⑦
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「マティス卿!!!!」
突如現れたマティス・ドリスティオールに真っ先に武器を構えたのはフレイだった。
その隣にリリアナが駆け寄り、すぐさま彼女も薙刀を構える。
ミディアも2人の背後に駆け寄ったが、どうしていいか分からなかった。
「おやおや、私の屋敷に武器を持ち込むなど、少々無作法が過ぎるのではありませんかな?」
マティスが手を叩くと、階段の上から護衛たちがぞろぞろと降りてくる。数にして二十名。
どれも傭兵風情だが、着ている鎧の手入れは悪くなく、装備には金がかかっている。中には格式ある紋章入りのマントを無造作に肩へ羽織る者さえいた。
無精髭を生やし、焼けた皮膚には刀傷が刻まれ、腕には犯罪者を示す焼き印が残る者もいる。とはいえ、誰も騒がず、笑わず、整然と持ち場についた。
無法者のように見えて、雇い主に恥をかかせぬ程度の節度はある。――そう、表面上は。
その眼光は狩人のそれ。荒事を生業とし、殺しを厭わぬ者たち。ミディアたちを手にかけることなど、朝の歯磨きより軽い仕事なのだろう。
「それにしてもたった3人で乗り込んでくるとは、愚直さは美徳とは言い難いですよ?」
「まぁ、あなたのご趣味もとうてい美徳とは言い難いのではなくって?」
リリアナは薙刀を構えながらも鈴を転がすような声で返す。
「はっはっは、何を仰りますかリリアナ嬢。まだ若い、花開く前の蕾を味わう。
それこそ選ばれた者のみに許される至高の娯楽と言えるもの。
ご安心下さい。そこの騎士は豚の餌にでもいたしますが、貴女とミディア嬢には特別な晩餐会を開きましょう!」
狂気のまなざしに怖気が走る。
ミディアはぐっと杖を握りしめる。
「わ、わ、わたしは、確かに、役立たずでは、ありますが! で、でも、わ、私になにかあれば、ロストバラン家が黙ってはいません……!」
「いえいえ、ミディア嬢。……あなたの事は”生きて”お返しいたします」
「へ?」
「ただしそれは二人きりの晩餐会を終えたあと。あなたはそれでも父上に訴えることが出来るのですか?
……好奇心に駆られて、薮の中へと顔を突っ込み、自ら傷を負った愚かな娘。役立たずの上に嫁にも行けない身になったと、訴えることが出来るのですか?」
「な……なにを……」
「あなたのような小娘に出来ることは泣き寝入りか、あるいは教会に駆け込むことくらい。
女とは、男に快楽を運ぶための器、……ええ、そう器とは空では無意味なもの。たまたま上等な家に生まれたからとて器は器にすぎません。
口慣か、前菜か、肉料理か! それを選び、愉しむのは男の役割。
あなたのような小娘に、載せる料理を選ぶ資格など──あるはずも、ないのです」
ミディアは唇を噛みしめた。
悔しい。腹立たしい。だがそれ以上に、──吐きそうになるほどの生理的な嫌悪感。
情けない。こんな時に恐怖の方が大きいなんて、確かにロストバラン家の一員として失格だ。
「ああ、もっと良い方法を思いつきました。あなたを私の妻として迎えいれて差し上げましょう。
ロストバラン家と深いつながりが出来るのは私にとっても悪い話ではありません。
最近は私の妻も歳をとってしまってね。女としての価値がなくなってしまった。
これは実に良い采配です。あなたには、退屈な夜を埋めるための、……5年は価値がありそうです。
心して尽くすと良い。君の人生に、ようやく意味が与えられるのだから」
あまりのことに気が遠くなりそうだった。
今までも悪意のある視線を向けられたことは何度もある。それでも彼らは、ミディアが「ロストバラン家」の令嬢である故に、遠巻きに嘲笑っていただけだった。
だが今は、真向から悪意と、そして悪意よりも悍ましい感情をぶつけられ恐ろしくて仕方ない。
「──随分と無作法な品定めをするものだな、マティス卿」
ふいに凛とした声が響き渡る。
その声が、空気を一変させた。
ミディアが振り返ると、アレクシアが騎士たちを従えて立っていた。
一様に掲げた盾が薄明かりを鈍く反射し、その動きに乱れはない。
装甲に彫られた紋章は、王国の誇りと騎士の誓いを象徴しているかのようだった。
傭兵たちが動揺にざわめくが、騎士団は沈黙のまま、ひたと床を踏みしめアレクシアの背後に整列する。
それは一枚岩のごとき威圧であり、背を預けられる信頼の証でもあった。
「な、なぜ騎士団がここに!? 捜査状もなく……!
