高嶺要塞 ゴブリン討伐戦
「帰りたい。うううう、帰りたいよぉ……」
ミディアは青毛の馬に揺られながら、アレクシアと並んで行軍していた。
ずっと魔塔にこもっていた身には、並足で進むことすら臀部が拷問レベルに痛かった。
対して、輝くような白馬にまたがるアレクシアは、満面の笑みで太陽の光を浴びている。
「木々の合間から差し込む穏やかな日差し。なんとも爽やかなゴブリン討伐日和だな!」
……ない。そんな日和は絶対にない。あってたまるか。
多分、ゴブリンも同意する。
「どうした? ミディア嬢。まるで寝起きのホブゴブリンのような顔をして」
「え、なんですその1ミリも悪びれた様子のないディスり。私も一緒に討伐しないで下さいね」
「案ずるな、ミディア嬢になにかがあったら私がこの剣にかけて守ってみせよう」
「わ、私が怯えてるのはアレクシア嬢に対してなのでございますが」
数日前、ミディアはアレクシアの遠征に同行するよう魔塔から命じられた。
本来、魔力発動が遅い彼女には前線向きの適性はないはずだ。
だが、アレクシアの正式な要請によって、例外的に派遣が決まったのだ。
ラシャド王国では、国王を頂点に複数の機関が存在する。
王家は神話に名を残す光神ロタティアンの寵児――エダンの血を引くとされ、正統な王族は黄金の髪と瞳を持つと語り継がれている。
その下に、騎士団・魔塔・教会・秘術機関やギルドなど、複数の組織が存在する。
アレクシアは騎士団所属。ミディアは魔塔の研究魔術師だ。
今回は「騎士団からの依頼により魔塔から補佐を派遣」という形で、ミディアはこの討伐に参加している。
討伐に赴いているのは、もちろんアレクシア一人ではない。
彼女の背後には、戦場慣れした騎士たち――およそ二十名が随行している。
だが、その騎士たちを束ねているのが、わずか十二歳の少女だというのは、やはり異様な光景だった。
確かに、アレクシアの家系は代々騎士団長を輩出してきた名家である。その血筋ゆえに任命されたという面もあるだろう。
しかし、それだけではない。実際に彼女は、その年齢に見合わぬ判断力と剣の才を示していた。
「アレクシア嬢、なんだかご機嫌ですね」
「そうかもしれないな。なにせ、今回は私の初陣だからな」
初陣――そういうことか。
城下町で乱暴を働いていた傭兵を取り押さえたこと。山賊の一団を少人数で撃退したこと。
確かに、それらも武勲ではある。しかし、どれも『初陣』とは言い難い。
今回の目的地は、ファルト森林の奥にあるトトリノ村。
城下を離れ、森深くへと進軍するこの任務こそ、アレクシアにとって“本物の戦場”。
初陣と呼ぶにふさわしい任務だった。
ラシャド王国は国土のおおよそ半分が深い森に覆われているが、王都近辺はなだらかな丘陵地帯が続いている。
王都を出た初日には青空の終着点まで続くような草原地帯が広がっていた。
風になびく青い絨毯のところどころ低い灌木が混ざっており、行商人たちがキャンプを張ったであろう焚火跡が残っている。
放牧をする羊飼いの姿を遠くに見ることもあったが、村らしい村はほとんど存在しなかった。
せいぜい水源の側に旅人たちが泊まるための古びた宿場があるくらいだ。
2日ほど行軍を続けると次第に地平線に森の輪郭が見え始めた。
森の中に入れば周囲の景色は一変する。風の音が遠ざかり、どこか遠くで鳴く鳥の声が反響する。
日差しもまた樹々の合間から差し込んでくるものばかりで随分と薄暗く感じられた。
空気には木と土の匂いが濃厚に混じり、明らかに湿度がましている。
そんな行軍を続けてはや4日。
ミディアの疲労は、主に臀部の筋肉が切実に限界を訴えていた。
「こ、こたびの遠征はゴブリン退治と伺っていますが、私は直接見たことはないのです。そこまで厄介なモンスターではないと聞いていますが」
「そうだな。成人した男性であれば一対一で殴り合って何とか倒せるかといった程度だ。私も7歳の時に殴り倒したことがある」
「一般的成人男性より強い7歳こわい」
「だがゴブリンの恐ろしさはその繁殖力にある。元より彼らは群れる習性にあり、丁度良い場所を見つけるとそこに巣を作ってしまうのだ。そうなるとあっと言う間に増殖する」
「な、なるほど」
ゴブリンと言えばお盛んなことで有名である。
定住地を見つければ、そのお盛んさに拍車がかかってしまうのだろう。
「もっとも警戒すべきは発情期に入ったゴブリンだ。繁殖力が爆発的に伸びるのは元より、発情期のゴブリンはその旺盛な精力を持て余し、たびたび村を襲いにくるようになる」
