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どうぞよろしくお願いいたします。

 形勢は傾きつつあった。

 倒したはずのモンスターが蘇る。それだけならばまだ良かった。

 死んだはずの仲間が──声も上げずに、グールとして這い寄ってきた。

 その目は、もう何も映していない。

 グールは鈍く、決して強い相手ではない。

 ただ、つい先ほどまで肩を並べて戦っていた戦友だ。その死を悲しんでいた直後に、再び殺すことになる。それは歴戦の騎士たちでさえ、心に深い傷を負う。


 アレクシスは蘇ったワイバーンに切り掛かった。

 ワイバーンの動きは先ほどよりも鈍かった。ただ斬りつけても悲鳴をあげず、皮膚が裂け翼をもがれても攻撃のペースが変わらない。

 モンスターもまたグールと化しているようだった。それはもはや死骸に意志を持たせた何かに変わっていた。

 痛みも、怒りも、残っていない。ただ“動く”だけだ。

 もっとも悍ましいのは、切り落とされた肉片がその場で蠢いていることだ。

 切り離された肉片が、蠢く。

 地面を這い、他の肉片と融合し、また別の“形”を作ろうとしている。


 「報告ッ!!!! 蘇ったモンスターが門に接近しております!!!!」

 「分かった。私が出るッ!!!!」


 素早くこたえたアレクシアが胸壁に駆け上がり飛び降りる。

 こうなってくれば乱戦だ。

 一部のモンスターは壁面をよじ登って屋上にも攻め込んでくる。弓兵隊も剣を引き抜くと這いあがってくるモンスターへ斬りつける。


 「肉片を燃やせっ!! 復活させるなっ!!!!」


 ジュードが声をあげ、飛び散ったワイバーンのかけらを焼き払う。

 炭にしてしまえば、流石に動くことはない。だが一匹を倒すための労力が二倍以上に跳ね上がる。


 ミディアはエレナローズを守るために小さな結界をはっていた。

 二人分ほどしかない。とても小さなシェルターだ。

 だが今は、聖女を守り切る以外、勝ち筋が残っていなかった。

 もとは砦の上部を包み込むための結界だ。それを小さく展開すれば強度こそ増すものの魔力は恐ろしい勢いで減っていく。ミディアは、自分の魔力が、指先から血を流すように抜けていくのを感じていた。

 魔力の残量ではない。心臓の鼓動そのものが細くなるような感覚だった。


 ジリ貧だ。

 このままじゃいつか押し負ける。


 ミディアはエレナローズの表情を盗み見た。

 額には玉の汗が浮き上がり、祈るために握った手は爪が食い込みそうなほど強く力がこもっている。

 彼女も必死で戦っている。

 つい先ほどまで奇跡は完成しかけていた。

 だが恐らく、アレが現れたことにより、より多くの力が必要になったのだ。

 出来るのだろうか。アレは人の手で封じることが出来るような相手だろうか。


 落ち着け。

 絶望が這いあがってきた時に、ミディアはあの歌を思い出した。

 傷ついた騎士が歌っていた歌。そうすると、少しだけ緊張が和らいだ。

 ゆっくりと息を吸いゆっくりと吐く。

 

