Ⅱ-18 束の間の休息 4
陽もとっくに落ちた頃、洞窟から4人の姿が見えた。
すでに夕食の準備は出来ていて、そのほとんどが配り終えている。
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あの後、エミは捕まえた騎士と薪を集めたり、夕食の元になる肉や野菜の準備をしていた。
自分に出来ることなら何でも手伝う気だったが、実際にウサギや鳥が、目の前で絞めて捌くのにはちょっと勇気と心の準備が要るかも・・・と思っていた。今までのように、切り身となった肉を捌くのと、生き手いる動物の命をこの手で摘み取るのは全く違う。
目を見てたら、抱いてしまったら・・・泣いてしまうかもしれない。
しなくて済むならしたくない。
けれど、このままここで生きていくには、慣れないといけないことなんだろうと心を決めた。
心配は杞憂に終わった。
行った時にはメインディッシュはもう絞められていたし、自分がしたことといえば首を落とされた良く分からない生き物の鱗をそぎ落とし、色鮮やかな羽を捥いで切り分けただけ。
しっぽは何もしなくても簡単に手でちぎれた。
(初めの形から想像するに『鱗の生えた鶏のような大きさの羽のあるトカゲ』が一番近いかもしれない)
調理というほどの器具も設備も無い旅路では、料理は簡単。
全てを入れて、かき混ぜ、煮込む。それだけ。
途中少し味見をし、塩と胡椒で味を調えて終わり。
料理が趣味です!などとは、間違ってもいえないエミにとって、『料理が出来ない女』という不名誉を免れたのは幸いだったのかもしれない。
さすがに『包丁持ったことがありません』なんて言い訳することは無かったが。
伊達に6年間も一人暮らしをしていた訳ではない。
他人様に料理ですと自信を持って進められるものが作れないだけで、生きていくのに必要なことはほとんど一人で事足りていたくらいだ。
今までの知識や小説の中では、こういった旅や行軍中ほとんどが、干肉や干飯、乾燥させたパンなどを湯で戻した味気ないものを食べたりしていた。
昨日までの天幕を張り、荷馬車がある状態ならば、余裕があるだろうから普通の食事も不思議に思うことは無かった。
けれど、夜逃げ同然に最低限の荷を持ち出立した行軍で、まさか料理をしたものが食べられるなんて・・
たまた担当が、話したことのあるローディアスだったから疑問をぶつけてみた。
思っていたとおりの、干し肉や乾燥させた果物・干飯などもあるらしい。けれど、今後行軍が長くなることも考えると、少しでも余裕があるときには狩りや、採集をして食べ物を確保したほうがいいらしい。・・・なるほど。
時間の無いときや、火を熾せない状況の時には、乾燥したそれをそのまま噛み千切り、胃を満たすこともあるのだとか。
ローディアスは以前の任務で味わったことがあるみたいで、『正直に言ってしまうと、乾燥した食物を自分の唾液だけで戻して食べるのはとても顎が疲れるし、味わうというよりも、とりあえずの栄養補給のようなもので、あまり好きじゃないんですよ』との感想をくれた。
そうだろうなあと思う。
味気ない食事が長く続くと、気分も滅入ってくる。
よく、食事療法の先生が言っていた。『食べる喜びは生きる喜びにつながる』と。
それとも、辛い状況の中でより早く美味しいものにありつくための気力が湧くのだろうか・・・・。
─────このまま行軍が続けば、乾物を食べる機会もあるかもしれない。
洞窟から出てきたのは、殿下・ラウール・ディーンと見かけたことはあるが名も知らない騎士、そして全身薄汚れた上、両手を拘束されている2人の男。
灯りとは言っても、何箇所かに置かれた松明の灯りで、細部までを見渡せるものではない。
そんな光を持ってしても、縛られた二人は疲れきり、汚れていた。
二人とも両手には包帯が巻かれていて、怪我をしているのだと分かる。
手当ては済んでいるようだから、エミの出番は無いだろう。
そもそも格好はまだしも、その待遇から言って、明らかに昨夜の捕虜だ。
説明されなくても、それくらいは理解できる。
「お疲れ様です・・・」
みなの視線を無視し、目の前へ来た4人へ椀を渡しつつ。
思わず出たのが、こんな言葉・・・・。
聞きとがめた殿下の、少し見開いた深い緑の瞳が綺麗だ・・・と思った。
同時に、少し疲れてるな・・・とも思った。
何でだろう・・・雰囲気かもしれない。
それを見て、自然と『お疲れ様』が口からこぼれた。
長い間に培ったいたわりの言葉。
いち社会人として、毎日交わしていた挨拶のようなもの。
─────この国にそういった言葉は存在しないのかもしれないけど。
そんな、殿下との椀を渡す間だけの短い視線の交わりは、すぐに何事も無かったかのように終わりを向かえ、遅い夕食が始まった。
大の大人が集まって無言で食事を食べる風景は場所と、状況が違えばほのぼのしているようにも見える。
だが、捕虜の二人は両手を繋がれているし、皆は剣を脇に置いている。
全員が無言の夕食は、どこか張り詰めたような空気が漂っていて、勘違いなど一瞬で消えた。
エミは、隊の中でも洞窟の右端。昨日身体を拭いた付近の岩に腰掛けて食事をとっている。
昨夜とは違い、今は辺りがスープの臭いに包まれ、蛋白質と、香草の焼ける臭いは漂ってこない。
誰も、何も教えてはくれなかったけれど、
一般の人なら分からなかったであろうその臭いの元を。
蛋白質の焼けた臭いの原因を。
病院に勤め、一時は手術室も経験した私は分かってしまう。
考えたくも無いのに、知りたくなど決して無いのに。
容易に想像が付いてしまうのだ。
そしてその想像は、確実に現実に起こったことだろう。
そしてそれらの事柄は、ここに居る全員がかかわっているのだ。
もちろん、知らされていない私も。
温かいスープは身体を温めてくれる。
けれど冷えた心までは温めてはくれない。
心の中で辛いときにに口ずさむ歌のフレーズが繰り返し流れている。
スープは冷め始めていたから、急いで胃に押し込み、短い食事を終える。
出汁の効いた野菜だけのスープ。
今度は肉は初めから入れなかった。
その後、一つに集まった隊の皆にディーンさんから今後の行程の修正を告げらる。
捕虜から得たという情報を元に、より安全だが、時間と手間隙のかかるほうを選んだという方法は、今までの緊張感ある旅路を塗り替えてしまうほどのもので。
万全の準備を行うために、遠回りして近隣の村付近まで降りていくのだという。
出発は明日、早朝。
朝靄漂う中、振り分けられた自分の仕事に全員が驚くになるとも知らずに。
騎士たちは明日へ備え、眠りへと身を委ねた。