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マヌマム族のコボルトたちは、歩くのもやっとというほどに疲れ果てていた。
その目には疲労だけでなく、安堵と恐れが入り混じったような色が浮かんでいる。
彼らは魔瘴が生じた際に、ご神木の根本にある神殿の奥にいたそうだ。そのために難を逃れて生き残った。だが生き残りはしたものの、周囲をモンスターに囲まれて身動きがとれずにいたらしい。
「魔物 タクサン カクレル ニゲル セイイッパイ。デモ 食料 水 ナクナッタ」
神殿に隠れていたコボルトたちは、食料と水が尽きたことにより逃げ出すことを決意したらしい。
砦の騎士たちが水と食料を持ってくると、大喜びで食いついた。
「マヌマム族の生き残りがいてくれたこと、心よりうれしく思う。貴殿らはあの大樹から決して離れぬと思っていた」
アレクシスの言葉に、一番体が大きなコボルトが食事の手を止めてうなずいた。
「マヌマム 祖霊樹 ハナレナイ。ケド トクベツ リユウ アル」
「特別な理由?」
コボルトたちは思案するように互いの顔を見回した。そしてミディア達には分からないコボルト特有の言語で何やら相談しはじめる。やがて、今度は一番小さなコボルトがごそごそと懐から革袋を取り出した。
小さなコボルトは、皆の前に進み出ると小さくお辞儀をして言った。
「申し遅れました。マヌマムの巫女、クニャンと申します」
その姿はまだ子供のようだが、声と態度には確かな威厳が宿っていた。
「そして、ここにあるのは祖霊樹の残した種子にございます」
クニャンはもっとも年若いに関わらず、人と変わらぬほど流暢に言葉を話した。
そうして袋から取り出された巨大な種子を皆に見せる。
その場にいた一同が息を飲んだ。
種子というには大きいそれは、大振りのリンゴほどはあるだろう。
表面には、自然が刻んだとは思えないほど精緻な文様が絡み合っていた。
目を凝らせば、文様はほんのかすかに脈動しているようにも見える──まるで、まだ命がそこに息づいているかのように。
種子はマヌマム族にとっては王冠にも等しいものに違いない。
ミディアは初めてみる大樹の種子と、巫女と名乗るコボルトの気品に満ちた立ち居振る舞いに感動しつつも、やはりどうしても「この子、こんなにすごい巫女様だけど、さっきはアレクシア嬢に放り投げられて奇声をあげてたんだよな」と考えてしまっていた。
いや、いけない。
深刻な場面でこんなことを考えるのは不謹慎だ。
分かっているけれどあの悲鳴が耳にこびりついてしまっている。
多分、まわりの人たちも真剣な顔をしているけれど、似たようなことを考えている人もいるはずだ。
ちなみに巫女様を投げとばした張本人であるアレクシアは心臓が鋼鉄なのでまったく動じている様子はない。
「マヌマムは襲撃をうけました。われらは祖霊樹とともに滅びることを覚悟しましたが、祖霊樹は種子をたくしました」
巫女はそこまで喋ると「しかし」とうつむいた。
「種子を育てるには特別な土が必要なのです。けれどマヌマムの村の土は穢れてしまった。このままでは祖霊樹の種子が死んでしまいます」
「た、……確かに、種子に宿っている気配がかなり弱まっているように見えます」
じっと種子を見つめていたミディアが呟くと傍らのジュードも頷いた。
「通常なら、こうした種子は半年……いや、状況次第では何年も力を蓄え続けることができる。だがこれは……魔瘴に長くさらされたせいか、明らかに生命力が削られている」
ジュードが神妙な顔をすると、マヌマムの巫女はカタカタと小さく震えはじめた。
「種子が死んでしまうことはマヌマムが死んでしまうのと同じこと」
「その特別な土というのはどこか別の場所では手に入らないものだろうか」
アレクシスが問うと、巫女はしばし考えこんでから口を開いた。
「グエムス族は槍をつくるための木を特別な土でもって育てていると聞きました」
「なるほど。つまりグエムス族と交渉し、特別な土を譲り受けることができれば種子を生かすことが可能という訳か」
しかし、それはとても難しい話だった。
グエムス族と人間は敵対関係にある。この砦も幾度となくグエムス族の襲撃を受けていると聞いている。
「マヌマム族のみで尋ねていくならば交渉の余地はあるだろう。しかしグエムス族の集落はこの砦から比較的近い場所にある。必然的に、その道中はモンスターに襲われる可能性もある訳だ」
それはマヌマム族もよく分かっているのだろう。故に、まずはもっとも近いこの砦へと逃げ込んだのだ。