 大丈夫だ。まだ私は戦える。

 私も、アレクシアも。アレクシスやジュード、ヴェルドレッドも。

 まだ誰もあきらめてはいないのだ。

 そして誰よりも、エレナローズが命をかけて祈っている。


 だから、ミディアはここを動かない。

 状況は絶望的だったが、なぜだか悪くない気分だった。

 私はまだ戦える。それはなんと嬉しいことだろう。


 「大森林に動きありッ!!!! 新たなモンスター出現、……訂正っ!! 大森林よりコボルトの軍団が現れましたッ!!!!」


 砦に緊張が走った。

 この期に乗じて、コボルト族が人間を討ちに来たのか──そんな懸念が脳裏をよぎる。


 「先頭にグエムス族、ミミンタ族、ペチュペチュ族、マンガリ族の姿も見えますッ!!!!」

 「なんだと!? あれは……混成部隊だと!?」


 アレクシスの声が驚愕に揺れた。

 ふいに、空が鳴った。

 鬨の声。

 それは、はるか昔に獣の民が一つの命に従ったとされる、神話の時代を思わせるような咆哮だった。


 先陣を切るのは、グエムス族の戦士たち。

 そのすぐ後方には、色鮮やかな部族衣を身にまとったミミンタ族、羽根飾りを揺らすマンガリ族、足並みそろえて走るペチュペチュ族。

 そして、その中央を駆けるのは──。


 「ディアドラ殿だッ!! マヌマムの巫女と共にいる!!」


 その報に、アレクシスの表情が変わった。


 「……そうか。魔瘴に堕ちたものを、マヌマムを穢した敵と見なしたか」


 人間では届かぬところに、信じて語った者がいた。

 言葉が届いた。誇りが、届いた。


 「今が好機ッ!! 全軍、押し返せッ!!!!」


 アレクシスの叫びが雷鳴のごとく砦を駆け抜けた。


 騎士たちが応じ、雄たけびをあげる。

 ヴェルドレッドの騎兵もコボルト軍の意図を読み取り、即座に隊形を修正し、その横陣を固めて進撃を開始する。

 人と獣が肩を並べて戦場を駆ける。

 アレクシスはワイバーンの首を跳ね飛ばし、ジュードがそれを灰へと還す。

 アレクシアは剣と叫びで兵を鼓舞しながら、死者の群れを谷底へと叩き落とす。


 そして、──浄化の奇跡は完成した。


 「慈悲深き神、我らが主よ。どうかこの祈りを聞き届けたまえ」


 エレナローズが祈りを捧げる。エーテルで編んだ魔力が寄り集まり、堅牢な奇跡を形どる。

 ミディアは目を凝らし、息をとめ、じっとそれを見つめていた。


 『ア・ローモ・フィア・ルアーナ・ティオトフィア・ラ・アヌアクレトフ・ル・アダーン』


 記憶をたどり、古文書に描かれた文字を追う。

 この意味は「全能なる精霊よ、我が魔力と引き換えに、どうか願いを叶えたまえ」だ。

 詠唱は「我らが開きし門を閉じ、我らが主を眠りへといざなうことを許したまえ」と続く。

 そして、最後の言葉は。


 『ルアーラ・ティ・クアトゥリ・……──ゾデルフィア』


 ヒュっと、ミディアは息を飲み込んだ。

 その瞬間、心音すらも凍り付いた。


 今、……なんと言った?


 エレナローズは魔力を捧げる相手として、誰の名前をささやいた?

 驚きに見開かれたミディアの瞳を、エレナローズは微笑んで優しく見つめかえす。

 これが、浄化の奇跡であるならば。教会が秘匿し続けた術であるならば。

 

 ────だが、奇跡は成った。


 浄化の奇跡は発動し、エーテルの粒子が爆ぜるほどに光り輝き宙を舞う。

 エレナローズから放たれた光が、魔瘴の暗雲を刺し貫く。

 幾重にも重なった悲鳴と咆哮。魔瘴の暗雲に雷鳴が轟き、高い木々に雷が降り注ぐ。


 「エレナローズッ!!!!」


 ミディアは叫んだ。

 その声にアレクシスが振り返る。

 エレナローズの体からは、鋭い光が放たれてそれが魔瘴を消していく。

 その光は、聖女の魔力そのものだ。エーテルだけでは足りなかった。エレナローズの魂そのものが奇跡を成すための薪となって燃やされる。


 「エレナッ!!!!」


 必死の形相で駆け寄るアレクシスに、エレナローズは嬉しそうに笑ってみせる。


 「……言ったでしょ、私、意地悪なのよ」


 そう言って、エレナローズの体は光の粒となって砕け散る。

 すべての魔力を失って、その魂すらも壊れたのだ。

 駆け寄ったアレクシスの腕は宙をきり、そこにはあるのはわずかなエーテルの残滓だけだ。

 魔瘴は消え、エレナローズも消え去った。

 浄化の奇跡は、……見事、成功したのだった。




 ***





 ミディアは胸壁の上に座っていた。

 モンスターたちは魔瘴の消滅とともに、逃げ場を求めるように甲高い声を上げて四方八方へと散っていった。足のあるものは大森林の中へと消え去り、羽のあるものは空の彼方へ飛び去った。幾度も蘇っていたグールも立ち上がることはなくなった。

