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なぜ、教会は「奇跡」を魔術として扱おうとしないのだろうか。
ミディアは、何度もその疑問を頭の中で繰り返していた。
──なんとなく、感覚では理解できる。
教会の上層部は、魔術というものを根本的に快く思っていないのだ。
ラシャド王国内では、教会と魔塔の発言力はほぼ拮抗しているが、他国には、教会が圧倒的な権力を持ち、魔術師が迫害の対象になる例も存在する。
中には、追放どころか処刑が行われる国すらあるという。
とはいえ、ミディアの知る限り、そうした国は少数派だ。
モンスターが跋扈するこの世界において、魔術師の力は必要不可欠なものだからである。
現状、一部の魔術師は「癒しの奇跡」を独自に解析し、それを「光の治癒」という名の魔法として再現している。
この「光の治癒」は、魔塔には登録されていない非公式の魔法陣だ。
教会からすれば、あくまで“模倣”にすぎない。
使用を黙認されてはいるが、「癒しの奇跡」として名乗ることは許されていない。
ましてや、他者に堂々と教え広めるなど、言語道断という扱いのようである。
──だが、ミディアは思う。
もし教会がこの「癒しの奇跡」の術式を正式に魔塔へ申請すれば、
使用料という形で莫大な資金を得ることができるはずだ。
……なのに、なぜ、それをしないのか。
「それはいわゆる、メンツがつぶれるという話ですわね」
さらりと答えたのは、いつも通り微笑を浮かべたリリアナ嬢だった。
「宗教というのは、商人以上に“建て前”を重んじるものでございますから。
建て前九割──と言っても、言い過ぎではございませんわ」
その一言に、ミディアは思わず絶句した。
いや、リリアナ嬢が言いかねないことではある。だが、問題はそこではなかった。
同席していたのは、神官のフレイと、聖女のシーヤである。
──しまった。ここが教会の談話室だったことを、うっかり忘れていた。
話しやすい顔ぶれだったせいか、つい、口が滑ってしまったのだ。
とはいえ、まさかリリアナがここまであけすけに言うとは──
「え、ええと、その……」
動揺したミディアは、リリアナとフレイの顔を交互に見つめる。
フレイは苦笑しつつも、軽く頷いた。
「続けていい」と言っているのだろう。
「ミディア嬢は、教会が“奇跡”を魔術として認めることができない、一番の理由はなんだと思いますか?」
「え、……ええと、ううんと、……あ、も、もしかして、光神ロタティアンの権威を弱めてしまうから、ですか?」
「流石はミディア嬢。その通りでございますわ」
リリアナは嬉しそうに手を叩き、軽やかに笑った。
「ご存じの通り、教会は光神ロタティアンを唯一神として信仰しておりますわね。
この教義をざっくり申し上げますと──」
ここでリリアナは少し語調をあらたむ。
「かつて世界は、強大な力を持つドラゴンたちによって支配され、人々は苦しみの中にありました。
それを救済したのが、慈悲深き光の神ロタティアン。
彼の加護を受けた“エダン”という人物が神聖王国ローデンバルドを築き、王家の祖となったのです。
そのエダンは“黄金の血”を授かったとされ、現在の王家の方々にも、その血が僅かに流れておりますの」
さらりと語られた内容は、国家の成り立ちにまで及んでいた。
つまり、王家の存在そのものがロタティアンの加護によって正当化されている。
ミディアは、ぞくりと背筋に冷たいものを感じた。
「つまり、王家であることの正当性として血筋を人質に取られているようなものですのよ」
「そ、そう、でございますわね……」
柄にもなく、令嬢らしく口元を隠してウフフフと笑ってしまう。
──いやだって、怖いし!
神官と聖女様がいる前で、そんな“ざっくり”いっちゃっていいんだろうか。
罰があたらない?
