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どうぞよろしくお願いいたします。

 ミディアは悩みに悩んだ末、決意を固めてアレクシアのもとを訪れた。

 知らなければよかったと思ってしまうほどの話――でも、知ってしまった以上、黙ってはいられなかった。


 ディアドラが出発するまでには時間がない。ミディアの手に入れた情報は、伝えておいた方がいいだろう。

 もし万が一、砦の中にマヌマムを滅ぼそうとした者のスパイが紛れ込んでいたならば、生き残った巫女たちをなんとしても排除しようとするだろう。

 クニャンから聞いたことを伝えると、アレクシアは「そうか」とだけ頷いた。

 表情はまったく動かない。

 けれど、その瞬間、室内の空気がわずかに張り詰めた。ミディアは背筋がすっと伸びるのを感じた。

 アレクシアは──静かに、しかし確かに怒っていた。


 「その件に関しては、後日改めて巫女より話を聞き調査をしよう」

 「はい」

 「だが、今はしばし待ってくれ。我々は砦の防衛で手一杯の状態だ。騎士たちに余計な情報を入れたくない。ただ、……砦内部に裏切者がいるかも知れないという点に関しては十分に留意しよう」

 「お願いします」


 今はそれだけで良しとするしかないだろう。砦の防衛はかなりギリギリの状態だ。そこに来て、内部に敵がいるかも知れないなどと知られたら兵たちに動揺が走るだろう。

 アレクシアの言う通り、今は防衛に専念した方がいいはずだ。


 「──魔瘴の発生が人為的なものであるという可能性は、以前から示唆されている」


 知っているか? というようにアレクシアの視線に問われ、ミディアは小さくうなずいた。


 「西方の大国、ヴァルドラグによる攻撃と唱えるものもいれば、異教徒の禁呪と言うものもいる。

 恐らくこたびの件はマティス卿の残党が一枚噛んでいたのではないかと考えている。マティス卿は教会に深くかかわりながらも異教徒、あるいはヴァルドラグとの橋渡しもかねていたのだろう。そのマティス卿を我々が打ち倒した今、連中がゴッドウィン領を狙うのは当然のこととも言えるだろう」

