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ロストバラン家の娘として実力を示す。
――それはつまり、魔術師としての“格”を上げよ、ということだ。
魔術師とひとくちに言っても、実戦を得意とする者もいれば、研究に没頭する者もいる。
ミディアが目指すのは、後者の道だった。
魔術師の格は《紋点き(もんつき)》という制度で示される。
一定の功績を積むと、魔塔の評議会によって審査が行われ、認定された者には紋章(紋)が授けられる。
最高位である“五ツ紋”の魔術師は、大魔術師と称される。
いわば、それは魔術師の社会的階級証明書でもあった。
ミディアの婚約者候補として挙がったジュードは、三ツ紋の魔術師だ。
三ツ紋自体は決して珍しくはないが、ジュードはまだ十四歳。
その年齢にして三ツ紋――これは異例の昇進スピードである。
ミディアが『未来視』で見た“大魔術師”も、年齢と実績から見て、おそらく彼であろうと推測される。
つまりジュードは、このまま順調にいけば、数年のうちに五ツ紋へと到達する可能性が高い。
ロストバラン家にとって、そんな相手との縁組以上に、ミディアの存在価値を証明するには――
少なくとも、四ツ紋まで昇る必要があるだろう。
「……無理じゃない?」
ぽつりと、ミディアは呟いた。
無理だ。どう考えても間に合わない。いや、時間の問題ではない。
――そもそも、届かない。
ミディアは、まだ一ツ紋すら持っていない。
そこから三年で四ツ紋まで駆け上がれというのだ。
現実的とは、とても思えなかった。
それでも、やってみるしかない。
今のミディアに出来ることといえば、新しいスペルの解明。
あるいは、より効率的な魔法陣の設計と研究だ。
「ううう……だめ、だめだ、考えるな。集中……集中、……っ」
やる前から“無理”と決めつけたら、その時点で成功の可能性はゼロになる。
足掻くことの意味を、アレクシアとの遠征で学んだのだ。
ミディアは魔塔の一角、──研究棟の一室に入りびたっていた。
魔塔の中は、いつだって静かでざわめいている、そんな妙な空間だった。
階段を上るたびに空気が変わる。地下からは、鉄を引きずるような音と獣の唸り声がかすかに響いてきた。
おそらく、モンスターの研究をしている誰かが、新しい標本でも持ち込んだのだろう。
一方で、塔の最上層に目を向ければ、空へ向かって伸びる細い尖塔が見える。
天井の開閉機構と巨大な望遠鏡を備えた占星術師たちの聖域――そこでは、昼夜問わず星の運行が記録されているという。
ミディアがいるのは、魔塔の中層に位置する研究室だ。
戦闘でも観測でもない、ただ“構築”のための場所。
石造りの廊下の先にある、重たく軋む扉の先……
研究室の中には、魔導書が無造作に積み上げられている。
壁一面、のみならず床一面にまで所せましと描かれた魔法陣。
本来、こうした実験室は三ツ紋以上の魔術師にしか貸与されない。
ミディアはまだ紋すら持っていないが……ロストバラン家の娘という“肩書”が、この部屋を借りる理由になっている。
あるいは、彼女の実験に巻き込まれるのを、皆が恐れて避けているだけかもしれない。
「拡張、強化、安定化、複製……きょう、ぁ、駄目だ。ええと……強化を取り消して……ううん、ここでもう一回安定化するのは……」
ミディアは床に膝をつき、杖の先で魔法陣の線を引き直しながら、ぶつぶつと式の構成を組み立てていた。
簡単な式ならば既に誰かが使っている。複雑にすれば消費魔力が跳ね上がり、使い勝手が悪くなる。
ミディアは魔力変換効率が極端に悪いが、その分、魔力量は多い。
だからこそ、自分に使える魔法が、他人にとっても有用とは限らない――