いやなんかこう、物理的に、鉄球とかで「天罰覿面!」とかされないだろうか。
ちなみに、ミディアたちが暮らすラシャド王国と敵対関係にある西方の大国・ヴァルドラグは、ドラゴンの血を引く者たちが治めていると言われている。
だからこそ、ロタティアンを信奉する東方諸国を敵視している、という話だ。
「“奇跡”と呼ばれる術は、唯一神ロタティアンの慈悲を、信仰によって借り受ける形で行われるものです」
「そ、そうです、ね……はい」
「ですが──その唯一神の力が、“魔法陣”によって再現可能であるとしたら、どう思います?」
「ま、魔法陣は、精霊に呼びかけて術を発動させるもの、なので……
もし、同じ原理でロタティアン様の力を借りられるということになると、……それは……」
ミディアは、そこで言葉を切った。
唯一神であるはずのロタティアンが、もし精霊と同義の存在だということになれば──
それは、教会の根幹そのものを揺るがしかねない。
……さすがに、それを口に出すのは、はばかられた。
だがその後を引き継いだのは、意外にも神官のフレイだった。
「ロタティアンが光の精霊に近い存在だという話は、教会の中でも割と知られていることなんだ」
フレイは静かに言った。
「もちろん、認めたがらない人もいるし、認めていても表では決して口にしない。
魔術と奇跡、両方をある程度理解している人間なら──まあ、たどり着く結論ではあるんだろうね」
「な、なるほど……?」
「ただ、それを大声で言いふらしたりするのは、……あまり、お薦め出来ないかな……」
フレイは曖昧に言葉を濁す。
ミディアはその先に待つ運命を悟って身震いした。
やっぱりおいそれと触れていい話題じゃなかったようだ。
「ですが、治癒をほどこす術はなくてはならない存在です。これを教会が完全に禁止したら大きな反発は起こるでしょう。そこで教会はこれを黙認することにしたんです。
光神ロタティアンの威信を揺るがすことがない範囲であれば、魔術師がそれを扱うことに対して見て見ぬふりをする。
魔塔側としても教会と真向から対立することは避け、曖昧な境界線を引いてるというのが現状かと思います」
「ええと、つまり、私がひっそり光の治癒を使う分には問題ないけれど、その根源を解き明かすような魔法陣を出したら教会側からバッシングされるっていう事であってますか?」
「はい。おおむねその判断基準で良いかと思います」
フレイが頷くのにミディアは胸を撫でおろす。
「で、でも、だとすると、気になるのが魔瘴を封じる事が出来るという奇跡の存在です。その奇跡も魔法陣として解析できるなら、ひっそりと広まっていても不思議じゃないと思うんですが」
「それは、恐らく、浄化の奇跡を使えるものがほとんどいないこともあるかと思います」
今度は聖女シーヤが口を開いた。
「聖女の中でも浄化の奇跡を使えるものはほんの一握りです。浄化の奇跡は教会内部でも最高機密の奇跡なのですが、その複雑さもさることながら、膨大な神聖力を消費すると言われています。
魔瘴の大きさによっては、封じるために命を引き換えに差し出す必要があるとも言われています」
神聖力とは、魔塔側の言葉に直すならば魔力量のことを言う。
平たく言えば、めちゃくちゃ魔力消費が高い魔法のために、扱える魔術師がほとんどいないというようなものだ。
ミディアが考えこんでいると、再びフレイが口を開く。
「それと、ラシャド王国においては魔瘴が発生した場合、聖女が浄化の奇跡を行うけれど、国によっては浄化を行わない場合もあるんだ」
「えええええええ!????!? な、なじょして!?」
「唯一神ロタティアンを信仰する教会といっても、複数の宗派が存在するんだ。その中には、ロタティアンの慈悲を受けた土地であれば魔瘴が生じる筈はないと主張するものもある。
つまり、魔瘴が生じるのはロタティアンの慈悲に見放された土地、そこに住む人々の信仰心に翳りがあったからという事になる」
「そ、その場合は、ええと、その、魔瘴はどうなるん、です?」
「消滅するのをただ待つことになる。灰燼都市エジスーラの巨大魔瘴であれば、消滅までは50年以上かかったと聞きますが、小規模な魔瘴ならば5年から10年ほどで消滅する」
「で、でも、5年も魔瘴が開いていたら、その周辺は……」
「もちろん、──壊滅状態になる」
ミディアは思わず息を飲んだ。
ただ祈りが足りなかったという理由で、大勢の民が見捨てられる──
それは、あまりに残酷な理屈だった。
それが「神に見捨てられた者の末路」であると、きっとそういう事なのだろう。
魔瘴を恐れる人々は、ロタティアンにより熱心に祈りを捧げることになる。
それは果たして救いだろうか。恐怖による思想統一ではなかろうか。
