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ミディアとリリアナが最初に向かったのは、城下町の外れにある古びた教会だった。
以前にあった毒入り焼き菓子の事件の舞台となった孤児院に併設されている。
ラシャド王国内にも教会は10ほどあり、それぞれ規模も異なっている。
王宮に近い教会は、その権威を知らしめるためにかなり荘厳に作られているが、城下町でも外れにある教会はあちこちに修復が必要な場所もある。
また、目的も異なっており、王宮近くの教会は癒しや浄化の依頼、祭事などを取り仕切っているが、外れの教会は貧民街への焚き出しや孤児の世話などを主としている。
外れの教会に入った途端、ひんやりとした空気と、ほんのり湿った古木の匂いが鼻をついた。
高い天井には黒ずんだ梁が走り、日中でも陽の光は差し込まず、窓辺にあるエダンの像も陰鬱な影を落としている。
「リリアナ様~~~!」
だが、そんなよどんだ空気を吹き飛ばすように、すぐに孤児たちが大声をあげながら走ってきた。
リリアナはにこにこと笑いながら、孤児たちに目線をあわせるように腰を下ろし、一人一人に挨拶を返す。
なんだか、ちょっと意外なほどに慕われていた。
リリアナが外れの教会と懇意にしており、焚き出しなどにも参加しているという話は知っていた。
漏れ聞こえてくる噂では、リリアナの慈善活動は“表向き”にすぎず、普段の黒い稼業の隠れ蓑だと揶揄されていた。
しかし、実際に見てみれば、リリアナの行動はただの偽善には見えなかった。
いや、もしそれが偽善であっても、その僅かな善性に救われるものがいるならば、褒めたたえられるべきことだろう。
「うわ! まじゅつしだ!」
「まじゅつしがいるぞ!」
「逃げろ、逃げろ、カエルにされちまうぞ!」
一方、だぼだぼのローブ姿のミディアは孤児たちから遠巻きにされていた。
教会には、魔術師が訪れることはほとんどない。
ミディア自身は謝霊祭の時に一度訪れたことはあるのだが、あの時はドレス姿であったため魔術師だと思われなかったのだろう。
別に教会と魔塔が犬猿の仲であったりする訳ではないのだが、なんとなくお互いを避けている。
教会ではなかなか見かけない魔術師に、子供たちは興味津々だ。
だがミディアは子供たちを相手にしたことなどほとんどない。どうしていいか分からなかった。
「た、たしかに、その、カエルにする魔法は使えるけど、わ、私は魔法の発動が遅いので、5日後くらいにカエルになります」
「え!」
子供たちが固まった。
まさか冗談のつもりで言っていたのだろうか。
「だだだ、大丈夫! カエルになっても、1時間くらいすれば戻るから! でもその間に猫とかに食べられないように注意しないと!」
「ね、猫に……!」
「あ、あと、カエルの串焼きが好きな人もいるから──」
「く、串焼き!」
子供たちが衝撃の表情で後ずさる。
どうしよう。完全に怯えられている。
戸惑っているとリリアナが笑いながらやってきた。
「ほらほらみんな。悪い子にしてるとカエルにされちゃいますよ? でもいいこにしてれば大丈夫」
リリアナの言葉に、子供たちは「ぼく、いいこです!」「今日は雑巾がけしました!」と次々に手をあげて報告する。
リリアナは一人一人の報告を聞くと「いいこね」「えらいわ」「恰好良かったわね」と褒めていく。
なるほど。子供はこうやってあやすのか。
よーし、っと腕まくりしたミディアは悪い魔女の顔になって杖をかまえる。
「悪い子はいねぇええかぁああああ!!!!! カエルにして食っちまうぞぉおおおおおお!!!!!!」
「「「ひぎゃあああああああああ」」」
駄目だった。一目散に逃げられた。
せっかくコツをつかんだと思ったのに、どうやら何か違うらしい。
諦めて大人しくしているち、ふと一人だけ離れた場所にいる少女に気が付いた。
浮かない顔で、柱の影に座っている。
ミディアも、もっと小さかった頃のお茶会では毎回そんなふうだった。
他の令嬢たちと話が噛み合わず、一人だけ離れた場所に座っていた。
そのときも地面に魔法陣を書いていて、「近づくと呪われるぞ」とヒソヒソ囁かれたものだった。