ば、馬鹿な……! 王家の信任を得たこの私に、こんな真似をしてただで済むと思っているのか!?」
流石のマティスも狼狽した様子で後ずさる。
「誤解なきよう、マティス卿。王国内の見回りは騎士団の務め。
怪しげな者たちが納骨堂に入っていったとの報告を受けたため調査に来た次第」
アレクシアが話す背後、気配を感じてミディアが目を凝らすと──
ひっそりと、しかし確かな存在感で獣人のディアドラが顔を覗かせていた。
ミディアと視線があえばウィンクを飛ばしてくる。
なるほど。どうやらディアドラがミディア達をつけていたのだろう。そしてアレクシアに報告をしてくれたらしい。
「故にここへ着いたのは偶然です。しかし、この状況に関してはご説明を頂きたい」
アレクシアが一歩、静かに前へ踏み出した。
その動きに呼応するように、背後の騎士たちが一斉に足を踏み出した。
ズン──。重く鈍い足音が地下牢に響き、淀んだ空気を震わせた。
誰一人として言葉を発さぬまま、全員が盾を僅かに構え直す。その動きは、“個”ではなく“集”そのものだった。
呼吸までも揃えたかのような一糸乱れぬ動きが、沈黙のまま圧をかける。
マティスは思わず肩を引き、ジリジリと後退する。
彼の背後に控える傭兵たちがたじろぎ、互いの顔を伺うように怯えた視線が交わされる。
階段に最も近かった傭兵は、すでに足を第一段へと伸ばしかけていた。
状況をいち早く理解したリリアナはにっこりとマティスの私兵に笑いかけた。
「あなた方。さっさと逃げた方がよろしいですわね。
ここまで事が明るみに出てしまえば、いくらマティス卿とて言い逃れは叶いません。
平民であろうとも、未成年は王国法において保護の対象。
その上、誘拐に加担し、黙して見過ごしたとなれば――死罪は免れませんわ。
……それに、ここには聖女見習いが複数名、含まれておりますの。
教会法の裁きが、王国法より甘いなどとお思いならば――大間違いですわよ?
唯一神ロタティアンへの反逆罪。
火刑で済むならば、まだ情け深い処断と言えるでしょうね」
私兵たちがあからさまな動揺を見せたところにアレクシアが大声でもって畳みかける。
「去れ! 今去るならば目をつぶろう!
……だが邪魔だてするというなれば、このアレクシア・ゴッドウィンが容赦せぬぞ!」
その言葉に続いて、騎士団が一斉に盾を拳で叩き、金属音を轟かせた。
地下牢に響くその重く冷たい音は、まるで死刑を告げる鐘。逃げ場なき裁きの合図だった。
「ヒッ……!」
一人の私兵が音に気圧されて尻もちをつき、──瞬間、全体が崩れた。
誰かが背を向けて逃げ出すと、それに釣られるように、他の者たちも我先にと階段へ殺到する。
蜘蛛の子を散らすとはまさにこのこと。命の惜しさが忠誠に勝った瞬間だった。
元より、金で雇われた薄い繋がりに過ぎない。
その金がもはや保証されないと悟った今、彼らに残されたのは、逃げるという一択だけだった。
「さて、ようやく落ち着いて話が出来そうだな、マティス卿。この場所に関して、そして牢の中にいる少女たちに関してご説明願おう」
アレクシアの言葉に、マティスは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
だがそれも一瞬のことだった。
笑顔。
満面の笑顔。
マティスが今までに見せた中でもっとも嬉しそうに、唇を限界まで釣り上げる。
そうしてふいに、ヒヒャハハハハハハっと甲高い笑い声を響かせた。
「いやいやこれはこれは、この私とした事が一本取られましたよ!