皆が食事の手を止めてうつむいた。
種子を生かすためにはグエムス族のもとに訪れなければならないが、戦闘民族のグエムス族とは異なってマヌマム族は戦うすべをもっていない。
「アレクシス様、アレクシア様。私が彼らに同行いたします。どうか、この任をお与えください」
一歩前に進み出たのはディアドラだった。
「私は獣人です。人間ほど敵意を持たれていませんし、モンスターを避けて移動するならば私以上の適任者はいないでしょう」
ゴッドウィン兄妹は互いの顔を見合わせた。
アレクシアはわずかに眉を寄せた。
苦渋の表情――それでも、瞳に宿る決意は揺るがない。
彼女は静かに、だがはっきりと頷いた。
ディアドラはゴッドウィン家の騎士団所属であるものの、今はアレクシアの直属であることから妹の意思を先に確認したのだろう。
それを見て、アレクシスがディアドラに向き直る。
本当はアレクシスもアレクシアも、マヌマム族のために戦力を割きたくはないだろう。ただでさえ苦しい状況だ。それでも滅びに瀕した部族を前にして、彼らの決断は速かった。
「ディアドラ、重い任務だ。失敗した場合、救援は極めて難しい」
「心得ております」
「……では、アレクシス・ゴッドウィンの名において命ずる。マヌマム族の巫女をグエムス族の集落へ送り届けよ」
「かしこまりました」
話がまとまった様子に、慌てて巫女の従者たちが立ち上がる。
「巫女様 一人 イカセル イケナイ! ワレワレモ 一緒 戦ウ!」
「あら、ごめんなさいね。気持ちは嬉しいけれど、私が守れるのは一人が精一杯よ。あなた達の巫女様ならば背負っていても一人の時と同じくらいに走れるわ」
「デモ!」と声をあげるコボルトに、巫女が立ち上がって手をかざす。
「もとより覚悟はできております。何よりも、協力を申し出てくれた彼らを危険にさらすなどもってのほか」
しゅんっとコボルトたちがうなだれた。
一斉に頭を垂れ、尻尾もすっかり垂れさがってしまっている様子は、可哀そうだがかわいらしい。
ディアドラは落ち込んでいるコボルトたちを見回すと、胸をはって笑顔を見せる。
「安心して。巫女様のことは私がちゃんと守ってみせるわ。出発は二時間後。日が落ちると同時に出るわ」
ディアドラの目が細められる。
「夜なら視線が散る。足跡も風に紛れる。……最初から全速力で行くわよ」
「分かりました。どうぞよろしくお願いします」
クニャンは深々と頭を下げた。
***
ミディアは再び側防塔に訪れていた。
ディアドラの助けになりたいと思うが、即効性のある魔法が使えないミディアではかえって足手まといになるだけだ。
だからこそ、今の自分にできることを――一つずつ、確実にやっておこう。
結界魔法に関しては、アレクシアから砦防衛の依頼を受けた時からいくつも案を練っていた。すでに骨子はできている。
あとは現地についてから状況を見て柔軟に変えていこうと思っていた。
大森林側から鷹巣砦の入口となるのは跳ね橋のみだ。跳ね橋を下げなければ防衛にはかなり向いている。
ただ、魔瘴から生み出されたモンスターは、遠距離での攻撃も豊富だった。防衛一辺倒でいては結果的に物量で押し負ける。
だからアレクシスたちはある程度で跳ね橋をおろし打って出るしかないのだろう。
歩廊には弓兵が構え、胸壁のすぐ内側にはバリスタや投石機がいくつか設置してあるが、それだけでは戦力が不足する。それに、モンスターからの遠距離攻撃を受けながらでは、被害も大きいようだった。
「砦上部に結界をはるとして、……持続時間は、うううん、……ずっとは、無理だ。うん、敵の一斉射撃に備えて発動させて、……ああでも、ワイバーンのブレス攻撃もあるから、……」
どんな結界をはるのがベストだろうか。
手帳に書き記した草案を見比べながらミディアは頭を悩ませる。
予想以上にエーテルの濃度が濃くなっているのでそれを取り入れる手もあるが、あまり使いすぎるのは危険だった。エーテルが枯渇すると周囲の木々が枯れるという研究結果もあると聞く。
エーテルとは、空気中に満ちているエネルギーのことを言う。研究者によってマナと読んでいる者もおり、その定義はいささか曖昧だ。精霊のオーラだという者もいれば、魔力の残滓だと言うものもいる。大規模な戦闘が行われた後にはエーテルの濃度が濃くなることが多かったが、魔法を酷使した場合には逆に薄くなることもある。
非常に扱い辛いものだった。
先ほどは緊急事態だった故にエーテルの力を取り込んだけれど、結界をはるにあたってはエーテルを頼るのは不安が残る。発動までに濃度が変わってしまう可能性もあるし、予想以上にエーテルを使いこんで枯渇させてしまっては大変だ。
