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「浄化の儀は、三日後──この地にて執り行う」
砦の騎士たちを集めたヴェルドレッドは聖女エレナローズを傍らにおきながら通告した。
「本来ならば、一刻も早く終わらせたい。だが、聖女が祈りを捧げるその時、魔物どもは最後の力を振り絞り、我らに牙を剥くだろう。
今の我が陣に、それを防ぎきる余力はない。
だが──かといって猶予を与えすぎれば、敵はなお魔瘴に群れ、膨れ上がる。
ゆえに、三日。
三日後、我らは体勢を整え、決着をつける。
この砦に流された血と誇りに応えるためにも──必ずだ」
騎士たちの反応は様々だった。
武者震いをする者もいれば、不安げな顔をする者もいる。
当然だろう。一刻も早く決着をつけたいと思うものの、モンスターたちの決死の抵抗は恐ろしい。
今までとは異なり、喉元に刃を突きつけての戦いだ。モンスターも一切の余力を残すことなく、攻撃を仕掛けてくるだろう。
騎士たちがざわつく中、エレナローズが一歩前に進み出た。
「皆さま、こたびの魔瘴を浄化すべくはせ参じました、エレナローズと申します」
胸に手をあてにっこりと微笑む美しい所作に騎士たちが息を飲む。
中には「エレナローズ様」と呟く者もおり、かねてより彼女の存在を知っている者も多いようだ。
ミディアはアレクシスの顔を盗み見た。
先ほど見せたようなあからさまな不機嫌さはないものの、表情は硬くわずかに眉間にしわが寄っている。
やはり納得出来ていない様子だった。
「この身は未熟なれど、祈りに迷いはございません。
魔瘴を浄化するその瞬間まで、心を砦に捧げます。
どうか皆さまも、最後の時まで、この地を守り抜いてくださいませ」
魔瘴の浄化は命がけだと言われている。
美しい、まだ少女といえる年齢のエレナローズが訴えれば騎士たちは否応なく奮い立つ。
先ほどまで不安げな顔を見せていた年若な騎士も、今は正面をしっかり見つめている。
ヴェルドレッドが解散の号令を飛ばせば、騎士たちはすみやかに散っていく。
ミディアも持ち場に戻ろうとしたところで、ヴェルドレッドに呼び止められた。
「ミディア嬢、結界魔法陣は間に合いそうか?」
「は、はい。三日あれば……十分に間に合います。むしろ、余裕があるぶん、補強も加えておけるかと……」
「そうか。頼もしいな」
「い、いえ……」
ミディアは小さく首を降る。
自信がない訳じゃない。けれど、大勢の騎士、そして聖女の身を守るための盾となれるかと言えばやはり不安だった。
「あ、あの、その、エレナローズ様にお聞きしたいことがあるのですが?」
恐る恐る話しかけると、エレナローズは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「分かりましたわ、ミディア嬢。よろしかったら私の部屋で話しませんか?」
「は、はい、喜んで」
***
エレナローズはミディアと同じく個室をあてがわれていた。
暖炉があり、それなりに寝心地の良いベッドもある。ノズガリアは王都よりも北に位置し、暦の上では春が近づいていたが、朝晩はまだ凍えるほどに寒く霜が降りる日も多かった。暖炉では炭が燻っているが、石壁からは冷気が染みだしてくるようでひどく寒い。
ミディアは緊張していることもあって、指先は血の気を失い、凍えた小枝のように冷たくなっていた。
「それで、お話というのは──?」
「え、っと、その、あの、……これは、あの、教会の規律に違反するのではと思うのですが、その、浄化の奇跡は、危険を伴うと聞いています。ですので、その、私に魔法式を教えて下されば、その負担を軽減するような魔法陣に書き換えることが出来ると、そう、思うのですが」
「ごめんなさい。それは出来ないわ。浄化の奇跡は教会の中でもとくに機密性の高いものなの」
「ですよね、……」
断られる覚悟はあったが、やはり予期した通りの答えだった。
