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どうぞよろしくお願いいたします。

 ミディアは、砦の最上部にある側防塔――『鷹のまなこ』と呼ばれる場所から、広がる大地を見下ろしていた。


 側防塔とは砦の最上部にある防衛用の施設のことだ。戦になれば弓兵たちがこの塔や歩廊から敵を狙うことになる。

 峡谷をはさんだ対岸には、今も多くのモンスターたちがうごめいていた。

 そのさらに奥。

 かつてコボルトのマヌマム族たちが住んでいたであろう大森林の中の村がある。だが今は、村の周辺にある森は焼き払われ、マヌマム族の信仰の対象であった大樹も瘴気によって今にも枯れようという有様だった。

 大森林の木々はどれも樹高が高い。平均的にみても20メートル以上のものばかりで、そんな森が見える限りどこまでも続いている。

 鷹巣砦はその名の通り、高所にある崖のふちに建てられており、その最も高い場所である『鷹のまなこ』からならば、普段は仰ぎ見るような大森林をかなたまで見通すことが可能だった。

 吹きすさぶ風が、ミディアの焔のような髪を空に踊らせていた。


 「ミディア嬢、ここにいたのか」


 声をかけられて振り返ると、そこにはアレクシスが立っていた。


 「あ、アレクシス様」

 「かしこまらないでくれ。君には心より感謝している。敬称もなくしてもらってかまわない」

 「い、いえ、そ、それは……かえって私の方が恐縮してしまって、えと、その、む、無理です……!」

 「なるほど。ならば君が話しやすいようにしてくれ」

 「は、はい」


 アレクシスがミディアの隣にやって来る。胸壁の前まで来るとゆったりと腕を組んで大森林を見下ろした。


 「あ、あの大きな木がマヌマム族のご神木だったんでしょうか」

 「ああ、その通りだ」


 マヌマム族の象徴であるその木は、大森林からぽんと突き出しているような、ひときわ立派な大樹だった。

 かつて緑の葉を幾万と茂らせていた太い枝は、今は色あせた葉をはらはらと雨のように散らしている。

 それはまさに滅びの象徴。胸が痛む光景だ。

 聖女がやってきて魔瘴を封じ込めることができれば、あの木はまだ生き延びることができるだろうか。

 そのためにはまず砦を死守しなければならなかった。


 「アレクシス様、こ、ここに、結界魔法の陣を書きたいと思っているのですが」

 「結界?」

 「は、はい。その、砦の城壁を見るに、モンスターたちは遠距離からも攻撃をしてきていますよね」

 「その通りだ」


 普段であれば、モンスターたちは異種族で団結することはない。その場合、遠距離からの攻撃はそこまで恐ろしいものではないはずだった。

 ゴブリンたちは弓を扱うとはできるものの、砦に損傷を与えることはできなかったし、オークなどの大型モンスターによる投石もそもそも大群で行動する習性がないために通常は脅威ではなかったのだ。

 だが今、モンスターたちは異種族が一丸となって動いている。

 オークの投石で砦の壁に穴を開け、すかさずワイバーンが炎を吐きかけてくる。

 続いてゴブリンたちが矢と槍を雨のように浴びせかける。


 「軍隊ほどの統率力はなく戦略の幅は狭い。だが、圧倒的なパワーがある」

 「はい、ですので、砦の上部を包むようなシールドを発動できるようにしようと思うんです。私は、攻撃魔法はあまり得意じゃなくて……事前に魔法陣を仕込むことはできても、状況次第では使い物にならないこともあって。でも、その、シールドなら、無駄にならないんじゃないかと」

 「ミディア嬢、剣だけを持たせた兵士と、盾だけを持たせた兵士のどちらがより勇敢に戦えると思う?」

 「え?」


 突然の問いかけにミディアは戸惑って首をかしげる。


 「剣は強い。けれど自身が傷つくという危険にさらされながら戦いに挑むことになる。けれど盾を持たせた兵士は、まず自分の身を守れるという前提があり、盾を構えて全力でぶつかりあうことを恐れない」

 「は、はい」

 「つまり、あなたの提案は非常にありがたいという事だ。シールドがあれば弓兵も投石兵も冷静に敵を狙うことが可能になる。安全がもたらすアドバンテージは計り知れない」

 「で、では、その、失礼して、ここに魔法陣を描かせてもらいます」

 「ああ、助かる。時間がかかるようだったら、茶や軽食を運ばせよう」

 「そ、それは、その、た、助かります」


 魔法陣をあれこれ考えていると、どんどんお腹がすいてくる。とくに今考えている、砦上部を包み込むようなシールドは、かなり時間がかかるだろう。とはいえ、敵の攻撃はいつ再開されるか分からない。できる限り急がなくてはいけなかったから、食事をとりながら作業が進められるのはありがたい。