「ああ、……聞いたことがあります。村の娘たちが攫われて悲惨な目にあうと」
「いや、娘だけではないぞ」
「え?」
「老若男女問わずすべてだ」
「えええええええええ!?!?????」
一瞬、臀部の痛みを忘れるくらいに驚いた。
「考えてもみろ。お前にゴブリンの美醜が分かるか? そもそも雌雄の区別すらつかないだろう」
「見たことないですが、分からない気がします」
「ホブゴブリンともなれば衣服を着るようになるからな。多少は区別がつけられるが、そのレベルだ。人から見て雌雄の区別がつかないとなれば、ゴブリンから見ても同じこと」
「それで老若男女問わず襲われてしまう、と」
ゴブリンこわい、超こわい。もうちょっと下半身と和解して欲しい。
いや、和解しまくった結果、そうなってしまっているのだろうか。
その時だった。
遠くから、蹄の音が響いた。鋭く、切迫した足音が森の静けさを切り裂く。
斥候に出ていた騎士が、馬を飛ばして戻ってくる。顔は土埃にまみれ、息は荒い。
「アレクシア様にご報告いたします!!! トトリノ村が強襲を受け、多数の――多数の被害が発生しております!!!」
その瞬間、騎士団の空気が凍りついた。
アレクシアもまた、一瞬、表情を固まらせる。
だが、それはほんの刹那のことだった。
「……全軍、戦闘に備えろ。急ぎ救援に向かう!」
アレクシアは腰の剣を引き抜き、馬上でそれを高く掲げる。
その姿は、年齢を感じさせぬ威厳を放っていた。
「私に続け!!!!」
力強く響いたその声に、騎士たちは一斉に応じた。
「おおおおおおッ!!」という鬨の声が森を揺るがす。
こうしてアレクシアの初陣は、波乱の幕開けとなったのだ。
***
トトリノ村は、ファルト森林の入口付近にひっそりと存在していた。
周囲を深い森に囲まれた人口百名ほどの山村。
木造の家々が寄り添うように建ち、林業を生業とするその暮らしは、痩せた畑が示す通り、決して豊かではない。
そして今、小さな村のあちこちから火の手があがり、もうもうと噴き出す煙が周囲一帯に立ち込めている。
慌てて火を消そうとする村人に、泣き声をあげる子供たち。村の家々には矢が刺さり、戦闘のあとも生々しい。
だが襲撃者は去っていった後のようだ。敵らしき影は見当たらない。
騎士団の接近に気が付いて、慌てて逃げ去っていったのだろうか。
アレクシアは即座に馬を降り、周囲に号令を飛ばしていく。
「第一班、消火にあたれ! 第二班は負傷者を教会へ! 子どもは村の中央に集め、女たちに世話を任せろ!」
「了解!」
若き指揮官の声に、騎士たちは迅速に応じ、手際よく動き始めた。
林業の村であるため、炭焼き小屋など火の取り扱いにも長けており、家屋も火に強い構造だったことが幸いした。延焼は最小限にとどめられる。
やがて、指示を終えた一人の騎士が煤にまみれた顔で戻ってきた。
「アレクシア様、村人の避難完了。死者五名、重傷者二名、軽傷者十名。建物被害は軽微ですが、食料庫が空です。ほぼすべて奪われた模様」
アレクシアは短く頷く。
騎士は少し逡巡したのち、低く報告を続ける。
「それと、村の若い娘たち――十二名が行方不明です。村人の証言によれば、攫われたようです」
周囲の空気が重く沈む。
アレクシアは眉を寄せたが、冷静さを崩さず言葉を紡ぐ。
「……報告ご苦労。癒し手の有無は?」
「この村にはおりません。隣村マイタナに一名在住。派遣可能です」
「最も速い馬を用意せよ。伝令を出し、即時向かわせ。癒し手の同行を要請するよう伝えよ」
「了解!」
「村長をここへ。状況の詳細を確認する」
「ただちに呼びます!」
速やかに去っていく騎士の背中を見送りながら、ミディアは首を傾げていた。
「あ、あの、アレクシア嬢、その、……これってゴブリンの襲撃ではないですよね」
「ほう?」とアレクシアは眉尻をあげる。「なぜそう思う?」
「矢です。普通の矢と火矢の二種類が使われてて、火矢の方は飼い葉の貯蔵庫など燃えやすい場所を狙っていますが、食糧庫は中身こそ奪われましたが無傷です。ゴブリンが火を使うことはあるとは聞きますが、狙いがあまりにも的確です」
「そうだな」
「それに攫われたのは若い娘だけです。ゴブリンならば老若男女問わず襲うと聞きました」
「では、何だと思う?」
「恐らく、山賊の類いではないかと」
「私も同じ考えだ。……ふむ、ちょうど村長が来たようだな。答え合わせをしようじゃないか」
