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どうぞよろしくお願いいたします。

 砦は殺伐とした空気だった。


 外壁は争いの爪痕が生々しく残っており、あちこちにはモンスターの血液が飛び散ったままだ。

 石壁に刺さった矢もそのままになっており、おそらく投石でも受けたのだろう、石壁のあちこちが抉れるように欠けていた。散乱した瓦礫は無理やり積み上げられたまま放置されており、油や硫黄の臭いがあたりに充満していた。


 砦の内部では慌ただしく兵が行き来し、折れた槍や回収した矢を刀鍛冶の元へ運んでいる。血と汗と泥にまみれた兵たちの姿が、彼らがほとんど休む間もなく働き続けていることを物語っていた。

 壊れた壁の修繕や、バリケードを作っているのは専用の土木作業員だ。

 鷹巣砦はその過酷な環境故に、大工や石工たちが常駐しているのだろう。切り立った崖にそびえたつ砦の壁での修復作業はまさに命がけだったが、素早く足場を組み次々と石を積み上げていく。

 手の空いた兵士も砦の修繕に取り組んでおり、今現在、砦を仕切っているのは大工の頭領たちのようだった。


 行きかう兵士たちの間を邪魔にならないように通り抜ける。

 兵はアレクシスの顔をみるとかしこまって敬礼の形を取っていたが、アレクシスは「今はいい」とすぐに彼らを作業に戻らせた。


 「ミディア嬢!」


 そんな中、アレクシアはいつも通りの笑顔でミディア達を出迎えた。

 麗しい金髪はきっちりと編み込まれてひとくくりに結ばれてはいるものの、それ以外はいつもと変わらない。


 「アレクシア嬢、遅くなりました」


 パッと見た限り、アレクシアに怪我はないようだ。ひとまずその事に安心する。

 それにしても、アレクシアの表情は普段と同じく輝いており、そこには疲労も絶望も見当たらない。それは指揮官という立場として、兵たちを鼓舞する意図もあるのだろうが何とも心強いことだった。


 「兄上も、予想よりも早い帰還となりましたね」

 「そうだな。本当はドトマタガエルでも焼いて、一杯やってから帰ろうと思ってたんだが……君の可愛い客人を無事届ける任務が入ったもんでね」


 あ、本当にあのカエル食べるんですね。

 ミディアはひっそりと考える。あれ、もしかしてアレクシアも食べたりするのだろうか。恐る恐るアレクシアの顔を見れば、にっこり笑って「ドトマタガエルは美味しいぞ!」という言葉がかえってくる。

 え、マジか。この美形兄妹がそろって巨大カエルにかぶりつくなんて、ちょっと想像が追いつかない。


 さておき、まずは怪我人たちの状態を見に行くのが先決だ。

 アレクシアに頼めば、すぐにでも砦の奥へ通される。

 怪我人たちが運び込まれていたのは、砦の一角にある地下礼拝堂だった。その場に一歩踏み込んで、ミディアは惨状にたじろいだ。

 鼻をついたのは、血と膿が混じったような悪臭だった。そこにかすかに薬草の苦い匂いが交じっている。

 怪我人たちは搬送も出来ない者たちだ。その怪我は重く、全身に火傷を負った者、鋭い鉤爪で身体を切り裂かれた者など、重傷者が苦痛に呻いている。

 負傷者の中には礼拝堂に運ばれて尚も武器を手放さない者もいた。剣を抱きかかえるように握りしめ、遠目でも分かるほどに震えている。

 ロタティアンの聖印を握りしめ、ひたすらに祈る兵士の肩が、小刻みに震えていた。

 その祈りは、まるで啜り泣きそのもののようだった。


 「……酷い、……」


 王都で暮らしていて、これほど酷い怪我人を見ることなど一度もなかった。ましてそれが、治癒もままならない状態など、到底あり得ないことだった。

 何とか命を繋ぎとめるために兵士たちが看病をしているものの、明らかに物資が足りていない。包帯もすっかり汚れてしまっている。だが、あの酷い傷では包帯を何度取り替えても、すぐに血に染まってしまうに違いない。