「ここで強化をかけると、魔力消費量が多くなりすぎるから……」
「いっそ、多人数方式に切り替えたらどうだ?」
「ああ、なるほど。それならこっち側に魔力注入用の魔法陣を、って、……」
魔法陣を書き足したところで、ミディアは自分以外の声が聞こえたことに気が付いた。
慌てて振り返ると研究室の入口に一人の青年が立っている。濃紺の髪に切れ長の瞳。どことなく影がある美少年だ。
「どどどどどど、どちら、さま、でしょしょしょ、しょう、か?」
「……知らないのか?」
青年は少しばかり意外そうな顔をした。
「そ、その、あの、初対面だと、おおおおおお、思うの、です、が?」
「君の婚約者候補として話が持ち上がったけれど、ロストバラン家側の意向によって保留にされてる宙ぶらりん男のジュードだ」
「んみゅあああああああああ!????」
思わず飛びのいて奇声をあげる。
これが、あの、噂の天才魔術師のジュード。そういえば、見目も麗しいと噂になっていた。実力に加えてこの美貌。知らないことを驚かれるのも不思議ではない。
「あああう、あう、あえ、ええっと、その、あの、わわわわたしの、我儘で、なにか、こうご迷惑を、おかけした、なら」
「迷惑はかかってない。まだ身内のみしか知らない話だ」
「そそそそ、それは、よかった、です」
「というか、君の意向だったのか?」
「え、っと、あの、その」
「てっきりロストバラン家の当主様のお眼鏡に叶わなかったのかと思ったけど、まさか君に振られたんだとはね」
ぎゃーっと悲鳴をあげたくなる。
だって目の前の青年には見れば見るほどに、見覚えが滲みだしてくる。
間違いない。『未来視』で見たミディアの大魔術師はこの男だ。
なんとなくそうかなとは思っていたが、目の前で見て確信する。
「すすすす、すいま、せん。わ、わたし、みたいな、へっぽこが。でも、あの、その決してジュード殿に対して思うところがあるとか、そういうことではなくてですね」
「まぁ、そうだろうな。俺のこと知らなかったみたいだし」
「いやいやいや! お、お名前とか! あと、その、なんかええと、噂はなんか色々聞いたことがありますよ! アレクシス様が光の御子ならば、ジュード殿は宵闇の御子。海より深い色を宿した髪に明けの明星のごとく輝く瞳。そのお声はセイレーンすらたぶらかすほどに美声だと!」
「全部初耳だよ、ありがとう。俺ってそんな風に言われてたのか」
「なんかファンクラブなるものがあるとかお聞きしました! すごい!」
「ああ、うん」
いくら持ち上げても何故か浮かない顔のジュードに、ミディアはどうしていいか分からない。
「あ、あの、本当に、その、ジュード殿に、思うところがあるとかじゃなく、むしろその、私がジュード殿に相応しくないと言いますか。ロストバラン家の名前がなくともジュード殿はご活躍なさると思いますし、……」
「できれば、君自身の理由が知りたいんだけど」
問われてミディアは縮こまる。
魔術研究の道を突き詰めたいという言葉に嘘はない。だが婚約者を作りたくない一番の理由は絶望の未来に抗うためだ。とはいえ、未来視の話など出来ようもない。
「分かった。いいよ。君に嫌われてるって訳ではなさそうだ」
「き、嫌ってとかは、な、ないです、その、初対面なので、よく、存じ上げて、いないですが、その、多分、はい」
「やたらと素直なんだな。まぁでも良かったよ。君のゴブリン退治の報告書を見た。凄く感心したよ。だから、婚約の話を聞いた時に君と話す機会が出来ると思って楽しみにしてたんだ」
「え? お、おかしい、噂と違う……! 天才ジュード殿は、見目こそ麗しいけど、口を開けばポイズンドラゴン、人嫌いの冷血漢で、実力不足の相手には目もあわせないって……!」
「ちょっと、全部口に出てる。聞こえてる。ってか俺の噂って何かと酷くないか?」
