②
ミディアとアレクシア、そしてリリアナは、孤児院の一角にある客間であらためて向き合っていた。
もとは貴族の邸宅として建てられたこの建物には、いまもその名残が所々に残っている。
高い天井にはかつて豪奢だったであろうシャンデリアの台座が、今では黒く煤け、灯りは安物の吊り下げランプに置き換えられていた。壁には古びた壁紙の上から雑に打ちつけられた板が斜めに走り、雨漏りの跡が天井の角に滲んでいる。
だが、それでもなおこの部屋には誰かが心を砕いた気配があった。
小さな花瓶に生けられた野の花、薄手のカーテンは洗い晒しで色褪せているが、陽の光をやわらかく通していた。つぎはぎのソファには手製の膝掛けが丁寧に畳まれており、壊れた箇所は丹念に繕われている。
その中で、ミディアはリリアナが丁寧に淹れてくれた紅茶を両手で包み込むように持ち、ふう、と小さく息をついた。
ほのかに漂う茶葉の香りが鼻腔をくすぐり、乾いた喉とこわばった胸を、じんわりと潤していく。冷たく固まっていた心が、すこしずつ、溶けていくようだった。
「さてミディア嬢、聞かせてくれ。一体何があったんだ? 私たちが処刑される未来とはどういう事だ?」
「ええと、その、すいません。落ち着いてみたら、その、わ、私の早とちりだったんじゃないかって」
「そうかもしれないわね」とリリアナが頷く。「でもやはり気になるわ。ミディア嬢はさきほど、未来視の術式を試していたと話してくれたでしょう? それが完成したのではなくって?」
リリアナの言葉に、ミディアはしばし黙り込んだ。
答えは恐らくイエスだ。
だが、あれが本当に未来視が成功したものなのか。ミディアには自信がもてなかった。
「ミディア嬢、それが不確実であったとしても、わたくしは知っておきたいわ。知っていれば、もしもに備えることが出来ますもの」
「そ、……そう、ですね。でも、本当にあの、私、自信がなくて。未来視が成功したという話は聞いたことがないんです。だから、まさか私が成功するなんてこと、とうてい信じられなくて」
「でもねミディア嬢。それがどんなに荒唐無稽に思えても、万が一そうなってしまうこともありうるわ。その時、ミディア嬢は話しておかなかった事を後悔するんじゃなくって?」
「……その通り、ですね」
ミディアは大きく息を吸い込むと、あらためて恐ろしい光景を思い出しながらゆっくりと語りはじめた。
「最初に感じたのは空気に混じる腐敗臭でした。それに、赤黒く染まった空。あんな色の空は見たことがありません。
おそらく、数年後の未来だと思います。自分の手を見た時に、普段よりも大きくなっていると感じました。それに視界も高くなっていて。わ、私は、両手を拘束されていました。魔力を封じる魔道具だと思います。
それで、……、ま、街はずれの、処刑場に。そこにはギロチンがあって、す、すでに、アレクシア嬢と、リリアナ嬢の首が、……地面に、……」
「私の首が転がっていたのか?」
アレクシアの問いかけにミディアは神妙な顔で頷いた。
「それは少々不思議な状況ですわね。公式な処刑の場では、もっとも位の高いものが最後に処刑されるのが一般的です。よって侯爵家の令嬢であるアレクシア様が最後になるかと思うのですが」
「あるいは、もっとも罪が重いものが最後になる場合もある」
「はうううぅううう、ごごご、ごめんなさいッ!!!!!」
ミディアは思い切り平伏したが、アレクシアは軽やかに笑ってみせた。
「ミディア嬢がもっとも敵に煮え湯を飲ませたという事だろう。あっぱれではないか」
「あ、アレクシア嬢は、そ、その、私が、反逆行為をしたであろう事に、い、憤りを覚える、とかは」
「私が反逆行為に手を染めるなどありえぬことだ。つまりそれは、反逆行為として処断されたものであっても、実態は異なっていただろうと考える。して、罪状はなんだった?」
「え、ええと、確か“聖女の奇跡および唯一神ロタティアンの教義に対して許しがたい冒涜を行った“と」
「まぁそれは、ふんわりしておりますわね」
リリアナがおっとりとした声で言うと、首を斜めに傾ける。
「あああ、あと、処刑場に聖女様らしき人物がいました。聖女様、いえおそらく大聖女に選ばれた方だと思います」
「ふむ、その根拠は?」
「その女性は、顔をベールで隠していました。そして彼女を守るようにして三人の男性が立っていたんです。そ、その三人というのが、一人は、……あれは恐らくアレクシア嬢のお兄様にあたる、アレクシス・ゴッドウィン様であったと存じ上げます」
「兄上が?」
アレクシアが眉をしかめながら問い返す。
「は、はい。あの、お顔立ちが似ていらっしゃいました。あ、それと騎士団長の鎧を身に着けておりました」
「……団長を継げるのは18歳以上と決まっている。兄上が現在14歳であるから、最短で4年後の未来ということになるな」
