Ⅱ-19 出立 2
目の前に突きつけられた問いに自分の足場の不安定さを思い知らされる。
最初の日に殿下に氏素性を聞かれてからは他の誰からも聞かれず、誰も何も言わなかった。
押並べて騎士たちは皆優しく、手を差し伸べてくれた。
それをありがたく思いこそすれ、疑問に思うことなど一度も無かった。
今までが不自然なほど恵まれていたのだろう。前に立つ騎士のように考える人のほうが実は多いのかもしれない。
鋭い眼光は変わらずエミを見据えている。
逸らしたら、隙を見せたら捕食されるんじゃないかと思い違うほどに。
────どう言おう。
なんと言い訳すればこの場を逃れられるのか・・・。
にっこり笑って自分の無害さを主張すれば良いのかもしれない。
目の前の男性が言ったように、弱さを曝け出して助けて欲しいといえば。
事実、何のために何故ここに居るのかなんて自分でも知らないのだから。
だけど、弱さを見せたからといって、正直に答えたからといって、目の前の人物は納得してくれるのだろうか。『異なる世界からきました』なんて、頭がおかしいと思われないだろうか。
更に警戒でもされたら眼も当てられない・・・・。
いつもなら天邪鬼と強がりな性格も相まって、大概のことには自分ひとりで対処が出来る自信があった。
はじめての引越し、転職、ストーカーもどきに対する対処、お化け屋敷だって一人で対処ができていたのに・・・・こんな事態になって初めて分かった。
思い知ったというべきか、今までは全部自分の足場がしっかりあったからできたのだと。
引越しも転職もストーカーだって、本当は一人じゃなかった。
言葉だって通じたし、最終的には親や周囲の人に相談することが出来ただろう。
何よりも生まれ育った母国だったのだから・・・。
今は・・・・この何も知らない世界にたった一人。
騎士たちは親切にしてくれるが、何も知らない。
本当のことは何一つ知らない。
お互いに何も知らないのだ。
頭の中はぐるぐると考え事がめぐる。目は逸らさないままに。
周囲が出立の準備に追われている中、目の前の彼の影に隠され、ここでは小柄といえるエミは周囲からちょうど隠れている。
────早く、早く答えなければ。
たいした問いじゃないのかもしれない。
たやすく誤魔化せるのかもしれない。
けれど自分の中に答えがないから、聞かれたこっちこそが聞きたい答えだから、この世界のことを何一つ知らないから、簡単な誤魔化しも、言い訳も浮かんでこない。
荷物をつかんだままの左手は本人の自覚もないままに力が入り、指先は白く冷たくなっていく。
全員から見えないわけではなく、エミがいると知っている騎士もいれば、角度によっては今このときも横目で様子を見ているものもいた。
ならばなぜ声をかけないのか、この緊張した空気を読めないのか?
対峙する緊張で、表面的にはわからなくともエミの頭の中は混乱の最中にあったというのに。
実は、この状況と今までに無い二人の組み合わせを不思議に思う者も、見ていた騎士のなかに何人かはいた。
ただ、相手が相手であったこと、彼女に近づいていた騎士の口元が笑みを浮かべていたことから、世間話でもしているのか?と傍観に徹していただけで。
口は笑っているが目は笑っていないなど、実際に正面に立つ者以外には分からないことではあり、止めないからといって彼らを攻められはしないだろう。
ただ一人を除いて。
「何をしている?もう出立するぞ。持ち場に戻れ、ガウェイン」
視界を覆っていた騎士が横によけたことで、後ろから声をかけた人物が見えた。
知らないうちに呼吸も浅くなっていたのか、目がそらされたことでその場にあった圧迫感がなくなり、目を閉じて深く息を吸い込む。
目の前の相手を改めて認識し、意識を混乱から立ち上げ、足元を見つめなおす必要があった。
────ガウェインっていうのか・・・。注意しておこう。
相手を知っておいて損は無いはず。
危険なものを知らなければ、人は危険に対処はできないのだから。
「殿下~。邪魔しないでくださいよ。せっかく良いところだったのに」
背後を振り返った男の表情は見えないが、先ほどまでの尖った雰囲気は無い。
敬語を使っていはいるが、口調は軽く、到底敬っている様子は無く、むしろ馴れ馴れしいほど。
殿下は殿下でそれを咎めることも無く、さらりと流している。
「お前の嗜虐趣味に割く時間はない。彼女にはかかわるな。どうしてもというのなら城に戻った後にしろ。今、彼女の身柄はフォルに一任している。それにお前にはしてもらわなければならないことが山ほどあるんだ」
「城に帰れば良いんですか?約束しましたよ?」
「その時までお前の興味が続いたらな」
全く持って信じていなそうな台詞は、ガウェインと呼ばれている騎士が普段どれほど移り気なのかを教えてくれるようで。
もしそれが本当なら、あまり神経を尖らせることも無いのかもしれないな・・・と思った。
背を向けて歩き出した二人に、少しどころではない安堵の気持ちを抱き、自分の支度の続きに戻ろうとする。すでにまとめ終わっている荷物はいまさら確認するまでも無いが、もう一度点検しても良い。
布袋の紐が傷んでいるかもしれないし、糸が解れているかもしれない。
とりあえず、今だけは違うことに目を向けたかった。
だが、何気なく視線を戻したとき、
「・・・・・・・・・・っ!?」
まだ近くに留まっていたガウェインの目が合い甘い考えを捨てる。
捕食者の目。
すぐに逸らされはしたが、決して諦めてなどいないと口よりも雄弁に語る眼に、気を引き締め、大急ぎでこれからの計画を立てていく。
今回のことで思い知った『自分の立ち位置の不安定さ』。
寄る辺が無いから、不安定になるのだ。
自分の足で立たないから、自身を持てない。
誰かに頼り続ける限り、弱さは無くならないだろう。
そして、この死と隣り合わせの『異なる世界』で、弱さは致命的なものになる可能性が高い。
だったら、寄る辺を作れば良い。
知らないのなら、知ればいいのだ。
情報は確かな道を見せてくれるだろう。
自分の足で立つこと、すなわち自活の道を確立し誰かに頼りきらなくても生きていけるように、他者に脅かされることの無い自分だけの居場所を作らなくてはいけない。
今回のことはマイナスでありプラスだ。
弱いだけの自分を奮い立たせ、たとえ強がりであろうとも気力を思い出させてくれた。
目標が見つかったことで、自分のすることが見えてきた。
この日が。
読んでいたファンタジー小説のように何か特別な能力があるわけでも、重要な役目を果たすために待ちに待ったと召喚されたのでもない、ただ毎日を平凡に生きてきた一人の女が。
真実この世界で生きようと前を向いた最初の瞬間だった。