 「そ、そんな、……」

 「おっと。マティス卿の悪事を暴いたことを後悔などしてくれるなよ。あれは許しがたい暴挙だった。あの男を滅することが出来たのは大きな戦果でありわれらの誇りだ」

 「誇り……」 


 誇りのために戦うというのはミディアにはいまいち理解しにくい感覚だ。

 けれど今、アレクシアのまっすぐな目を見ていると、ほんの少しだけ、その意味が分かるような気がした。


 「胸をはれ、ミディア嬢。卑怯者の成すことに心を砕く必要はない。我らの前に立ちふさがろうとする連中がいるならば、我が誇りと貴女の頭脳で叩きのめしてやればいい」

 「剣と魔法で、じゃないんですね」


 なんだか面白くてミディアが笑うと、アレクシアは生真面目な顔をした。


 「剣は折れる。魔力も尽きる。

 だが、地に膝をつこうとも、我が誇りは折れない。

 ……そして、貴女の頭脳も、同じはずだ」


 ドクンっと心臓が音をたてた。

 魔力じゃない。魔法じゃない。私の頭脳。

 そう言ってもらえたことがとても嬉しい。

 カァっと頬が熱くなる。ミディアは恥ずかしくなってうつむいた。


 「あああ、あ、ありがとう、ご、ございましゅ」

 「ははは、顔が真っ赤だなミディア嬢。私が口説いてしまったみたいじゃないか」

 「いいいええええええ、滅相もない」

 「まぁ間違ってもいない。私はいつだってミディア嬢を口説きたいと思っている」 

 「ひえええええええええ」


 アレクシアが金糸の髪をかきあげながらにっこりと微笑みかけてくる。

 あまりにも破壊力が抜群だ。


 「おおおおお、おたわむれをぉおおおおおおおおっ!!!!!!!!」


 ミディアは悲鳴をあげながら、アレクシアの部屋から逃げ出した。




 ***





 砦への侵攻が始まったのは、それから2日後の事だった。

 空には血のような赤いカロが昇り、煌々と放たれる光が周囲の景色すべてを血の色に染めていた。

 魔瘴の暗雲はなお深い闇の塊として収縮を繰り返し、稲妻がその外角を撫でている。


 はじまりは音なき音だった。

 腹の奥を不快に震わせる重低音。音として捉えきれぬそれは、しかし、不快感となって兵たちの背筋を粟立たせた。

 闇夜の中を、鳥たちが一斉に飛び立った。

 兵士たちは誰ともなく恐る恐る立ち上がり、お互いの顔を見合わせた。

 次の瞬間、鼓膜を震わせたおぞましき音が、モンスターの咆哮となり地響きのように大地を震わせる。


 ワイバーンの咆哮。ゴブリンの狂騒。オークの怒号。

 遠吠え、羽音、いななき。

 それら全てが重なり合い、暴力的な不協和音となって砦を包み込む。


 結界魔法陣は、……まだ出来上がっていなかった。


 「ミディア嬢は屋内に避難を」


 アレクシスに言われてミディアは唇をかみしめる。


 「あ、あと、少しなんです。あと少しで完成出来そうなんですっ……!」

 「駄目だ、ミディア嬢。結界が発動できないならば騎士ではない貴女に側防塔は危険すぎる」

 「で、でも」

 「ミディア嬢、誤解しないでくれ。私は貴女を侮ってなどいない。だが、戦とは持久戦なのだ。こたびの戦いだけですべてが決するわけではない。貴女の結界は次の侵攻の時に使えればいい。そのためにも、貴女には怪我をして貰うわけにはいかないのだ」

 「……分かりました」


 これ以上食い下がってはアレクシスに余計な時間をとらせてしまう。

 ミディアは一礼して駆け出した。

 屋内への階段を降りていくと、入れ違いでジュードが階段を登っていく。ジュードならば攻撃魔法で十分に戦果をあげることが出来るだろう。

 回復の魔法陣に協力してくれた魔術師たちも、慌てて胸壁へと駆けていった。


 「急げ、急げ!! 弓兵隊、配置につけ!!!! 投石兵、ただちに攻撃を開始しろ!!」


 伝令が飛び交い、慌ただしく兵士たちが動き回る。

 警笛が鳴り響き、地響きがした。

 敵の進軍が始まったのだ。


 先攻は敵の飛行部隊で、ワイバーンたちが上空から炎を吐きかける。

 その熱量は、砦の中に逃げ込んだミディアでさえ感じるほどだった。

 塔の上の兵士たちにできるのは、あの炎を盾でかろうじて凌ぐことだけだった。直接炎であぶられることを防げたとて、熱傷による怪我は避けられないだろう。


 悔しい。

 口惜しい。


 結界魔法を完成させることが出来ていたならば、被害を減らすことが出来たのに。

 じわりっと涙が滲みそうになって大きく息を飲み込んだ。


 「出来ないことを、悔やんでも駄目だ」


 アレクシアは言ってくれた。

 ミディアの強さは頭脳である、と。


 正直なところ、ミディアは自分自身を特別賢いとは思えない。

 だって本当に賢いならばドジばかりしないはずだし、もっと効率よく色んなことが出来るはずだ。

 それでも、自分は賢くないからと思考を放棄しては駄目なのだ。

 まずは出来ることを探そう。


 砦の廊下は兵士たちがひしめきあい、胸壁へ矢筒を運んだり、出撃の準備を整えたりとあわただしい。

 ここは駄目だ。ここでミディアがうろうろしたら単に邪魔になるだけだ。


 兵士たちの合間をくぐりぬけながら砦の中を回っていると、ふと場違いに良い香りが漂ってくるのに気が付いた。

 なんだろうか。

 匂いをたどって歩いていくとたどり着いた先は厨房だった。

 そこにはクニャンと一緒にやってきたマヌマム族のコボルトたちが集まって料理を作っている。

 ニンニクや香辛料の匂いが厨房に充満し、とたんにお腹がすいてくる。


 「こ、……こんにちは……」


 恐る恐る声をかけると、コボルトは気さくに手を振って応えてくれる。


 「オジョウサン、イラッシャイ」

 「お邪魔します。ええと、その、ご飯を作ってるんですか?」

 「マヌマム、戦ウ、ヘタクソ。ゴハンツクル、トテモ好キ。美味シイ、トテモ幸セ」

 「うん、そうですね」

 「腹ガ減ル、戦ウデキナイ。ダカラ、マヌマム、ゴハンツクル」


 この砦にたどり着いてから、何度か砦周辺へ狩りに出かけていたのだろう。

 丸々と太ったドドマタカエルが山盛りにおかれており、思わず悲鳴をあげかけた。

 コボルトたちはカエルをさばいて香辛料をたっぷりぬってどんどん焼いているようだ。

 相変わらず見た目は怖いが匂いはとても美味しそうだ。


 「オジョウサン、一口タベル?」

 「ぅ、……」


 一瞬、たじろぐ。

 カエル……。食べるのには、やっぱり抵抗がある。

 けれど、この香りは……とても美味しそうだ。

 丸焼きではなく、もも肉だけなら──見た目も、それほど怖くない、かもしれない。


 「いいいい、いいんですか?」

 「オジョウサン、トテモホソイ。イッパイタベル、イイ!」


 恐る恐る焼いたもも肉を受け取った。

 戦いのさなかにこんなところで味見をしている場合じゃない。そうは思うが、コボルトの言う通り、お腹がすいていては動けない。ミディアは朝から魔法陣にかかりきりで食事がおろそかになっていた。