 その時だった。

 物見の塔にいた兵士たちが「アレクシス様!」と声をあげながら走ってきた。


 「アレクシス様! コボルトです! マヌマム族の生き残りと思われる一団がこちらに向かってきています!」

 「なんだと!」


 警笛を鳴らさなかったのは、モンスターたちに気づかれてしまうからだろう。

 アレクシスとミディアが慌てて胸壁から身を乗り出すと、確かにコボルトの一団が大森林から飛び出して、砦に向かって走ってきている。

 城下町で見かけたミミンタ族やエンキ族と異なって、彼らの外見はかなり特徴的だった。

 彼らは祭祀のような古めかしい装束に身を包み、鹿の頭骨と絡ませた木の枝で作られた異様な仮面をかぶっていた。

 その数は八人。一人はまだ幼いのか体が小さく、腕を引かれながら今にも転びそうに走っている。


 「急ぎ跳ね橋をおろせ! 門をあけろ!」

 「し、しかし、モンスターたちに気が付かれます!」

 「あの者たちは砦を目指して走ってきている。われらが手を差し伸べると信じているのだ。それを裏切るなどできるものか! とにかく跳ね橋をおろせ! 門は偵察用の通用口を開け! モンスターの迎撃には私が出るっ!」

 「かしこまりました!」

  

 突然に周囲が騒がしくなる。

 駆け付けてきた副長から装備を受け取ったアレクシスはすぐさまマントと剣を身に着けると胸壁の上に飛び乗った。


 「ミディア嬢、悪いが軽食の件は副官に伝えてくれ」

 「今、それどころじゃないですよねっ!!?!?!???」


 予想外の一言に、ミディアの声が裏返る。それではまるで、この非常事態を顧みれないほどミディアが食いしん坊のように思われるのではなかろうか。

 アレクシスは「はははっ」と高らかに笑いを響かせながら、軽やかに胸壁から飛び降りた。


 「ひいいうううああああ、うううう、嘘でしょううぅうううううう!???????」


 ミディアはまたも悲鳴をあげたが、アレクシスは木から飛び降りる猫のような気楽さで、難なく地面に着地する。その眼前では跳ね橋が勢いよくおろされて、走ってくるコボルト達が歓喜の声をあげている。

 だが、その背後からはモンスターの一軍が迫っていた。

 すべてではない。異常事態に気が付いた、一部の足の速いモンスターだけだったが、その数はゆうに20を超えている。狼型のヘルハウンド、巨大な蝙蝠のイビルバットがマヌマム族の背後に迫りくる。


 「ル・アラ・リーヤ・スル・アーナ・リャ・トーヤ・ドゥ・ファクナ!!!!」


 空気が一瞬、ぴたりと止まり――次の瞬間、背後から熱が爆発するように膨れ上がった。

 側防塔へ駆け付けてきたジュードがファイアアローを唱えたのだ。炎の矢はモンスターの先頭集団へと一直線に飛来する。

 熱風とモンスターの叫び声。

 さすがは天才魔術師とたたえられたジュードの魔法だ。

 狙いは的確。無駄なく凝縮された炎の矢は、対象にぶつかった瞬間に拡散しモンスターの体が燃え上がる。

 思わず振り返ったコボルトの上をアレクシスが飛び越え、すれ違い様に「振り返るなっ! 走れっ!」と激を飛ばす。


 「こっちよ!! いそいで!!」


 通用口を開いたのはディアドラで、コボルトに向かって大きく手を振っている。

 コボルトは必死に走ってくるが、幼いコボルトが足をもつれさせ、跳ね橋の途中で転がった。慌てふためくコボルトたちに駆けよったのはアレクシアだ。

 体勢を低く、一気に距離を縮めると幼いコボルトを抱き上げてグルリっとその場で一回転し、遠心力でもって小さな体を放り投げる。


 「ぴぎゅうううううううううううううっ!!!!!!!!!」


 宙を舞いながら悲痛の叫びをあげるコボルトに、なんだか親近感を覚えてしまう。

 きっと自分も、あんなふうに誰かに投げられたら同じ声を出すだろう。

 子供コボルトはディアドラによってキャッチされ、一団は無事に砦の中へ駆け込んだ。

 残るは追いかけてきたモンスターだ。

 アレクシスが地上の狼たちに切りかかり、アレクシアが蝙蝠に向かって全力で拳を突き立てる。そこにジュードのファイアアローが炸裂した時点で旗色は決まっていた。

 遅れて駆け付けてきた鷹巣砦の魔術師たちも、胸壁から援護を開始する。

 不利を悟ったモンスターが逃げ出すと、ゴッドウィン兄妹は深追いせずすぐに通用口へ戻ってきた。角笛が響き、跳ね橋が持ち上げられるのを見守って、ミディアは大きく息を吐き出した。


 「よ、良かった、……」


 何一つ手助けはできなかったが、心臓がバクバクと言っている。

 なんだかまだあの小さなコボルトの鳴き声が聞こえてきているが、あれだけ元気に鳴いているなら大きな怪我はないだろう。

 隣に立つジュードも安堵の息を吐いていた。


 「ひとまずコボルト達の様子を見に行こう」

 「そ、そうですね」


 ジュードの誘いにミディアはうなずく。

 ほんの少し、心臓の鼓動が落ち着きはじめていた。

 彼の後ろ姿を追いながら、ミディアは側防塔を後にした。

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