うーんうーんと呻いていると、ふと誰かの声が聞こえてきた。誰かというよりも、猫の鳴き声のようなそれはあまり聞き覚えのない音だ。
まさかモンスターが忍び込んでいるんだろうか。
恐る恐る声の方へ近づいていくと、壁が崩れた時の補修用として積み上げられている土嚢のそばからふさふさの尻尾が見えている。
そのまま気配を殺して近づくと、そこにいたのはクニャンだった。
体を丸めて震えながら「みぎゅう、みぎゅう」と小さな声で啼いている。
「あ、……あの、……」
見なかったふりをした方がいいだろうか。
でも放っておけなくてミディアは小声で呼びかける。
「ぴぎゅうううぅううう!?!???!??」
クニャンは驚いて飛び上がった。そうして恐る恐る振り返る。
その顔は草食獣の骨で作られた仮面でほとんど隠れているが、大きく見開かれた瞳はそんな仮面ごしでもよく見えた。
「ご、ごごご、ごめんなさいっ!!!! そ、そそそそ、そんなに驚くと思わなくて!!!!」
「ひぅううああああ、いいいええ、いえいえいえいえ、だだだ、だいじょうぶですっ!!!!」
お互いで盛大にどもった。
しばし顔を見合わせて、そうしてどちらともなく吹き出した。
「ふ、ふっふ、す、すいません、わ、わたし、焦ると、すぐ、どもっちゃって」
「わ、わたくしも、でし!」
今度は語尾もおかしかった。
かわいらしい。こうして見るとやはりクニャンはまだまだ幼かった。
互いに笑いあってから、土嚢の上に腰をおろす。少し落ち着きを取り戻すと、クニャンが落ち込んだ様子で頭を垂れた。
「お、お恥ずかしいところをお見せしました」
「い、いえ、わ、わたしも、よくやるので、その、巫女様もそういう事があるんだなって分かって、安心したというか」
「うう、恥ずかしい。わたしは、普段はこんなんなんです。巫女として頑張ってるんですが、臆病だし、すぐに緊張して動けなくなるし」
「でも大事な時にしっかり喋れていたのですごいです。それに他のコボルトさんよりも言葉が上手でびっくりしました」
「こ、これは、父上に習いました。父上は、マヌマムの中ではめずらしく人間と仲良くしたいって思っていて、よくこっそり城下町に行ってたんです。わたしも一緒に連れていって貰ったことがありました。
わ、わたしは、人間の文化も、とても好きです。楽しいことたくさん、踊り、歌、とても素敵。
だから、マヌマムの村が人間に襲われた時も、人間にも色々いると残った人達を説得しました。わたしの信じた通り、ここの砦の人たち、とても親切で優しかった」
「それは良かった、……、って、え? 人間に襲われた?」
ミディアは驚いて聞き返した。
「村を襲ったのは魔瘴によって生み出されたモンスターじゃなく?」
クニャンは悲しそうに首を振った。
「魔瘴現れるより前に人間たちが村を襲いました。たくさんのコボルト、連れていかれて殺された」
「そんな……」
ミディアの思考が、すっと止まった。
世界の音が、遠のいたような気がした。
それは一体どういう事だろうか。
マヌマムの村が滅びたのは魔瘴によって出現したモンスターによるものだと思ってきた。
砦の者たちも恐らく同じ認識だろう。
だが、魔瘴が出現するよりも先に人間が襲撃をしたというならば、……それは一体何を意味するというのだろうか。
「ご、ごめんなさい、そんな、ことをする人がいるなんて、……」
「謝らなくて平気。コボルトにも色々な考え方をする人がいる。人間と仲良くすることを厭う種族もいれば、そうでない種族もいる。ちゃんと分かっています。だから、この砦に助けを求めにきました。この砦の人間は皆いい人。ここにマヌマムを殺した人はいません」
「そ、そうなの?」
「コボルトの血、とても臭いが強い。わたしたちは同族の血のにおいよく知ってる。ここに同族の血のにおいはありません」
「それは、良かった、けど、……」
マヌマムに手を出したのは砦の兵士たちではない。
そのことは朗報だったが、まったく関わりがないとは言いきれない。
ゴッドウィン兄妹はそんな卑劣な手段を使うことはないだろうが、スパイが紛れ込んでいる可能性は大いにあるだろう。
自分はもしかしてとんでもない情報を手に入れてしまったのではなかろうか。
本来ならば、誰も知らなかったはずの情報を。
心臓がぎゅうっと縮こまる。
本当なら、知ってはいけないことだったのかもしれない。
でも──知ってしまった今は、知らないふりはできない。
ミディアは、震える拳をそっと握りしめた。