実際、ミディアを揶揄ってやろうと近づいてきたご令嬢の一人が、数日たってから鼻が豚になってしまったこともあるので、あながち嘘という訳でもなかったのだ。ただ、ミディアは故意に魔法をかけた訳ではなく、ご令嬢が魔法の途中で乗り込んできたからだったのだが。
まぁ構いやしなかった。
ミディアにとってはその方が気楽であったからだ。
でもあの子は。
柱のかげにいる子供はミディアとは少し違うだろう。
だってその子はとても寂しそうな顔をしている。
ミディアは子供たちの輪から離れると、そっとその子に近づいていった。
「こ、こ、こ、こんにち、は」
にっこり笑って愛想よく挨拶しようと思ったが、子供相手でも駄目だった。
引き攣った笑顔で突然現れた魔術師に、子供は警戒心マックスの顔になる。
「ま、まじゅつしッ!!!! や、こないでッ! 連れていかないで!」
そしていきなりの半泣きだ。
「え、え、連れてかない! 連れていかないよ! だいじょうぶ、悪い魔術師じゃないよ!」
「うそだ! 魔術師わるい人だもん! ミアのこともシーヤのことも連れていったもん!」
「だ、大丈夫! 私はへっぽこだから! 転移魔法とかは、できないこともないけど、めっちゃ時間かかるし!」
「うわ~ん、時間かければ誘拐できるって言ってる~~~!」
ミディアは顔を青くしながらも、ひとまず手を叩いて返した。
「すごいね! 子供なのにすごく賢い!」
……なにかが違う気もしたが、反応が止まっただけでも一歩前進だ。
あからさまな警戒心というよりは、何だか珍妙なものを見るような顔つきになってきた。
よし、それだ。それでいい。そういう顔には慣れている。
「ええと、私はミディアって言うの。その、ミアっていう子とシーヤっていう子の話、教えてくれる?」
「ミアはわたしの友達。シーヤは教会の人──ううん、見習いの聖女さまだよ」
「2人ともいなくなっちゃったの?」
問いかけると、少女は悲しそうに頷いた。きっと仲が良かったのだろう。
「その2人って、とっても綺麗だった?」
「うん。ミアは引き取りたいって人が沢山いたけど、もう少し大きくなってからって言われてた。シーヤもすごく綺麗でお嫁さんに欲しいってしょっちゅう言われてた」
「どんな風にいなくなっちゃったの?」
「……分からない。ほんとうに一瞬だった。ミアとは、一緒に洗濯物を運んでて、廊下を歩いてたの。ふとふり返ったらミアがいなくて。探し回ったけど見つからなかった。
シーヤも、朝のお祈りをしてから厨房に向かう間にいなくなっちゃったの」
それは確かに一瞬だ。
孤児院の子供たちは警戒心が強い。
もともと路上で暮らしていた子供も多いから、周囲の音や気配にも敏感だ。
となれば、本当に煙のように──いえ、魔法でもなければ不可能なほどに、静かに消えてしまったのだろう。
「ミアちゃんって子と一緒に歩いてた廊下を見せて欲しいんだけど、連れていってくれる?」
尋ねるとあからさまに不信感たっぷりの顔をされた。
うん、まぁそうだよね。魔術師だし知らない人だもんね。
「ええと、その、……私は誘拐事件を調べに来てて、その、魔術師はね、魔法を使った痕跡みたいのをね、見つけることが出来るの。だから現場に行けばね、何か分かるかもしれないから」
ちゃんと説明すると、少女は「分かった」と頷いた。
立ち上がって歩き出す後ろについていく。
外れの教会はやはり王宮近くの大聖堂とは比べものにならないほど老朽化していた。
外壁には風雨で剥げた漆喰がまだら模様に浮き、石の隙間には細い雑草が顔を出している。
ステンドグラスもところどころにヒビが入り、陽の光はにじんで、教会内の空気にほこりっぽい色を落としていた。
天井の梁には補修のための簡素な木板が打ちつけられ、ところどころに雨漏りの痕跡がある。
絨毯は擦り切れ、蝋燭台の真鍮は黒ずみ、祈りの椅子の中には片脚がぐらつくものも混じっていた。
貴族からの寄付金は、日々の焚き出しや孤児たちの食費をまかなうのがやっとで、建物の修繕にまでは手が回らないのだろう。
教会本部も、この地に多くを期待してはいないのかもしれない。
だが、この古びた礼拝堂にも、人の祈りは確かに息づいていた。
