリリアナだった。
扇で口元を抑え、……その扇の下はきっと笑っているのだろう。
「わたくし、教会と魔瘴がなんらかの関わりがあることは分かっておりましたの。けれども、ジュード殿のいうとおりどこまで関わりが深いか、どの程度関わっているのかはつかめなかった。
その中でもっとも怪しい動きを見せていたのがマティス卿でした。あの男は邪教とつながりがあり、教会とも深いパイプがある。
──魔瘴と関係がない筈がない」
低く確固たる響きを持ってリリアナが断じる。
「ですから我が家は、マティス卿を絶対に許さないことにしましたの。マティス卿の暗躍によって甘い汁を吸っていた一族も見過ごせません。
そこで、経済的な制裁をくわえることにいたしましたの。
例えば塩、薪炭、酒、織物──これらは領主の専売品でございますけれども、領主側が供給不能と判断された場合には、“臨時流通”として、認可を受けた商人が代わって販売することができますの」
彼女の扇がひらりと揺れるたびに、言葉に含んだ棘が、柔らかな毒のように広がっていく。
「まず、荷物の搬入を邪魔して物資不足を演出。『侯爵家がわざと物流を滞らせて高値で売ろうとしている』などという噂を流し、人心を離反させた上で──実際には流通を止めず、ゼファン家の商人ギルドを通して“救済”と称した低価格販売を行ったのですわ」
パシンと、軽やかな音と共に扇が閉じられた。その下の顔は、やはり笑っていた。
「さらに、資金源を失ったドリスティール家には、低利の融資を申し出て泳がせた後……“返済能力に疑いあり”と理由をつけて、即時の全額返済を要求しましたの。
その結果、今では家財も売り払い、使用人もほとんどが辞してしまったとか──お可哀想に」
……あ、やっぱり、一番敵に回しちゃいけない人だった。
ミディアはタラリと冷や汗をたらす。
だがミディアは良い方で、リリアナの本性を初めて目の当たりにしたジュードは、可哀そうなほど動揺を見せている。
うん、そうだね。怖いよね。
羽虫を殺すことすらためらいそうな、儚げな面差しと、鈴を転がすような笑い声。
そんな“庇護される側”の仮面を完璧にかぶった令嬢――リリアナ・ゼファン。
しかしてその正体は、ころころと笑いながら敵対者を虫けらのごとく潰す女。
それこそがリリアナの真の姿なのである。
その怒りの根源が魔瘴にあるのだとしても、やっぱり怖いものは怖かった。
「え、ええと、で、では、サドランドに逃げ込んだ襲撃者に関してはリリアナ嬢にお任せしていいですか?」
「ええ、もちろんですわ。そこでご相談なのですが、アレクシア嬢の騎士団を治安維持部隊としてサドランドに送り込んでいただくことは可能ですか?」
「あい、分かった。任せておけ。そのためにちょっとした暴動を起こすなどリリアナ嬢には容易いことだろう」
「まぁ、そんなに褒められたらわたくし、照れてしまいますわ!」
リリアナはとても良い笑顔だった。
対してジュードはどんどん顔色が悪くなる。
骨ばった指で眉間の皺を揉みながら考えをめぐらせているようだった。
「では、教会がどれくらい関わっているかに関してはリリアナ嬢を筆頭にし調査を進めるということで構わないだろう」
「ええ、お任せくださいませ」
リリアナは嫣然と微笑んだ。
その笑みにますます眉間の皺を濃くしながら、ジュードは重々しく口を開く。
「……だがこれは最終目標ではない。
最終目標は、魔瘴の召喚を行っている者たちの行動を封じること。
これに関しては非常に困難な道になるだろう。
教会がどの程度関わっているかは分からないが、教会との協議なしに進めることは不可能だ。つまり、この問題を出来る限り対等な立場で教会と話し合う必要がある」
その言葉に皆の顔つきが引き締まる。
ミディアはぐっと拳を握りしめると、何度も噛みしめるように頷いた。
「そ、そうなんですよね。多分、未来視で見た私は、その協議に失敗したんだと思うんです。教会に認めさせることが出来なかった。恐らく教会だけでなく、周囲を説得することも出来なかった。
……となれば、魔瘴を封じることが出来る唯一の機関である教会に対して、ジュードさん達は逆らうことが出来なくなる。だってそれは、魔瘴を封じるか否かを人質にとられているのと同じです」
「そのシナリオならば、俺が断罪の道を選んだことも納得できる。ただ、状況としてそうせざるを得ないだろうという納得であって、俺の心境としてはまったく納得など出来ていなかっただろうがな」
「そ、そう、願います」
そこでジュードは一度押し黙ると、ミディアにまっすぐ向き直った。
感情の読みにくい怜悧な双眸は、だがその奥に確かに慈愛を宿している。
「ミディア嬢、この問題に関しては君の父上にも話すべきだ」
「……うえええ」