 目をつむってガブっと勢いよくかじりつく。


 「…………美味しい……」


 身は柔らかさと歯ごたえが両立し、肉汁も豊富でジューシーだ。一番似ているのは鶏肉で、もも肉だけ出されればきっと区別がつかないだろう。

 マヌマム独自のスパイスもなんとも言えず美味しかった。

 夢中でかじりつき、あっという間に大きなもも肉を平らげてしまった。


 「ありがとうございます。とっても美味しかったです」


 ゴッドウィン兄妹がこのカエルを食べると聞いた時はとんだゲテモノ食いだと思っていた。ミディアのイメージするカエル肉は、生臭くてぬるぬるしたものだったのだ。

 だが食べてみれば臭みはほとんどなく、とても食べやすい肉だった。


 「ちなみに、この樽に入ってる白い液体はなんですか?」


 コボルトたちは器用にカエルを捌きながら、あまった部位を一か所に集めている。

 例えば剥いだ皮や、頭の部分などはまとめてあったが、それとは別に樽の中に白い液体が入っていた。


 「ソレ、アブナイ。ドドマタカエル、毒アル。毒、絞リダシタモノ」

 「毒?」


 聞けばドドマタカエルは顔の横に毒腺があり、強烈な毒を出すらしい。

 これが傷口に入るとしばらく動けなくなると言う。うっかり食べても危険だし、目に入った場合は一週間ほど目がほとんど見えなくなってしまうそうだ。


 「え、っと、じゃあこの毒を使って毒矢のように使えば」

 「モンスター、毒、アマリキカナイ。大群ト戦ウ、量モタリナイ」

 「で、です、よね」


 せっかく何か役にたてるかと思ったが、そう上手くはいかなかった。


 「毒トシテツカウタリナイ。デモ、薬トシテツカエル」

 「え?」


 詳しく聞き出してみると、ドドマタカエルの毒は患部を麻痺させることが出来るそうだ。

 コボルト族は軟膏に混ぜて常備しておく一般的な薬で、人間の商人も買い付けにくることがあるそうだ。人の薬師も薬剤として用いることがあるという。


 「じゃ、じゃあ、もしかしてこれ、傷の手当に使えるんじゃないでしょうか」


 砦にある治療薬はかなり量が切迫している様子だった。

 ミディアは小走りで怪我人が運ばれる大部屋に向かう。そこは新たな負傷者が運び込まれ大変なことになっていた。

 忙しそうなところに申し訳ないと思いつつも、医者の一人に声をかける。


 「ああああ、あの、すいません、ええと、その厨房にドドマタカエルの毒液がたくさんあって、軟膏に使えると聞いたのですが、必要でしょうか?」


 ミディアの声に医者は前のめりで頷いた。


 「そら助かる! 今すぐ用意してくれ!」

 「わかりました!」


 慌てて厨房にとって返すと、薬の調合ができるコボルトとともに、ドドマタカエルの毒が入った樽を抱えて救護室へと急行した。

 大部屋の一角を貸してもらい、コボルトに教わりながら白い粘液に薬草や獣脂を混ぜていく。

 打撲ならば鎮静効果のある薬草を加えたり、傷口を縫う際に痛み止めとして使うものは配合量を増やしたりと、用途により作る薬も変わっていく。

 ミディアには配合までは分からないので、薬草をすりつぶしたり、軟膏を混ぜたりする単純労働を引き受けた。


 無心になって薬作りをしていると、恐怖心や焦りも少しばかりましになる。

 それでも、ワイバーンの咆哮が響いたり、トロールの投げた大岩が外壁に直撃した時は、顔をあげてビクビクと周囲を見回した。

 顔を上げるたびに怪我人はどんどん増えていく。

 そのたびに無力感がよみがえる。


 魔法陣を描けたとしても、それを発動させるだけの力がない。今この瞬間、最も必要とされている力を、自分は使えない。

 誰もミディアを責めようとはしないけれど、それでもミディアは苦しいのだ。


 再び大きくドォンっという音が響き、天井からパラパラ小石が降ってくる。

 ミディアは小さく悲鳴をあげると、すぐそばにいた負傷兵が、気遣うように声をかけてきた。


 「どうした、嬢ちゃん」


 それは、右目と足を負傷している騎士だった。顔は無精ひげにおおわれているが、威圧感は感じない。

 血で汚れて見れなかったが、服には家紋がついている。

 貴族出身なのだろう。

 この状況下だというのに、騎士は落ち着いており、くつろいでいるかのようだった。