祭壇には手折られた花がつつましげに供えられている。
壁に掲げられた木彫りのエダンの像は、よく見れば誰かが毎日布で磨いているのか、ひときわ丁寧に手入れされている。
華やかさも、誇らしさもない。ただ、ささやかに、まっすぐに祈るための場所。
だからこそ、この教会の朽ちた天井も、欠けた柱も、どこかしら温かく見えるのだった。
「この廊下。あっちから入って、向こうの部屋に向かって歩いてたの」
案内して貰った廊下は薄暗かった。
屋外に続くドアから、一番奥の部屋までは他にもいくつかのドアがある。一つ開けてみるとどうやら物置部屋のようだった。
とはいえ備蓄品はほとんどないようで、そこに押し込まれているのは壊れた椅子や破けたカーテンなど修理して再利用するための一時的な保管場所といった具合だ。
物置部屋の隅には、使い古された木の聖印や、破れかけた祈祷書の束が積まれていた。
棚にはかつて信徒に配られたらしい古いパン籠や施し袋が並んでいるが、今は埃を被って沈黙している。
「どのあたりでいなくなったか覚えてる?」
「ええと、確か、この辺で音がしたの。ばさって、洗濯物が落ちる音。それでふり返ったら……」
「いなかった、のか」
いなくなったという場所にも物置部屋へのドアがあった。
開けてみれば小さな部屋で、例え誰かが隠れていたとしても、そこから逃げ出す術がない。
──だが微かに、魔力の残滓を感じられる。
目を細め、じっと集中して見つめれば、陽炎のようにゆらゆらと浮き上がって見れるのだ。
ミディアは床にしゃがみこむと、陽炎に手をかざしてみる。
「……これは、門の精霊の魔法陣……」
──門の精霊ネフェリリ。
魔塔の中でももっとも難解とされる精霊だ。
その最たる所以は魔術師と占星術師との間で理解に差異があるという部分だろうか。
数学者としても名を馳せたテオペロイ曰く、門において、空間も時間も、時空として等しく同じ線上に並ぶという。
この理論は、空間転移において、開始点と到着点に時間の差異が生じないことにより証明され、魔塔内でも広く支持されている。
一方、高名な占星術師であるシャラオーネはネフェリリをトランジットを告げるもの、──つまり星天の交差を伝える存在だと定めている。
これも突き詰めれば未来視に近い術式であり、星鎖鏡と呼ばれる特定の場所を投影する術も空間転移の類型だろう。
だがその術式は魔術師のものと大きく異なり、そのことがよりネフェリリを複雑な存在に変えている。
「何か分かったかしら?」
声がして顔をあげると、いつの間にかリリアナが立っていた。
「ここで門の精霊魔法が使われたみたいです」
「流石だわ、ミディア嬢。さっそく真相に近づいてしまうなんて」
「ううんと、でも残っているのは、魔力の残滓なので、……」
唸りながら指先に少しずつ魔力を籠めていく。
そこにあるのは、壁にかかれた消えかけの落書きのようなものだ。
それだけではほとんど何も分からない。
ミディアの指先に魔力が集まると、床の空気が一瞬ざらりと揺れた。
見えない墨で描かれたような痕跡が、淡い光となって浮かび上がってくる。
「転移魔法に間違いないですね。門の魔法陣に、……強化、安定、……それに、ええと、これは──座標設定?」
ミディアはそれを見て記憶をたどるように呟く。
「座標? つまり行き先が分かるの?」
「はい、でもこれは……大まかな位置を指定して、その近辺の魔石を探っているみたいです」
「ごめんなさい、もう少し詳しく教えてくださるかしら」
「あ、はい。ええとですね──」
ミディアはぴんと人差し指を立てる。
「転移魔法って大きく分けて二種類あるんです。
一つは、場所を細かく指定してその座標に直接転移するタイプ。
もう一つは、あらかじめ“門”を作っておいて、その門を通って転移するタイプです」
「ふむふむ」
「前者の利点は、事前準備なしでも使えること。でも……リスクがものすごく高いです。
うっかり転移先に何かあったら、──もう、ほぼ確実に死にます」
「確実に……?」
「はい。たまに壁の中から、魔術師の……遺体が発見されるんですよ」
「……遺体?」
「正確には“肉塊”ですね。