 足が震える。

 指先も小刻みな震えが止まらない。

 それでも何とかしなければ。

 ミディアが治癒が出来ると言い出したのだ。怖気づいて逃げることなど出来ようがない。


 「……落ち着いて、……考えろ、考えろ、……」


 ミディアはふらふらと歩き出す。

 頭の中に沢山の魔法陣が浮かびあがり、それがいくつか合わさっては消えていく。


 違う、違う、それじゃ足りない。それじゃ……間に合わない。


 思いつく組み合わせを途中まで試しては、すぐにまた別の魔法陣を編み上げる。

 一人ずつ回復していては間に合わない。

 治癒の魔法を単体ではなく、フロア全体に行きわたらせるにはどうすればいいか。

 時間がかかり過ぎても駄目だ。だがそこは、ジュードが協力してくれるだろう。


 だが問題は他にもある。

 光の治癒は、対象者の治癒能力を高めるものだ。つまり、対象者に傷を癒すだけの体力が残っていなければ、かえって死を早めることになる。


 「エーテル、……エーテル濃度が普通よりも高い、……」


 エーテルは空気中に漂う魔力の残滓によく似ている。

 モンスターとの激しい戦いがあったためか、砦の近辺はエーテルの濃度が高かった。このエーテルを変換し、体力を底上げするのはどうだろうか。

 よし、この方向なら行けそうだ。


 「光の精霊に呼びかけて、……範囲拡張、増強、いや、待って、先にエーテルを、ああ、でもエーテルをつぎ込むと魔法陣が不安定に、……それならここに安定化を、うう、駄目だ、これだと拡張できない、……だったら、エーテルを増強する魔法陣を切り離して、……」


 方向性は見えて来ても、実際に使える魔法陣を描けるかどうかは別問題だ。

 うまく組み合わせて行かなければ、それぞれの効果が打ち消し合ってしまう事もある。

 あるいは回路が暴走して、とんでもない結果を引き起こしてしまう事もある。それは、術者自身へのダメージになるだけならばまだましで、治癒の対象者に悪影響を及ぼせば目も当てられないことになってしまうだろう。


 ミディアはその場にしゃがみ込むと、床の上にがりがりと魔法陣を書いていく。途中で唸っては取り消して、また新しい魔法陣を書き加え、理想の形へと近づけていく。

 これも駄目。

 こっちも駄目。

 書いて、書き加え、修正し、どんどん魔法陣を作りかえる。常に微量の魔力を流し続けて、それが正しく機能するかを確認する。

 魔力量が多いくせに、魔力変換が異常に悪いミディアだからこそ出来ることだ。


 「繋がれ、繋がれ、……うん、そう、いい感じ、っと、危ない、そこで暴走する、か、だったら、ここに安定化を噛ませて……、……あ!」


 繋がった。

 思い描いた効果をもった魔法陣が完成する。


 「よしッ!! 出来た、って、ひうあぁあああああ!??!??」


 我にかえったミディアは、すぐ傍で知らないおじさんたちが魔法陣を覗き込んでいた事に気付いて驚いた。

 ぎりぎり魔法陣を踏まない距離で、ローブを着たおじさん達がいつの間にかしゃがみこんでいる。


 「だ、誰ぇえええええ!????」


 悲鳴をあげるミディアに、呆れた顔をするのはジュードだった。


 「ここの砦の魔術師たちを呼んできた。魔法陣が完成したら、魔力を分担して注ぎ込む要員が必要になると思ってな。……声をかけてから呼びに行ったし、戻った時にも声をかけたんだがな」


 全然気付きませんでした。

 集中し過ぎていたミディアとしては、いきなり見知らぬおじさん達が目の前に出現したかのようだった。

 おじさん達、もとい魔術師たちはよく見ればローブに魔塔の紋がついている。皆、二ツ紋以上の魔術師だ。

 彼らは完成した魔法陣を眺めながら、やたら早口で何やら話し合っている。


 「ほほほほおおおう、なるほどなるほど、まさかここで強化を入れて、からの安定化ですか!」

 「おおお、ここをご覧下さい、ここですよ、ここ! このタイミングでの拡張はまさに”奇跡の一手”!」

 「何を仰いますか! 注目すべきはやはりここ! このエーテル変換ですよ!」


 ……良かった。どうやら褒められているらしかった。

 なるほど、こういう所を見ていると、いかにも魔塔の魔術師たちだ。

 彼らは程度の差こそありはするものの、おおよそは変わり者の研究者気質だ。新しい魔法陣を見つけると、興奮して早口で語り出してしまうのは、ほとんど職業病だった。

 大興奮の魔術師たちを前にしてジュードも若干引き気味の表情だ。


 「無事に完成したみたいだな。それじゃあ、発動は俺たちが担当しよう。複数人で魔力を注ぎ込めるように変えられるか?」

 「だ、大丈夫、です。も、もともと、その、発動はジュードさんにお願いしたいと、思っていたので……」


 ミディアは一度、息をつく。


 「で、でもよく考えたら、流石のジュードさんでもこの魔法陣は重すぎて、三日くらい寝込むかもと思って……。だから他の魔術師さんたちを連れてきてくださって、本当に助かりました!」


 ミディアが頭を下げると、ジュードは肩をすくめて見せる。


 「あ、あと、この魔法陣は傷を完全に治癒するものではないです。流石にそこまで一気に進めるのは危険なので、最低限の治療になってます。傷はギリギリ塞がるけど、戦うのはまだ難しいかなってレベルまでしか治りません」