ミディアは思わずつぶれたような声を出す。
そのことはミディアも分かっていた。
教会に対して真っ向からやりあおうとしているのだ。ロストバラン家に泥を塗るどころの騒ぎではない。
訴えを起こす前にロストバラン家から籍を抜いてもらうという手もあるだろうが、その程度で責任を逃れることは無理だろう。
つまり父には、……しっかりと話す必要がある。
「わ、分かって、ます。でも、その、まだ覚悟が出来てないので、その、もうちょっと、証拠がまとまったら、が、頑張りたいな、と」
「そうか。だがあまり悠長にはしていられない。ロベルト殿とて色々と準備が必要だろう」
「……はひ、……」
ミディアはきゅっと縮こまった。
プレッシャーでその小さな体ごと巨大な手で握りしめられたような気持ちになる。
「あ、あと、最後もう一点確認しておきたいことがあります。首都に近い場所で魔瘴が発生するような事態となった場合、大聖女の筆頭候補は第三王女モレアンキント様になりますか?」
この質問にはしばらくの間があいた。やがて口を開いたのはリリアナだ。
「ええ、第三王女のお立場を考えればその可能性は高いでしょうね。王女の母君の母国であるシルクザイア王国は豊かな国とは言えません。側妃として嫁いできた事もその力関係を如実に示しています。
側妃の娘であり、順位は低いながらも王位継承権を持つモレアンキント様の立場はいささか複雑です。
以前、謝霊祭で起こった毒入り焼き菓子の事件でもあったように、彼女に王位継承権があることを快く思っていないものは多くいます。
くわえてモレアンキント様は黄金の目を受け継ぐことが出来ませんでした」
言われて思い出してみると、確かにモレアンキントの瞳は美しい紫色だった。
神の寵児エダンの血を濃く受け継ぐ者は、髪も瞳も黄金色に輝くと言われている。それは神の加護の証であり、王家においても特別な意味を持つ。
つまり、モレアンキントの紫の目は──神の血が薄いと見做されるのだ。
「モレアンキント様が幼い頃より教会と深いつながりを持っていたのは、ご自身の命を守るためでもあったのでしょう。
ゆくゆくは王籍を捨て聖女になれば、継承権問題に巻き込まれることはなくなります」
「……モレアンキント様が優れた奇跡の使い手であるという話は騎士団にも聞こえてくる」
渋い顔で呟いたのはアレクシアだ。
「首都近辺に魔瘴が発生し、大聖女の存在が必要とされることになれば、モレアンキント様は、……言い方は悪いが、実に”都合の良いお方”となるだろうな」
「ええ、そうですわね。王家は有事の際に皇族から聖女を差し出すことで民衆の支持を集めることが出来る上に、お家争いの芽を潰すことが出来る。
国力の低いシルクザイア王国側としても、娘を差し出すことでリターンが得られれば悪い話ではないわ」
「な、なるほど……」
紫の目で生まれたことにより神の血が薄いと見做された王女が、有事には大聖女に選ばれる。
──皮肉だが、これほど“使いやすい駒”もない。
モレアンキントこそ大聖女である。これで色々なことがはっきり見えてきた。
「わ、分かりました、ありがとうございます」
ミディアが頷くと、アレクシアが立ち上がった。
その表情はすでに迷いも憂いもなく、次なる目標を見据えている。
「それでは、互いに準備にとりかかろう。私はいつでもサドランドに向かえるように備えておく。調査にあたってミディア嬢も同行するということで問題ないか?」
「は、はい、問題ないです」
続いてジュードが立ち上がった。
「では俺は、ゾデルフィアの文献に関して調べなおそう。実家の本棚にもいくつか興味深い文献があった筈だ」
「よ、よろしく、お願いします」
今にも歩き出そうとするジュードをミディアは慌てて呼び止める。
「あと、その、アジャータルさんというエーテルを専門に研究されている方をご紹介頂いたんです。なので、その方にも会っていただいて、魔瘴の出現とエーテル量の変化について調べて貰ってもいいでしょうか。
ノズガリアでは、エーテル量が異様なほど増加していました。治癒の魔法で使って、浄化の奇跡で使ってもまだ残っていたほどです。そのことが魔瘴というものを知るための手掛かりになるかもしれません」
「分かった。任せておけ。そういう事ならば得意分野だ」
ジュードは快くうなずいた。
「ではわたくしは、サドランドのギルドを動かして、さらなる混乱を巻き起こしますわね!」
最後にリリアナがいかにも楽しそうに立ち上がる。
道は決まった。
同時に、戻れない一歩を踏み出した。
でもまだ大丈夫だ。時間はある。あの断罪劇が起こるのは、首都に魔瘴が出現するのは、まだ数年も先のことなのだ。
それまでに、何としてでも盤上を整える。
道は険しい。だが──それでも、戦ってみよう。
そう、決意した。




