Ⅱ-4 紙一重の恐慌
小さなころ、父さんの背中で揺られるのが大好きだった。
広い背中に全身をゆだね、
全身で愛情を感じていた。
不安なんて、
少しもなかった。
身体が揺れる・・・・。
がたがたと、まるで舗装のないでこぼこ道を通ったように・・・。
《車に乗ってる・・・?いつの間に寝ちゃったのかな。運転してるのは誰?母さん?父さん?
注意しなきゃ。この道ひどいよって。寝たのは悪いけど、ありえないよって・・・。》
父は昔から、山道の好きなひとだった。
乗り物酔いする娘がいるのに、好んでカーブの多い山道を選んでいた。
幼い私には迷惑以外の何ものでもなく、毎回のように吐いてぐったりしたのを覚えている。
母も、姉も注意してくれたけれど、『ごめん、ごめん』なんて謝るけど、やっぱり山道を走っていた。『途中でみる景色と、新鮮な空気が良いだろう?』と車を停めて、笑っていた。
大人になり、最近は車酔いも治まったけれど・・・・・
それにしても、揺れる。
がたがた揺れる。身体が痛いほどに。
そう、まるで硬い板の上で横たわっているかのように・・・・・
・・・?
おかしなことに気づく。
硬い板の上の感触?・・・・・ありえない。この自動車販売競争の著しい現代で、そんなわけあるはずもない。‘車にソファーの快適さを”なんて宣伝があるくらいだ。トラックの荷台以外でそんなことがあるはずもないのだ。
ひとつを疑問に思うと、この状況のすべてが疑わしく感じる。
ありえない揺れ。
ありえない感触。
そもそも、ドライブになんか出かけた覚えがない。
眠る前は何をしていただろう・・・
このごろの仕事の疲れを押し、待ちわびた新刊を読んで・・・
!!
・・・・・・・・そうだ
この状況よりもよほどありえない場所で目覚め、彼の元に向かっていた。
急く感情に突き動かされるように走り、彼の姿を認めたところで、肩に衝撃を感じて・・・
そこから記憶がない。
眠りの世界を振り切るように目を開け、起き上がる。
真っ暗な場所。
足元のわずかな隙間から揺れる光がみえ、ここがどうやら馬車の中だと気づく。揺れているからには移動中なのだろう。
《あれからどうなったの?彼は!?》
あの時、彼は満身創痍だった。
命に別状はなさそうだと思ったけれど、所詮医者ではない自分の見立てに自信はもてない。
目立つ樹の下に寝かされ、意識もなく、もしあのときの物音が敵だったとしたら・・・
無事で済むはずもない。
左肩に触れ、何か布のようなもので固定されていることを確かめる。
手も足も動く。縛られてはいない。
状況を確かめたくて、光のほうへ行こうとした。
「動くな」
「っ!」
暗闇からいきなり現れた声。
「もう一度言う。動くな。動けば命の保障はない」
低く、感情の色が見えない声に、身体が静止する。
脅しではないことを証明するように、青光りする刃物がのど元に突きつけられた。
世界でも有数の平和な国日本で育ち、今まで命の危機に面したことはない。もちろん刃物を突きつけられるような状況に身置いたことなど、あるはずもなかった。
歯の根が震える。
少しでも動けば、血が流れるだろう。
戦場で凍ったと思った涙がにじむ。
男はこちらが抵抗の意思がないのを確認すると、壁を数度叩き、外へ向かって合図をおくった。
徐々に暗闇に慣れてきた眼に、ここに男と自分以外の存在がないことがわかる。
これからどうなるのだろう。拷問か、陵辱か、それともやっぱり殺されるのか。
どれをとっても最悪な結末。
どうしてこんなことになったのか。
背後の男は動かない。
命の危機に晒され、こころが恐慌に飲み込まれようとしていた。
《逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ!殺される!!死にたくない!!》
「!!」
どこにそんな力があったのか、
男の腕を振り切り、光へ向かう。
肩も、首も痛みなど感じなかった。
ただ、そうしなければという一心に突き動かされ、
入り口に手をかけた。
「!おっと。・・・・お嬢さん何処へ行くのかな?」
銀髪の優男。
やっと出られると思って乗り出した身体を捕らえられる。
絶望ににじんだ涙がこぼれた。
「離してっ!離せぇっ!!」
暴れてもびくともしない。
「待って、待って。何もしない。大丈夫だよ!!