 「い、いえ、その、びっくりして。そ、その、騎士さんは、怖くないんですか?」


 問いかけると騎士は「ははは」と笑い声をあげる。


 「怖いさ。怖いに決まってる。さっきから砦が揺れるたびに小便をちびりそうになってるくらいだ」


 騎士が答えるとその隣にいた騎士も笑い声をあげた。


 「バカ言え、お前、とっくにちびってんだろ? こっちまで臭ってくるぞ」

 「そらお前の臭いだ、小便垂れ」


 騎士たちはお互いを小突き合い、傷が痛んだのか、うめき声をあげていた。

 ミディアが困惑していると、騎士は穏やかに微笑んだ。


 「嘘じゃあない。本当に怖いと思ってるんだ。騎士は恐れを抱いてはいけないだなんて言うやつもいるけどな、俺は怖くて仕方ない」

 「そうだな。俺も恐ろしいよ。ほら見ろよ、まだ手が震えてやがる」


 ミディアはますます困惑した。

 大人の男が。それも、騎士という誇り高い存在が、恐怖を口にするなんて──ミディアにはまったく想像もつかなかった。


 「えっと、その、いいんで、しょうか。怖くても」

 「そら怖いもんは怖いんだから仕方ないだろ。恐怖ってのは重要だ。危険を察知できないやつは真っ先に死ぬ」

 「はい」

 「うちの大将も常日頃から言ってるよ。戦は怖いってな。まぁあの人は、怖い怖い、おお怖いって言いながら難なく敵を蹴散らしちまうようなお人だけどな」

 「大将、というのは、アレクシス様のことですか?」

 「ああ、いや、ヴェルドレッド様のことだ。アレクシス様のお父上だよ」

 「熊男の!!!!」


 思わず声に出してから、慌てて口を抑えたけれどもう遅い。

 うっかり父が言っていた事を思い出してしまったのだ。

 だが騎士は気分を害することもなく「そら違いない」と笑っている。


 「熊男か。まぁそう言われるのも無理はない」 

 「すすす、すいません」

 「いいさいいさ。ヴェルドレッド様曰く、大事なのは、どんなに恐ろしくて手が震えたって、敵と向かい合ったその時には覚悟を決めて戦うことだそうだ」

 「わ、わたしは、でも、その、戦えなくて、皆さんのお役にたてなくて……」

 「お嬢ちゃんはここの連中を治してくれた魔術師だろ?」

 「は、はい。でも私一人じゃ無理なんです。私一人じゃ役立たずで」

 「そんな事はない。俺だってたった一人で戦えと言われたって出来ることはたかが知れてるさ。仲間と力をあわせて戦えば十分な戦果が出せるっていうなら、そら十分すぎる話だろう」

 「……あ、ありがとうございます。で、でも、今は、一人なので、何も、出来なくて、怖くて、情けなくて、そういう時は、どうすれば、いいんでしょうか」

 「そうだなぁ。そういう時は歌でも歌いながら、ゆっくり出番を待つといいさ」


 騎士は無精ひげの顎をこすると、懐から小さな楽器を取り出した。それは小型のリュートだった。

 騎士は骨ばった指で弦をはじき、朗々と歌いはじめた。

 哀愁と郷愁がまじりあったメロディはその無骨な指から紡ぎ出されているとは思えないほど、繊細で美しい音色だった。


 『遠き故郷を、夕暮れのしじまの中で見た。

 あの日の風が、私の頬を撫でていく。

 一番星が登るよりも早く、この命が尽きるならば。

 兄弟たちよ、ともに行こう。

 輝かしい日々は過ぎ、ここにあるのはむなしい静寂。

 ああ、それも悪くない。悪くないさ』


 穏やかなリュートの音色に低く響く騎士の声。

 隣に座る騎士も歌いはじめ、その隣の騎士は喉が焼けて声が出ないけれど、拳でリズムをとっている。


 明るい歌じゃない。でもきっとそれがいいんだろう。

 懐かしく切なく優しい歌声。

 ミディアはまだ、過去を懐かしむほどの歳月を生きてはいないけれど、今ここで騎士たちが生きてきた時の重さを、その厳しさをおぼろげながら感じ取る。


 諦めたわけじゃない。……諦めたいわけでもない。


 何もできないという現実は、ただただ苦しい。

 それでも、それを受け入れ、足掻き、乗り越えようとすること──それこそが、生きるということなのかもしれない。


 騎士は歌い、次第に歌う者たちが増えていく。

 曲が繰り返しになるころには、ミディアもメロディを口ずさめるようになっていた。

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