 騎士たちはすでに後片付けを始めている。

 積み上げられたモンスターの死骸に火が放たれ、濃い黒煙と焦げた皮膚の匂いが砦の空を覆う。燃える音と、肉が弾ける不快な破裂音が断続的に響いていた。

 砦の一角には亡くなった騎士たちの遺体が並べられ、紋章官が一人ずつ勇ましき戦士の名を書き留める。

 ミディアも何か手伝いをしたかったが、魔力を消費しすぎたためほとんど動けなくなっていた。

 指を動かすのも億劫で、瞼も重く、視線もうつろ。きっと酷い顔をしているだろう。


 「ここにいたのね、子猫ちゃん」


 視線を向ければディアドラとクニャンの姿があった。

 二人とも昼夜を問わず駆け続けていたのだろう。流石のディアドラでさえ、髪は乱れ目元にははっきりと分かる陰りがある。それでもその表情はいつも通り優しかった。

 クニャンは手を振りながら嬉しそうに駆け寄ってくる。


 「お帰りなさい」


 クニャンの体を抱きしめると、少し心が癒される。


 「コボルトのみんなを応援に呼んでくれたんだよね。ありがとう」

 「お礼には及ばないのです! わたしは自分たちの場所、取り戻したかった」

 「でも、その、……最初に襲ったのが人間だってことを言わないでくれたんでしょ?」

 「そう、ですね。わたしはそれを言いませんでした。でも正しいことをしたと思っています。故郷を取り戻せた。それに、友達も守ることができました」

 「それって、その、ええと、……もしかして、私のことも入ってる?」

 「もちろんですッ!」

 「……嬉しい」


 ぎゅうっとクニャンを抱きしめると、コボルト特有の獣くさい匂いがする。でもミディアにはその匂いが心地よい。


 「グエムス族のコボルトたちはさっさと帰っていったみたいね」


 ディアドラはミディアの隣に腰をおろした。


 「そう、ですね。この機会に歩み寄りが出来れば良かったと思うんですけど、やっぱり、難しい、ですよね」


 ミディアもコボルトに対して、たくさんの偏見をもっていた。ドドマタカエルは悍ましい食べ物だと思っていたし、この土地に来るまではコボルトが城下町で平和に商売をしていることすら知らなかった。コボルトは、モンスターとほとんど同じ存在だと思っていた。

 そんな偏見がある限り、人間とグエムス族の間ではいずれまた戦いが起きるだろう。

 ミディアは目を伏せ、小さく息を吐いた。その未来を変える手立てが、自分にあるのだろうか――そんな問いだけが、答えもなく胸の奥に沈んでいた。


 「大丈夫ですっ! クニャンががんばります!」


 クニャンが勢いよく顔をあげた拍子に、ミディアの顎に『ゴツン』と硬い衝撃が走った。コボルト特有の骨仮面はまるで岩のようで、思わず涙が出そうになるほど痛かった。


 「ああああ、すいませんっ!」

 「だ、だいじょうぶ、です」

 「そ、その、……グエムス族と人間の皆さんとの講和は、とても難しい、そう思っています。でも、わたしが頑張ります。先ほど、この砦の長から、新しい土地が見つかるまで、ここで暮らしていいと言われました。わたし達はその恩義を忘れません。わたしは巫女として必ずや新しい祖霊樹を育て、そしてコボルトと人間との関係をより健やかなものへと導きます」

 「うん、……ありがとうクニャン。大好きよ。私はじきに王都に帰るけど、絶対にまた会いにくるね」

 「はい!! ミディアさんが来る時には、ドドマタカエルを100匹用意してお待ちしてます!!!!」

 「そ、それは、流石におおすぎる、かな、……」


 考えるべきことはたくさんあった。

 エレナローズから託されたものはあまりにも重かったし、一つの謎がとけたことで新たな謎がすでに山積みになっている。

 それでも今は、ただクニャンの小さな体を抱きしめたまま、この場所に座っていたかった。

 大森林の向こうへ沈む夕日が、黒々とした梢の輪郭を黄金に縁取っていた。

 芽吹き始めた若葉が淡い光を受けてわずかにきらめき、冷えきった空気の中、若葉の輝きはまるで霜のように儚く、すぐに消えてしまいそうだった。

 遠くでは渡り鳥が一声、細く鳴いて森に消えていく。

 この地の春は、まだとても遠い。

 空の色は温かな橙から、静けさを帯びた紫へと、ゆっくりと溶けていった。

 じきに夜が訪れる。

 外気はますます冷え込み、ミディアは体を震わせた。

 寒い。でもまだ、もうしばらくここにいたかった。

 かがり火が灯り、ゆらゆらと揺らめく光りの中から騎士たちの歌が聞こえてくる。

 その旋律に目を閉じれば、胸の奥からあふれた何かが、そっと頬を伝って落ちていった。








今回で第三章は終了です。

ここまで読んで下さりありがとうございました。

引き続き第四章をお楽しみください。


【次回予告】


闇の祈りは、静かに満ちていた。


港町エストリア――かつてマティス卿が治めていた地。

華やかだった港町は、いまや混迷を極めていた。


教会が“奇跡”と呼んだその祈りは、なぜ闇の精霊ゾデルフィアに捧げられたのか。

真実は光の奇跡ではなく、災いの名を持って現れる。


次回――『暗潮奔流エストリア』

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