「正直に言うとね、私個人の意見としては、浄化の奇跡も魔塔と共有されるべきだと思うのよ。魔瘴が危険であるからこそ、その知識は独占されるべきではない。そう思っているわ。けれど、教会の権威は王国内では根強く、それに逆らうことは自分の家を潰すことになりかねない。姓を捨てたとはいえ、無関係だと言うことは出来ないですもの」
「は、はい」
「貴女の考えていることが分かるわ。浄化の奇跡の機密性こそが教会の権威を支えている。故に浄化の奇跡が広く知られれば教会の権威も弱まり、圧力をかけられることもなくなる。魔瘴の被害を考えれば、この独占は正常なバランスとは言い難いわ」
「そう、思います」
「分かっているわ。でも恐らく今はまだその時期ではないの。このバランスを崩すには相応しくない。国も人々も受け入れる覚悟が出来ていないわ」
「でも……でも、必ずどこかで“最初の一歩”が必要になるはずです。
それを“今ではない”と、誰もが言い続けてきたからこそ──、今の歪みが、まるで当たり前のように受け入れられてしまっているのではないでしょうか」
エレナローズはしばし考えこんだ後に、再びゆっくりと口を開いた。
「ミディア嬢、あなたはマティス卿との戦いの際、彼の魔法を読み解いたと聞いているわ」
「はい、その通りです」
「……では、こうしましょう。
私は浄化の奇跡を貴女に教えることはできません。ですが……貴女が私の傍らに立って、それを見届ける機会を与えます」
「え?」
「貴女自身の目でみて、聞いて、そして判断して欲しいの。どうあるのが、正しいのかを」
「わ、分かりました」
ミディアは大きく息を吸い込んでから頷いた。
浄化の奇跡とはいったいどんな魔法だろうか。ずっと気になっていた事だった。
それを間近で見ることが出来るならば願ってもいないことだった。
けれどそれではエレナローズを手助けすることは叶わない。それは仕方のないことなのだろう。彼女にも彼女の事情がある。食い下がってみたところで、彼女が頷くことはないだろう。
「お、お時間をとってくださってありがとうございます。浄化の奇跡も、その、ありがとうございます」
「いいのよ。私も思うところはたくさんあるの。その決断を貴女に預けてしまうことになるのだから、申し訳ないとすら思っているわ」
「そんなことは、……」
言いかけたところで口をつぐむ。
どうなのだろうか。浄化の奇跡にまつわる秘密とは、そんなに大きなものなのだろうか。
ただ教会が権威を保ち続けるために、機密を保ち続けているというだけではなかったのか。
「聞きたいことはそれだけだったかしら?」
「はい、ありがとうございます」
「あら本当? 私はてっきり、アレクシス様のあの態度についても知りたいのかと思ったのに」
「うええええええ、ひはぁ!!!! いいいいいい、いえ、いえ、そ、そんな、きぃいい、聞きたく、ない、わけじゃ、ない、ですけど、その、あの、わ、私ごときが、踏み込んでいいお話じゃないかと!!!!」
「ふふふ、可愛い子ね。アレクシア嬢が気に入っているのも頷けるわ。いいのよ、教えてあげるわ。少し調べれば分かることだもの」
エレナローズは茶目っけのある顔で微笑んだ。
「私はね、アレクシス様が大好きなのよ。それはもう、子供の頃からずっと。
私たちは親戚同士だからよく顔をあわせていたの。私は一目見たときからあの人を好きになってしまったわ。よちよち歩きが出来たころにはもうあの人の後を追いかけていたくらい。もっともそのころはあの人もよちよち歩きだったけれどもね。
でもね、あの人ったらよちよち歩きの頃から尋常ならざる速さで移動していたのよ。びっくりするくらいに速かった。追いかける身にもなって欲しいわ」
エレナローズがぷくっと頬を膨らませる。
そうして表情を動かすと年相応の少女らしさが見え隠れし、親近感が沸いてくる。
「私はずっとあの人の後を追いかけてきた。誰から見ても私があの人に惚れ込んでいることは明白だったと思うわ。
