Ⅱ-18 出立 1
もともと朝に強いほうじゃなかった。
仕事の日も、休みの日も、許されるぎりぎりまで惰眠をむさぼり、15分おきに設定した携帯の目覚ましにせっつかれ、しぶしぶ起きて一日を始めるのが常だった。
だからといって、逆に夜に強いかというとそうでもなく、夜更かしはするがいつもではない。本を読み出したら止まらないとき、そしてそのほかの夜は何かしなければと焦燥感に襲われつつ、何も踏み出せないまま時間が過ぎて、結果的に夜更かしをしていた・・・というときが多い。
26歳の一社会人としてはお恥ずかしい話だ。
隊が天幕を張っていたとき、エミは初めの一晩を除いて、夜は殿下の天幕の隅に毛皮のような絨毯を敷き、比較的安眠を得ていた。
得体の知れ無い人物としては破格の。日本では当たり前とも言える寝心地。
だが今朝は、
《痛い~~~。・・・身体のあちこちがぎしぎしするし、体の下になってたところが猛烈に痛む》
鏡で見れるものなら、きっと痣になっていることだろう。
ここ二日間寝起きし手いた洞窟は、一般にイメージする岩がごつごつして暗く狭い空間や鍾乳洞のような、じめじめとした高湿度、低温の空間とは違った場所で。
床には平らな岩場が中心に広がり、大の大人が10人寝転べるほどの広さがあり、天井部分の奥まったところは小さく空と通じ、そこから細いが確かな一筋の光を差し入れている。
簡単に言えば天然の吹き抜けのある踊り場・・・が一番近いのかもしれない。
総合すると、
『平らで、暗くもじめじめもしていない雨から避難できる場所』
これだけ聞けば随分過ごしやすそうに聞こえてくる。
だがベッドや布団に慣れた身体には、石の硬さや寝苦しさはかなりのものだった。
眠るときは外套を下に敷き、荷物を枕に薄い綿毛布を被って寝る。
季節的にはまだ少し肌寒い程度で、雨風が入り込まないのであれば寒さは気にならない。
気にならないが、一枚の布を解して伝わってくる岩の硬さ、冷たさはきつかった。
荷物を最小限に減らしての行軍に余裕はなく、殿下も含め皆同じ条件。一番身分の上の殿下が不平不満を言わないのに、お荷物同然のような自分が文句も弱音も吐けるわけも無い。吐くつもりも無い。
なれない環境に対する溜息は心の中で愚痴る程度にとどめ、一晩休んだはずなのにすっきりしない身体を抱え、むこうでは考えもしなかった早起きをする。
周囲を見れば皆も少しずつ置きだしているようで、洞窟内に残る人は少なくなっていた。
急がなければという焦る気持ちが湧いてこないのは、朝から出発するということで、昨晩のうちに少ない荷をまとめ、いつでも出立できるようにしていたからだろう。
身体を起こし、背伸びをして、首を回し、布をたたんで、深呼吸。
今日も一日が始まる。
寄る辺のない世界での一日が。
***
まだ朝靄が立ちこめ、森がひんやりとした空気に包まれている頃、隊は動き出した。
捕虜の二人を含めた総勢16人の行軍は雨に濡れたせいか、少し薄汚れて見える。
中でも一際貧相になった二人の捕虜は、出立前に引き立てをする騎士から昨夜よりも幾分に念入りに縄を絞められていて、その立場は一目瞭然だ。
歩いてもらうために足は縛っていない。
代わりに、縄抜け出来ないように両手の親指を締め、手首・肘・肩の各関節を動かせないように固めていくのだ・・とフォルから聞いた。
フォルは今最後の打ち合わせに殿下の下へ行っている。
なんとなく見ていたら、捕虜の耳元で騎士が何かを囁き、二人の顔色が若干悪くなった。
心もち、姿が小さくなった様に見える。
・・・何を言われたのか気になるところだが、きっと知らなくても良いことだろう。
捕虜の隣に立つ騎士は薄ら笑いを浮かべているが目が全く笑っていない。
少し離れた位置にいるエミから見ても薄ら寒くなるほどの空気をかもし出しているその騎士は、見間違えていなければ、昨夜殿下たちと一緒に洞窟から出てきたうちの一人で。
短く借り上げた灰色の短髪に浅黒く焼けた肌。出ている手や首は筋肉で覆われ、がっしりとした実用的な身体が、服の上からでも分かる。
鍛え抜かれた身体。他の騎士だってもちろん鍛えている(日本で流行の草食系男子は一人もいない)のだが、その中でも抜きん出ていた。ひょっとしたら、ディーンよりも大きいかもしれない。
隊の中で一・二を争うであろうディーンよりも大きな男。
・・・・行軍前はいただろうか?