セディオンから聞いた!敵じゃない!僕は君を診たいだけだ!」
「敵じゃない・・・・?」
恐怖につつまれていた心にそれだけが届く。
「そうだよ。僕らは敵じゃない。わかるね?
僕は医者だ。君は怪我をしてる。それを診せて欲しいだけなんだ」
優しい声と繰り返す言葉。
「セディオン?・・・・だれ?」
「君が介抱した男だよ。僕らの仲間なんだ。
ひどい怪我だったけど、意識はある。君が助けてくれたんだね。」
気になっていたことだった。
この何もわからない世界で、心の支えだったものだ。
「彼は無事・・・?」
問いに目の前の男が微笑む。
「そうだよ。ありがとう。」
力が抜けた。張り詰めていた心が緩み、涙が止まらない。
「僕はラウール。さっきも言ったけれど医者だ。君の傷を診せてくれるね?」
うなづき、身を任せる。この優しそうな人なら大丈夫そうだ。
抱えあげられ、馬車の中に戻る。
「話はすんだか?」
!!
低い声。
忘れていた存在に身がすくむ。先ほどまで突きつけられてい刃が眼に入り、恐怖が戻ってくる。掴んだ腕に力が入り、また恐慌に陥ろうとした時、いち早くラウールがそれに気づいた。
「ディーン・・・・。君なにしたの?まさか、何も説明せずに剣を突きつけたんじゃないだろうね。この子の首の傷・・・、さっきは無かったよね?僕、君にこの子を任すとき言ったよね?セディオンの話を聞くまで、この子には手をだすなって。いくら戦場で怪しい存在だとしても、怪我した女の子だよ・・・?しかも、こちらの早とちりで矢を放った。つまり、被害者だ。大体、言葉が足りないんだよ、見てごらん。こんなに怖がっているじゃないか。ただでさえ図体が大きくて威圧感があるのに・・・。」
畳み掛けるように続く言葉に、さっきまであれほど怖かった存在が小さく見える。
ディーンと呼ばれた青年は何か言いたげにこちらをみた。
「・・・・た。」
「何?聞こえないよ?まさか騎士たる者が、非を認めないなんて無いよねえ・・・?」
良く見れば大きな剣を持つ手が振るえ、耳まで赤くなっている。
「それとも何?君は弱いものを虐げてしか、自分の強さを誇示できないのかい?情けない。さぞかし父上も嘆かれるだろうねぇ。」
・・・・だんだん可哀想になってきた。
よくよく思い返せば、彼・・ディーンは動くなと言っていた。命の保障は無いとか、剣を突きつけたのはやりすぎだと思うが、こちらだって早とちりし、状況を尋ねもしなかった。まあ、それがあってもこの無口そうな彼が納得できるほど説明できたとは思えないが・・・
「すまなかったと言ったんだ!」
真っ赤な顔で声をあげるさまからは、先ほどの威圧感は見る影も無い。
見上げればラウールの眼が笑っていて、ごめんね。許してあげてねなんていってるのが聞こえそうだった。あんなに暗く見えた馬車の中が、明るくみえる。
緩んだ心の糸はこのやり取りに切れ、
意識は再び眠りに飲み込まれていく。
「名前は?」
残るかすかな意識の中、名をたずねられた気がして答える。
「え・・み・・・」
もうまぶたが重くてたまらない。
かすれた声で言った名前は伝わっただろうか。
前の眠りとは違った、安堵につつまれたまま、意識は眠りの中へ旅立っていった。