「な、なるほど。あ、あと、ええと、そのお隣に神殿騎士団の正装を身にまとった方がおりました。た、多分、あれは神官のフレイ殿ではないかと」
「あらまぁ、フレイ殿まで?」
リリアナの問いかけにミディアは小さくうなずいた。
「は、はい、確か今日も孤児院周辺を見回っていらっしゃいましたよね。将来有望な神殿騎士候補でもあると伺っています。実際、処刑場では高位騎士の正装をしていらっしゃったので、出世なされたのでは、と」
「それはすごいですわね。平民から高位の神殿騎士に出世するなんてなかなかにないことですわ」
「そ、そうですね。あとは、五ツ紋をしめすローブをまとった魔術師の姿も見えました。存じ上げない方でしたが、魔塔を代表していらしたのだと思います」
「……それは、一大事だな」
「それは一大事ですわね」
アレクシアとリリアナが同時に呟いた。
「え、ええと、あの、一大事、というのは?」
ミディアにとって処刑だけでも十分すぎるほどの一大事だが、どうやらアレクシアとリリアナの懸念は別の場所にありそうだ。
ミディアが首を傾げると、アレクシアが重々しく口を開く。
「そうだな。まず、私の公式な処刑が教会の主導で行われたとすれば──それは、騎士団が教会の力に屈したということになる。本来なら、騎士団の不始末は騎士団が責任を持って裁くものだ。この越権が通ったとすれば、国内のパワーバランスが崩れていることになる」
「な、なるほど確かに」
納得するミディアに、今度はリリアナが口を開いた。
「それに、国防を担うべく方たちが揃って大聖女様に加担しているのも問題ですわね」
「だ、大聖女様というのは、国家全体で祀り上げる存在ではないのでしょうか?」
首を傾げるミディアに対して、リリアナが少し困った顔をする。
「ご存じの通り、大聖女は“神に選ばれし者”とされています。でも実際には、一定以上の魔力……教会の言葉で言う“聖力”を持つ者の中から、大審聖官たちの判断で選ばれるのです」
「は、はい……」
「出自は貴族の場合もあれば、平民の場合もあり、まちまちですわ。ただ──神が選ぶわけではなく、人が決める以上、そこには様々な思惑が絡みます。たとえば……我が国で騎士団の関係者が聖女に選ばれたのは、たった一度だけ。それもヴァルドラグ帝国との大戦の最中でした」
「そ、それは……たしかに、分かりやすい、ですね……」
ヴァルドラグは異教徒と呼ばれる者たちが治める地だ。教会としては絶対に負けられない相手だろう。
“聖戦の御旗“としての大聖女というわけだ。
だが平時には騎士団を教会は関わらせたくないだろうし、騎士団としても教会が軍事に口を出すのはご遠慮願いたいという訳だ。
「現在、教会と国家の関係は良好ではありますが、力関係は常に変動し、利害においても必ずしも一致している訳ではありません」
「なるほど」
「つまり、奇跡や教義がいかに重要であろうとも、それが政治や軍事に食い込むことがあってはならないのです」
だいぶ話が見えてきた。
教会側が魔術師や貴族、騎士の処断を強いて来たとなれば、それは国家転覆の危険性をはらんでいるという事だ。
「で、でも、その、いくらパワーバランスが崩れたとはいえ、それほど教会が力を持ってしまったならば、とうてい太刀打ちが出来ません。つ、つまりその、わ、私たちは、処刑を回避すべく大人しくしている他ないんじゃないでしょうか」
「却下だ」
アレクシアはすぐさま首を振る。
「さきにも述べた通り、国防を担う者たちがすべて教会に加担するなどあってはならぬ事態だ。なれば、我らが成すべきは、黙して嵐を避けるのではなく、自らが嵐に立ち向かう盾となり剣となるべきだ。貴女もそう思うだろう、ミディア嬢!」
「い、いえ、わ、私は、その、魔塔にこもって静かに……研究を、……つづけ……」
「ここで我らが未来を知ったることこそまさに天啓なり。さすれば、それに応え見事、逆境を跳ね返してみせようぞ!」
「はわ、わわわ、な、なに、めっちゃ盛り上がってきてる」
おろおろするミディアをよそに、リリアナは相変わらずににこにこ笑顔でアレクシアを見守っている。
止める気はまったくないようだ。
当の本人のアレクシアも、我が意を得たりとばかりに満面の笑顔で立ち上がる。
「今日より我らは、絶望の未来に抗うべく誓い合った同志である。手を取り、肩を並べ、正しき反逆の牙とならん!」
「はんぎゃく! 反逆って言っちゃってる!!!!」
ミディアは悲鳴をあげて突っ込むが、アレクシアは止まらない。
その細く長い足を椅子に乗せると、ひらりとテーブルの上に飛び乗った。
「いざ、正義は我にありと証明するのだッ!!!!!!」
「わぁああああん、全然話聞いてくれないよぉおおおおおおお!」
吠えるアレクシアに絶叫するミディア。
リリアナだけが優雅な微笑みを浮かべながら、ぱちぱちと手を叩いていた。