「ぴぎゃぁあああ、しまったぁああああ! だいたいお一人様だからいつもの癖で独り言がそのまんま飛び出してたぁ!!」
焦るミディアに、ジュードは頭を抑えて大きくため息を吐き出した。
「大体、君は実力不足なんかじゃないだろ。ゴブリン退治の魔法陣は見事だった。正直、あれだけの魔法陣は俺だって書けるかどうか分からないし、発動するにも恐らくは魔力が不足する」
「え、ま、マジですか? で、でも、その、私、まだ一ツ紋も持ってない魔術師ですよ?」
「嘘だろ!?」
今度はジュードが驚く番だった。
「なんで、そんな。報告書にあった魔法陣は完璧だった。あの魔法陣だけでも紋を貰えたって不思議じゃない」
「ええと、その、だ、大前提として、一つ紋の資格を得るための試験がありまして。そ、その実技で、ずっと、落ち続けておりまして、……」
「実技?」
「はい、あの、ファイアアローと、アイスランスを的に当てるというもの、なんですけれども、な、何度チャレンジしても、時間切れだと言われておりまして、はい」
ミディアにとって、目下一番の問題はそれだった。紋をとるための大前提の実技テストに落ちてしまう。
「でででで、でも、その、一応、救済措置はありまして、魔法式のレポートを10本提出すれば紋が一つとれるという規定が……」
「待て、それはおかしいだろう。君は魔法が使えない訳じゃない。時間がかかるだけだろう?」
「は、はい、でもその、ファイアアローだけで、30分以上かかるので、試験官が、その、出来ないのに時間を、引き延ばしているだけ、だと」
「実技試験に制限時間はない筈だ。それにレポート10本は本来であれば一ツ紋以降の課題だろう。そうなれば、君は二ツ紋にあがるために、通常の研究者が10本のレポートで良いところ20本書く必要が出て来てしまう」
「そ、そのとおり、です」
「……抗議する」
ジュードの声には、静かな怒気が滲んでいた。
「一人の魔術師として、それに父上にも相談しエゼルリード家としても試験に関して抗議する」
「ええええええ?!????」
「魔法の発動が遅いからと言って君の才能を認めないのは、探求を主とする魔塔としてあるまじき怠慢だ。先ほども言ったが、君のゴブリン退治の魔法式だけでも紋一つの価値がある。それが分からないなど愚かしいにもほどがある」
「え、えっと、でも、その、あの魔法式は実戦魔術師の方でも時間がかかる上に、ほとんどの方が魔力量不足で発動できないため、実戦的ではないという評価で……」
「君には出来るだろう」
「そ、そう、ですが……」
「例え時間がかかろうとも、砦一つを無力化することが出来る魔法陣とそれを使う魔術師がいる。そのことが戦術的にどれほど有用か分からないというならば、そいつの頭は藁でもつまっているんだろうさ」
あ、やっぱこの人、毒舌だ。
噂は本当のようだった。
「そ、その、ありがとう、ございます?」
「なぜ疑問形なんだ」
ジュードは呆れた顔だったが、怒りは収まったようだった。
「とにかく、君の評価に関しては再検討するように意見する。それと実技試験の制限時間に関しては正式に抗議する」
「は、はい」
「だから、……」
そこでジュードは一度言葉をきると途端に言い難そうな顔になる。
「今後もたまにここに顔を出していいだろうか。君の魔法陣には興味がある。ああ、……安心してくれ。魔法式を盗もうだなんて下衆な考えは持っていない」
「わ、かり、ました。ど、どうぞ、その、はい」
ミディアが頷くと、ジュードは安心した顔になる。
そうして「それじゃあ、今日のところは失礼する」と言葉を残すと、魔導士のローブを翻し、颯爽と部屋から出ていった。
取り残されたミディアはしばし首を傾げていたが、やがて気持ちが落ち着けば再び魔法陣へ向き直った。