Ⅱ-5 現実からの逃避
自分の価値がはっきりと言える人って、
どのくらいいるんだろう?
自分じゃなきゃだめで、
変わりは誰にもできないことなんて、
本当にあるのかな?
この世界での三度目の目覚めは、一番穏やかなものだった。
一度目はありえない状況に悲鳴を上げ、
二度目は暗闇に恐慌を覚えた。
そして今は四度目だ。
永遠とも感じたときだったが、実際は一日にも満たない時間。
先ほどよりは少しましといえる揺れに、馬車の入り口を覆う幌の隙間からは、優しい光が差し込んでいる。
《あのまま、眠ってしまったのかな・・・》
差し込む光は明るく、空気も澄んでいる。
一見して昨日と同じ馬車の中のようだった。
先ほどと違うのは他に誰もいないことと、身体が毛布のようなもので包まれていたこと。
少なくとも、ここではおびえずに眠ることができる。
それが、ありがたかった。
昨夜は一度眼を覚まし、ラウールという青年からこの世界についての話を聞いた。
ここはディガという山中だということ。
ラウールたちの国はここからまだ一日半ほどかかるところにあるカナディオン王国で、ガドーシャ連邦という国と戦時中だったこと。
今回は、戦闘後に、負傷した仲間を国に連れ帰って行っていることなど。
ひとつひとつを根気良く教えてくれた。
随分時間がたっったころ、ラウールから何度目かのため息。
こちらを見て、相槌は打つが、理解していないことがわかったのだろう。
結局途中で説明は終わり、後は身体が落ち着いてからと席を立った。
正直、認めたとたんに痛み出した左肩や指先、首筋の切り傷、精神的なものからくる疲労もあり、途中で話が終わっったことは助かった。
でもそれだけじゃない。
理解できるはずもないし、分かりたくもなかった。
説明が重ねられるたびに、ここが自分のいた世界ではないことが突きつけられ、
自分の足元が崩れるような感覚に襲われる。
戦場では気づけなかったこと。
明らかに日本人とは異なる風貌。
見たことのない服装に,日本では観光地でしか見ない馬車や馬という交通手段。
実はこれは夢で、あと少ししたらいつものように、出勤前の目覚ましアラームがなるんじゃないか。
そうだ、仕事は?
今日は休みだった。
じゃあ明日は?
・・・・・確実に欠勤だ。
誰か連絡してくれるだろうか・・・・欠勤の言い訳はどうしよう・・。
この現実から逃れるように取り留めのない考えばかり。
たくさんたくさん、浮かんでは消え、その度に逃れた現実へと戻る。
そして、想いが家族のことに及んだころ
頬が熱くなり、目の前のものがぼやけた。
眠る前に考えていたことが思い出され、嗚咽が漏れた。
昨日のことなのに、もう遠い昔のようで。
昨日までの自分とあまりに違いすぎて。
ひたすら‘どうして!?”叫び続けた。
‘戻りたい”と懇願し続けた。
絶望と、生きている安堵にこころはぐちゃぐちゃで、
ただ、泣くことしかできなかった。
そして、冒頭に戻る・・・・・・。
泣きつかれ、そのまま眠ったからか、瞼がはれぼったい。
泣き叫んだせいで、のどは違和感があるし、頭も重い。
けれど、泣くだけ泣いたら、こころは少しすっきりしていた。
『どうしようもないことを考え続けるより、
どうしたら良いかを考えよう』
社会人になって学んだこと。
先輩から言われ、後輩にも言った。
泣いたら誰かが助けてくれると思えるほど、自分に自信はないし、そんな歳でもない。
社会人7年目。26歳がけっぷち。
入ってくる光にようやく眼を向けることができた。
ようやく、生きていることの、五体満足であることの奇跡を思い出せた。
今日こそ、ちゃんと話を聞こう。
状況を把握して、自分のいる場所を確かめたい。
ここが本当に異なる世界なのか。
まだ、完全に希望が断たれたわけじゃないはずだ。
・・・・・・そう思いたかった。