それに、その理論には決定的な穴がある。
「ええと、そ、その、……魔瘴が”信仰心の翳り”で生じるのであれば、最初の魔瘴によって滅ぼされた国がロタティアンの加護によって栄えた神聖王国ローデンバルドというのは、その、む、矛盾している、ような……?」
「その件に関しては、教会の研究家達にとっても頭の痛い問題のようです。下手な事を言えば自身の信仰心を疑われてしまいますからね。教会においての最大の謎でもありタブーでもあるという認識でしょうか」
「な、るほど」
ミディアは首を傾げつつもある程度は納得した。
世の中、多くのものは矛盾を抱えているものである。むしろあってしかるべきものだろう。
ただそれが教会のような大きな勢力であれば、厄介なことになっていく。
因みに、魔塔は教会の語る「唯一神ロタティアンがうんぬん」という歴史に関してはかなり懐疑的だった。
というのも、神聖王国ローデンバルドの建国の際に異端とされる多くの書物が焚書の憂き目にあったからだ。
『エダンの焚書』と呼ばれる乱暴な思想統一により、いったいどれほどの資料が失われたのか。
それは当然のこと、精霊や神話にまつわる数多の書物が含まれていたと言われている。
そして、それは書物のみにあらず。
教会の教えに反した学者、哲学者、文学者たちも、書物とともに焚かれたのだ。
「あ、あの、その、フレイ殿やシーヤ殿はどうして私に、ええと、その、きょ、教会の、暗部になるような話を、教えて下さるんでしょうか?」
「いかなる組織にも暗部は存在します。ですがそれは組織の全てではなく、良い部分も存在する。
僕は教会の良い部分を愛しています。たとえばここの孤児院や貧民街での焚き出し、安価で行われる癒しの奇跡や神殿騎士によるモンスターの討伐。
それらの行いも教会という存在に支えられてこそあり続けることが出来る」
フレイの言葉に、シーヤも静かに頷いた。
それを見て、ミディアもようやく腑に落ちた気がした。
この世界には、矛盾も、闇も、そして救いもある。
教会も魔塔も、きっとその全てを抱えながら存在しているのだろう──と。
「色々教えて下さってありがとうございます。あの、その、とてもお勉強になりました」
「いえ、僕たちの知識が少しでも役に立つならば嬉しい限りです」
フレイはにっこりと笑った後に、しばし間をおいてから再び口を開いた。
「あの、これは僕の個人的な好奇心からお聞きしたいのですが……。
唯一神ロタティアンが光を司る精霊だとすれば、その対なる存在、闇の精霊も存在するのでしょうか。
そうであれば、闇魔法というのも存在するのですか?」
「え、ええと、その、闇魔法は、存在するらしい、と言われています。
ただ、扱うのが非常に難しく失敗すると周囲に危険を及ぼすために、魔塔では闇魔法を研究すること自体を禁止しています。
それに、かつて行使しようとした者がすべて狂ってしまった、……あるいは”異形”に転じた、と言われています。
な、なので、確かな事は分からないのですが、……」
ミディアはしばし言葉をきると大きく深呼吸をした。
「そ、その……マ、マティス卿が、あ、あの、絶対神ゾデルフィアという名を口にしていて……。それで、もしかしたらと思ったんです」
ミディアは震える指先をぎゅっと握り込むようにして、続けた。
「古い文献を調べてみたところ……おそらく、ゾデルフィアという存在が、闇の精霊にあたるのではないか、と。
わ、わたしは……そう、推測しているんです」
「なるほど。やはりそうなのですね」
フレイもまたあの地下牢でゾデルフィアの名を聞いた時から、漠然と予感していたのだろう。
「は、はい。あ、あの、このことはくれぐれも、その、他言無用でお願いします」
ミディアがぺこりと頭を下げると、フレイは笑って了承した。
「僕たちだってあまり表立って言えない話をしたんだからお互い様だよ」という言葉が足されれば、ミディアも心から安心する。
会合は刺激的で、ところどころ心臓に悪かったが、抱えていた謎はぼんやりと概要が見えてきた。
残る疑問を解決するには、魔瘴を祓うことの出来る浄化の奇跡を見ることが必要になるだろう。
そのためには魔瘴の出現が前提になるのだが、そんな機会ない方が良いに決まっている。
……それにもし、もし魔瘴が現れるとしても、自分がその現場に立つことなど、きっとないだろう。
そう、ミディアは──信じていた。
ゴッドウィン家が治める国境沿いに魔瘴が出現したとの報せが王都を駆け巡ったのは、
この会話の、ほんの二週間後のことである。
そしてミディアは、ゴッドウィン家の長女・アレクシアに乞われ、魔瘴から湧き出すモンスターの討伐へと向かうことになったのだった。