例えば──空き部屋だと思って転移先に設定したのに、直前になってベッドが運び込まれた。で、膝から下がベッドと衝突して、……もげる。
もげる、というか、ベッドに融合するというか、……まぁ、そんな感じになります。
それが全身だった場合は、もう想像通りです。壁の中からじわじわと染みが浮いてくるなんてことも……」
「つい最近もゼクーラ子爵家の地下室の壁から肉塊が見つかって大騒ぎになったのは」
「それです! まず魔術師のやらかしと見て間違いないです。
ただまぁ、個人を特定できるようなものが残されていない事が多いので、おそらく魔術師なんじゃないかな? という推測にはなるんですが。
なんにせよこの術は“最後の手段”なんです。あともう一つ問題があって──」
ミディアは語調を改める。
「転移座標って、絶対的なものじゃないんです。
魔法をかけた“位置”を中心点にして座標を計算するので、場所が少しズレるだけで、結果もズレます。
だから安全に使うには、事前に位置を固定して、そこからどの方向にどれだけ転移するか計算しなきゃいけない」
ちなみに、魔術師は己を起点として座標を定めるが、占星術師は星を基準とするため、遥かに精密で安定した空間座標が得ることが出来るという。
ただこの術式は複雑を極め、一介の魔術師ではとうてい扱えるものではない。
「なるほど、正確性が命なのね」
「そうです。だからこそ、出口になる“門”をあらかじめ作っておくタイプの方が断然安全なんです」
「でも、門を先に作るってことは……」
「そう、先に場所がバレるリスクがあるってことです」
ミディアは小さく息を吐いた。
「貴族の屋敷なんかでは、いざという時に逃げる用の転送門を用意することもあるんですけど、
逃げた先に敵がいた──なんて話も珍しくないです。
そもそも屋敷が落ちるような状況だと、内通者が出てる可能性も高いですし……」
「つまり、安全だけど、見つかれば逆に危ないってことね」
「まさに。だからどっちを選ぶにしてもリスクはあるんです」
リリアナは頷きながら、改めて魔法陣に視線を落とす。
「この魔法陣は魔石を探っている、という事は出口となる”門”が作られているということね」
「その通りです」
「……なら、どこに転送されたか分かるということで良くって?」
「だいたいの場所は分かります。なので、もう一度、この門を開いてそこに向かうのが一番確実ではあります。ただ、そのための魔法を使うとなると、……私がやると3日くらいかかっちゃうんじゃないかと」
「それなら、大まかなその座標を頼りに直接探しに行ったほうが早いかしら?」
「は、い、そうですね。恐らく場所は、……王国内の北西、マーケットのある通りからカイベルト新門にかけてのどこかじゃないかと……」
「だったら、思い当たる場所があるわ。……レコノミカン納骨堂よ」
「ああ、……なるほど、ぴったりですね」
──レコノミカン納骨堂。
それは王都の地下に広がる巨大な墓地だ。
王国のまさに真下に存在しながらも、未だその全容が解明されていないほど、広大な迷宮が続いている。
そこを転送先に設定したならば。
犯人の特定は難しく、万が一、攫った少女が逃げ出したとして、……地上まで生きて帰ることは難しい。
「今までも人身売買の取引所として利用された事があったから見張らせてはいたの。でも内部に転移しているのであれば、外を見張っていても無意味だわね」
「そうですね。あそこは貴族の裏取引によく使われると聞いたことがあります」
「ええ。地下室を掘り進めて、納骨堂とつなげて利用しているという貴族や犯罪組織が存在するとも聞いているわ。
納骨堂に転送して、そこから地下室へと連れ去っているならば、ほとんど痕跡が残らないのもうなずける」
「──確定、ですかね」
差し当たっての問題は、これからその納骨堂に乗り込むことになるだろうという事だ。
それは大変に問題だった。
だってミディアは、怖いものがとっても苦手なのである。
※門の精霊の役割についてご質問をいただいたので、本文中に補足を加えました。
空間と時間は本来、時空という一体の構造であり、転移と未来視の両立は設定上も整合する内容となっています。
ご質問、誠にありがとうございました。