天幕を張っていた頃、隊の中を歩き回り、結構な数の騎士と会ったはずだ。
みんながみんな話したわけじゃないし、友好的に関われた訳ではない。
けどあんな騎士はいなかったような気がする。
いたら目立つはずだ。
なにしろ雰囲気が全く違う。
たとえるなら、警察機動隊の中に一人だけやくざが混じっているそんな違和感。
研ぎ澄まされた鋭利な気配の中に何処と無く感じる粗野な仕草。
騎士というにはちょっと首を傾げたくなるのだ。
具体的に何が違うわけではない。
ただ、馴染まない。
・・・ひょっとしたら勘違いなのかもしれないけれど。
じっと見ていたら視線が伝わったのか、当の騎士がこちらを向き目線が絡まった。
騎士はすぐに近くに居たもう一人の騎士に捕虜を託すと、軽い足取りでその場を離れた。
・・・・。
・・・・・こっちへ向っている?
後ろを振り向くが、周囲には誰もいない。
皆、出発の最終調整中で、セディオンさえも少し離れたところで装具の確認をしていた。
足の長さゆえか、考える時間さえなくつったっているままに相手を待った。
あっという間に間の前に来た騎士は身長から生じる、当たり前の位置、つまりエミの頭を真上から覗き込む。
だがその距離が近い。
せいぜいエミの足で一歩。
騎士なら半歩の距離。
他人と見詰め合う趣味はないし、得意ではない。
少なくても目の前にいる騎士に対しては後ろめたいことは今のところ無い。
近すぎる距離に、近づいてきたのに何も言わない気まずさに困惑しつつ。
─────とりあえず笑っておけ。
顔を挙げ、日本人特有ともいえるべき愛想笑いを浮かべる。
「こんにちは」
頭を軽く下げ、失礼にならない程度の挨拶をする。
見上げたその先に見えるのは、少し見開いた青に明るいグレーが混じった瞳。
銀とは言いがたい灰色の髪は短く刈り込まれている。
全体的に荒い粗野な感じは否めないが、どちらかといえば整っているだろう顔。
惜しむらくは、左目にある引きつった傷跡で。
身体のいたるところに傷はあったが、それは今エミには分かるわけもなく。
ついついぶしつけに全体を眺めてしまった。
帰ってこない言葉に、逸らされない目線。
誰か来てくれないか探そうとと目を逸らそうとした時、
「あんたがエミ?ぜんぜん違うね」
・・・・?
言葉の意味が全くわからない。
「はい。エミといいます。あの、失礼ですがあったことがありますか?記憶に無くて・・」
『ぜんぜん違う』という事は何か比べる対象があるという事。
だが先程も思ったが、目の前の騎士は記憶にない。
全てを知っているわけではないなら、天幕のときも彼は居て、遠くから見かけたと言うことだろうか。
「いや。会っては無いな。俺が見ただけ」
「いつ?」
いつ、何を見られたのか。
「いつも泣いていれば良いのに。弱者は弱者らしくすがり付けばいい」
「は・・?」
弱者らしくすがる?いつも泣く?
目の前の男の目は逸らされることなく、獲物を見つけた猛禽のよう。
少し上がった口角が歪んだ愉悦を表していて、追い詰める言葉は更に続く。
「なあ、ここに居てあんたが何の役に立つの?そもそもあんたは何故ここに居る?」
何故ここに居る?なんの役に立てる?
そんなことはずっとエミが考えている答えの無い問いだ。
エミこそがそれを問いたいくらいなのに、目の前の男は何故自分にそれを言うのか。
周りの音が消えていく。
自分の足元が無くなり、居場所が見えない。