気に入りました。実に気に入りました、アレクシア嬢。元より貴女の事は高く評価していたんですよ!」
マティスはアレクシアに向かって、舐めまわすような視線を送る。
そして両腕を、まるで舞台に上がった役者のように、大仰に掲げた。
「見なさい! ここは輝かしき我が狂騒大劇場! 鳴り響くは嬌声のオペラ!
今ここに、貴女との舞台の幕を開きましょう!
我らを照らすは──この死と静寂の牢獄に吊るされた、満天の星のごとき、夢と狂気のシャンデリア!
ああ、神よ──神よ……誘惑とは誰の罪なのだ? 彼女はまるで凍えた夜鳴鶯、まことの朝を知らぬ憐れな娘。
ならば、神よ、慈悲とは! 愛とは! 我が施しは神意であり、誘惑とは彼女の罪ではあるまいか?
いかがかね? さぁ、狂気と悦楽の舞踏に喝采を……!」
アレクシアは、狂騒の演説を黙って聞き終えた。
その沈黙は、言葉の価値を測る冷たき秤のようだった。
そして静かに、鋼のように告げる。
「──聞くに堪えぬ、下劣な戯言。騎士団を前に、貴方一人でなにを誇る」
「戯言!!!! 戯言は貴女の方ですよアレクシア嬢!!!! 私に、この私に勝てるなどと!! それこそが戯言です!!!!」
メキ、メキッ──異様な音が響いた。
それは、マティスの身体から発せられた音だった。
その腕が軋みをあげて折れ曲がる。骨ごと“捻じれる”ように奇妙な方向へと変形し、尚もそれは止まらない。
同時にマティスの身体が見る間に大きくなっていく。
腹が膨らみ、服が裂け、腕も足も奇妙にねじ曲がりながら、みるも悍ましい姿へ変貌する。
「ま、まさか! モンスター! いや、──ま、魔人!?」
誰かがそう叫んだ。
それは、歴戦の騎士でさえ“存在しないと思っていた”もの。
かつて魔人に遭遇したという伝説の騎士『奈落守のアナゼイオス』は回顧録にそのありようを書き残した。
『アナゼイオス回顧録』、曰く──
「その姿はトロールほど巨大で、表皮はワイバーンの鱗のように固くざらついていた。
頭にはねじくれた角が天を裂かんとばかりに伸び、目はギーザの火口を覗き込んだかのように憎悪の炎で燃えていた。
長大な尾は無数の刺を有し、歩くたびに地面を深くえぐりとった。
歪んだ口腔には鋸歯状の牙がならび、息を吐けば悍ましい腐敗臭を漂わせる。
それはまさに、不動の騎士すら脅かす悪夢の体現であり、破滅そのものの姿だった」と。
目の前にいるそれは、回顧録に書かれた「魔人」と違わぬ姿だった。
たった今、人間の皮を破り捨てたそれは、赤黒く光る血で全身を染めており、ことさら恐怖心を駆り立てる。
そのこびりついた血すら、見る間に乾いては剥がれ落ち、煤となって燃え尽きる。
『あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!! 礼儀知らずの観客にはお仕置きが必要ですねぇ!!!!』
その口から漏れる笑い声は、もはや人の声ではなかった。
甲高く、金属を擦り合わせたような音に変わり、耳の奥をつんざいた。
ズシンっと足音を響かせて、魔人が騎士団と向かい合う。
牢の中の少女たちが悲鳴をあげ、騎士団も数人は魔人に気おされて後ずさる。
騎士の祖と言われたアナゼイオスは人にして唯一魔人を退けた。
だが、アナゼイオスはその戦いで片腕と愛馬を失った。
死の直前に至っても、魔人との戦いで負った傷は、アナゼイオスを蝕み続けたと言われている。
魔人が、吠える。
『絶対神ゾデルフィアの名において──、受けよ! ひれ伏せ! 歓喜せよ!
ここの幕開けるは苦痛と絶望の喜悲劇!!!! さぁ、血反吐を吐いて踊るがいい!』
絶望的な戦いの火蓋が、たった今切って落とされた。