 「十分だ。というか、この状態で死なない状態まで持っていければそれだけでも奇跡だぞ」

 「そ、そうですか、ね。じゃ、じゃあ、ええと、魔法陣をあとちょっとだけ改良します!」


 再び床にしゃがみこんだミディアは、複数の魔術師が魔力を注ぎ込めるよう魔法陣を少し書き換える。


 「で、出来ました! それじゃあ、後はよろしくお願いします!」

 「ああ、任せろ」


 出来上がった魔方陣から離れれば、ジュードと魔術師たちが魔力分配のための陣の中に入っていく。

 なんだか魔術師たちはやけにやる気満々だ。ぶかぶかのローブを腕まくりしたり、前髪をオールバックに掻き上げたりしているし、目は興奮のあまりに底光りしているように見える。


 どうか、うまくいきますように!

 ミディアは祈るように手を合わせる。


 ジュードたちは互いに顔を見合わせると、一斉に魔力を注ぎ始めた。

 正直、かなりハラハラする。

 魔方陣が作動することは確認した。きちんと確認したつもりだが、それでも事故が起こるのが怖かった。怖いのはジュードたちも同じなはずだ。いやむしろ、魔方陣が暴走をした場合、その被害を真っ先に被るのはジュードたちだ。


 お願い、どうかうまくいって!


 魔方陣に光が満ちる。描かれた紋が浮かびあがり、光の魔術が発動する。

 次の瞬間、礼拝堂が穏やかな光で満たされた。周囲のエーテルが光の粒となって輝きながら、雨のように降り注ぐ。

 まぶしい。

 でもそれは、のどかな春の日差しのようで心地よい。

 ゆっくりと光が収まっていけば、周囲からは驚きの声が聞こえてくる。


 「……痛く、ない。傷が痛くない、嘘だろ?」

 「喋れる、声が出る」


 全身がケロイド状だった男の皮膚は、まだ赤みを帯びているものの、爛れていた部分は落ち着き、炎症も引き始めていた。腹をえぐられた男も、傷ははっきりと残っているが、薄皮がはっておりもう命に別状はないだろう。

 驚きと喜びの声。そして、命が助かったことへの安堵からすすり泣く声が聞こえてくる。


 「やった、……成功した! 良かった、よか、っ……ひぎゅううううう!」


 感動に打ち震えていたミディアは、横から飛びかかってきたアレクシアに思い切りよく抱きしめれ、つぶれたような声が出る。


 「ミディア嬢!! ミディア嬢! あなたはなんと素晴らしいんだ! 今すぐ口づけをしてもかまわないだろうか!?」


 ……唐突すぎて脳が処理しきれなかった。


 「なんでーーーーーー!!!!?!?」


 いきなりの言葉に、ミディアは混乱して声をあげる。だがアレクシアはお構いなしにミディアをぎゅうぎゅうと抱きしめたまま、ひたすら頬ずりを繰り返す。なんかもうすごい。魔塔の事務員がやたら人なつこい犬を飼っているのだが、そのワンコが喜び勇んでじゃれついてきてる時みたいだ。

 かと思えば、さらにアレクシアごと抱きかかえるようにしてディアドラまで飛びついてくると反対の頬にキスの雨を降らせてくる。


 「すごい! すごいわ! 子猫ちゃん!! ああああ、もう、大好きよ!」


 よく見れば、おじさん魔術師たちもきゃっきゃしながら飛び跳ねて喜んでいる。ジュードはその様子をあきれた顔で見ているが、口元はいつもより緩んでいてとても嬉しそうだった。


 「アレクシア、ディアドラ、少しは落ち着け。お前たちが全力で抱きつくとミディア嬢がぷちっと潰れかねないぞ」

 

 さらっと怖いことを言い出したのはアレクシスだ。

 やめて下さい。怖すぎます。ちょっとあり得そうだからマジ怖い。

 アレクシスの言葉に、アレクシアとディアドラは少々不満げながらもなんとか解放してくれる。


 「ミディア嬢。ゴッドウィン家を代表し、お礼を申し上げる。貴殿の活躍により多くの命が救われた。後日、ロストバラン家にも正式に感謝状をお送りする」

 「い、いえ、その、わ、私だけではどうにもならなかったので。えと、その、ジュードさんと、魔術師さんたちにも、ええと、私からも、その、感謝を、……」


 うまく言葉にするのが難しい。焦ると余計に言葉がまとまらず、どんどん尻つぼみになっていく。


 「と、とにかく! お役にたてて良かったです!」


 そう言えば、馬に揺られて限界に近かった臀部の痛みも一緒に癒されたようだった。

 ひとまずはこれで万々歳。

 ミディアは満面の笑みを浮かべてみせた。

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