でもね、私はあの人を追い続けることは許されなかった。私は貴族の娘だから、家の利益となる結婚をしなければいけなかったの。アレクシス様は申し分のないお方だけれど、私たちは従兄妹同士。すでに十分な縁がある。
アレクシス様と婚姻を結ぶことは我が家にとって利になる話ではなかったの」
ミディアは黙ってうなずいた。
父の決めた婚姻から必死に逃げ出そうとしている身としては耳の痛い話だった。
「ねぇミディア嬢、私ってね、聖女にはまるで相応しくない女なの。とても身勝手で感情的。だからね、私はアレクシス様以外の男性と婚約を結ぶことになった時に、聖女になることを選んだのよ。
誰かを助けたかった訳じゃない。神を信じている訳でもない。
ただ、愛した人以外と結婚をするくらいなら、誰とも結ばれない道を選んだの。そのために聖女になったのよ」
「ぇ、……あ、……う、……そ、その、それは、わ、私が聞いていい話、なんでしょうか」
「いいわ。だって貴女は、私の選択を非難したりしないでしょ?」
「はい。しません。むしろ、その、か、恰好いいなって、貴族であることを全部捨ててでも愛を貫きたかったって事ですよね」
「そう言ってくれて嬉しいわ」
エレナローズはあでやかに笑う。
「で、でも、その選択にアレクシス様は何も言わなかったんですか? 彼ならば、貴女が聖女になるくらいならば妻に娶ると、そう言えるだけの立場だったのではないですか?」
「そうね。言える立場だし、言ってくれていたと思うわ」
「じゃ、じゃあ、なぜ」
「私がなんの相談もせずに教会に駆け込んだの。彼にとっても私が聖女になったのは青天の霹靂だったでしょうね」
どうして? とミディアの目はまん丸になる。
エレナローズはその様子を見て楽しそうに吹き出した。
「意地悪したかったのよ。あの人に」
「い、いじわる、を?」
「だってあの人は私のことを愛して下さらないのだもの。いいえ、とっても愛してくれているわね。でもね、それって”女”としてじゃないの。彼にとって私はアレクシア嬢と、……妹と同列なのよ」
「……ええと、そ、それは」
「あの人、ガキなのよ」
突然の暴言に目が飛び出しそうになる。
「ふふふ、だって本当なのよ。お気に入りの枝を見つけて振り回してる子供と変わらない。彼の頭の中は戦いでいっぱいで、恋愛なんてまだ面倒臭いと思ってる。
だから社交界に出るのを嫌がってコボルトに変装させようなんて考えるの。本当に子供でしょ?」
それはそうとしか言いようがない。
ミディアはなんとも言えない表情で、神妙に頷いた。
「いいのよ。そんな馬鹿なガキな所も好きなんだから。でもね、時間は流れていくし、望まずとも周囲は変わっていく。子供のままでいることを望んでも、それを許しては貰えないの。
私はね、それをあの人に叩きつけてやったのよ。貴方の幼稚さが私を手の届かない場所に追いやったんだって。
ね、意地悪でしょう?
だってこうでもしないと、あの人の心に一生棲みつくなんて出来ないわ」
エレナローズは実に楽し気に笑っている。
ミディアはあいまいに頷いた。
彼女の気持ちは半分くらいしか分からない。
ミディアはまだ恋をしたことがなかったから、彼女のように生涯を賭けたカードを投げ出す気持ちは分からない。
でも、エレナローズの清々し気な顔を見ていると、彼女にとってはそれが後悔のない選択だったのだと理解する。
「わ、私は、その、エレナローズ様の言葉は、全部は、分からないですけど、でも、その、なんていうか、私はエレナローズさんのことが好きだなって思います」
ミディアが言うと、今度はエレナローズが驚いて目を瞬かせた。
それからふっと表情を崩すと、両手を広げて近づいてミディアの肩を抱きしめる。
「ありがとう。嬉しいわ。私もミディア嬢のことを好きになったみたい。
だから、先に謝っておくわ。
──ごめんなさい。
私は貴女に残酷な選択を預けてしまうことになる。
でも貴女はきっと正しい道を見つけることが出来るはず。そう信じているわ……」
エレナローズの声は優しく、けれど少しだけ震えていた。