騎士に連れらえてやって来た村長は、見るからに憔悴しきっていた。顔は煤に染まり、血が滲んでいる箇所もある。服のあちこちは焦げ、つい今しがたまで村民の救助にあたっていた事が伺えた。
おぼつかない足取りの村長が、だがアレクシアを見るなり足元に勢いよく跪いた。
「ああああ、アレクシア様! ゴッドウィン家のアレクシア様と存じ上げます!!!!」
「うむ。我こそがアレクシア・ゴッドウィンである。顔をあげよ。ここで何があった」
「山賊でございます! 山を一つ越えたところに砦があり、そこを根城にしていた者たちです。ゴブリンに居場所を追い出され、村を襲いに来たのです!」
「それは災難であったな」
「お願いします、アレクシア様!! 今すぐ、今すぐに騎士達に山賊退治を命じて下さいませ!!!! 私の娘があやつらに連れていかれてしまったのですッ!!!!」
村長が悲痛の声をあげながら、アレクシアに縋りつこうと手を伸ばすのを副隊長が阻害する。
アレクシアは村長を見下ろすと、麗しい空色の瞳をわずかに細めた。
「ご息女の件に関しては、心中お察し申し上げる。だが残念ながら、即時兵を動かすことは叶わぬ」
「なぜ!? どうしてでございますか!? 急がなければ、こうしている間にも我が娘は!」
「敵の兵力、居場所も分からぬまま部下たちを危険に晒すことはできん」
ばっさりと切り捨てるアレクシアに、村長は顔をゆがませる。
「失望いたしましたぞアレクシア様! それでもゴッドウィン家の娘であられますか!? 騎士の身でありながら、死を恐れ民を見殺すなどと!!」
「無礼な」と剣に手をかける副隊長を、アレクシアは目線だけで下がらせる。
「同じことをそなたに問おう。貴様、村民の身を預かるものとして何をしていた?
トトリノ村近辺にてゴブリンありと報告があったのは10日ほど前。なれば騎士団の到着までに柵の強化や、罠を仕掛けるなど自衛をすべきであっただろう。
そのような備えをしておけば、こたびの襲撃も防げたのではあるまいか?」
ぐぅっと村長が押し黙る。
「それに、……この近辺に山賊がいるという報告は受けていない。根城まで分かっていて、なぜ報告を怠った?」
「そ、それは……」
「山賊から賄賂を受け取っていたか? 村を襲わぬかわりに行商人を襲うのは見て見ぬふりをするとでも? その慢心により村の備えを怠ったか?」
ミディアは、アレクシアと村長のやり取りを何とも言えない表情で見つめていた。
アレクシアの主張はもっともだ。筋が通っている。
けれど、村長の気持ちも分かる。
日々の暮らしだけでも必死なのだ。この山奥で、痩せた畑と疲れた村人たちを見れば明らかだった。
確かに、山賊と手を組んでいたのは問題だ。
だが、村を襲わず守ってくれるなら、利用する価値もあったのだろう。
実際、モンスターが現れた時には山賊の力で追い払うことが出来たのではなかろうか。
傭兵ギルドに頼れば金がかかる。
騎士団は、大事が起きなければ動かない。
つまり、村長たちは“選ばざるを得なかった”のだ。
その関係が、ゴブリンの増殖によって崩された。
居場所を失った山賊は、生き延びるために村を襲い、食料と若い娘を奪っていった。
それでも、村の防衛を怠ったのは村長の責任だ。
罠も柵もなく、危機への想像が足りなかった。
山賊が守ってくれていた日々が続くと、次に何が起きるかを考えなくなる――そんな盲点に、つけ込まれた。
「……見殺すとは言っていない。すでに斥候も出している。まずは状況を確認してからだ」
アレクシアは相変わらず、淡々とした口調だった。
「村長は大分お疲れのようだ。報告、ご苦労だった。しばし休んでいろ」
騎士に促され、村長がよろよろと立ち上がる。
そしてまだ恨めし気な目でアレクシアを睨みつけると、半ば引きずられるようにして去っていった。
「アレクシア様。斥候より帰還いたしました」
村長と入れ違うようにして、軽装の騎士が幕舎へ滑り込むように姿を現した。
膝をつき、報告を求めるアレクシアの視線に応える。
「報告いたします。山賊どもは山中の洞窟に潜伏。砦を捨てて逃げ込んだ様子にございます。装備は粗末で、守備も手薄。討滅は容易と存じます」
一拍置き、斥候の声がわずかに低くなる。
「……ただし、さらに山中に分け入り、ゴブリンの根城となっている砦の様子も確認して参りました。どうやらゴブリンたちは発情期に入ったようです」
場がわずかにざわめく。
「このまま放置すれば、下山して村を襲うのも時間の問題かと」