Ⅱ-15 王都へ 2
闇夜に溶けるように身を隠し、息を殺す。
恐怖から来る緊張に、心臓はばくばくとうるさい。
自分の鼓動が聞こえる。
震える手足、鳴り止まぬ歯の根を押さえ、藪の中で身を小さく縮めた。
雨はまだ止まない。
力の入った指先が白く強張り、
ししどに濡れそぼった体から熱が失われていくのが分かる。
この身体から零れ落ちるものはなんだろうか。
体温?体力?気力?
それとも・・・・
まだ心のどこかで隠し持っている希望だろうか。
藪を掻き分け、枝を踏み折る音がする。
敵か味方かも知れぬ音と、暗闇、そしてひたすらに震える身体を苛む雨。
孤独と恐怖に心は白旗を振り逃亡を試みる。
夢の中へ。
狂気の中へ。
決して逃げ切れぬことを知りながら、
瞼を閉ざし、現実を否定する。
終わりは近い。
彼の人の言うことが真実であるのならば、
ここで待つのもあと少しのはずだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・
もう何度目なのか、何を数えているのか、
ただひたすらに言いつけを守る。
小さく膝を抱え、さらに岩陰に身を潜めつつ。
夜明けはもうすぐだった。
*************
まだ、眠気の残る瞼を擦りながら俄かに騒がしくなった周囲を見渡す。
「準備は出来たか」
真上から聞こえてくる低い声にうなづきを返しつつも、ついつい頭が垂れる。
砂礫の付いた長靴。
きっともともとは艶のある黒だったのだろうが、今は土に塗れ、足首辺りまでが白くなっていた。
まだ辺りは闇に覆われている。
月は天高く地上を照らし、今が夜更けであることを教えてくれる。
眠ったのは月が真上に届く前で・・・
時計や、時間を表すもののない生活は不便だ。
今まではあんなに時間に縛られるのを苦痛に思っていたのに、自由になったとたん、時間に固執する。
この四日間の移動は全て朝方だった。
夜に寝て、朝起きる規則的な生活。
しかし今は真夜中で。
何か、あったのだろうか。
夜の静寂を壊すように、人の動く音、物がぶつかる音が辺りに響く。
いつもならここに、人々の話し声が聞こえるのだが、今はそれもない。
騎士たちは口を噤み、緊迫感を孕んでいる。
「急がなくてはならない。説明できたら良いが、今は時間がない。
エミ、自分の荷物を持ったら、怪我人と共に移動しろ。
隊はここから二手に分かれる」
荷物というほどのものはない。支給された着替えが一着と、布が三枚、そして簡単な医療具だけ。
寝入っているところをたたき起こされ、それらを皮袋に詰め込みここに立っている。
普段と違うのは、革張りの編み上げ長靴を履いていることと、外套を着けていることか。
どちらもサイズが大きく、着ているというよりは着られているといった風情。
頭上から振ってくる声に顔を上げる。
3日、昼間を共に過ごした。
慣れない環境で看護する自分をなにこれと面倒を見てくれたフォルが居る。
160センチの自分より、頭ふたつは高い、引き締まった体躯。
赤茶の短髪に、茶色の瞳。
額から右眉にかけてある引きつった古傷が、甘くなりそうなマスクを引き締めている。
その表情は、見たこともないほど真剣で、睡魔の名残が残っていた思考が消える。
「なにかあったんですか?」
三十人ほどの隊が二手に分かれる理由が。
こんな真夜中に逃げるように急遽移動するほどの何かが。
「詳しい説明は出来ないが、大人数での移動は危険だと判断された。
怪我人と、何人かは安全な道を行く。その他は川沿いに逸れ、王都へ向かう。寝入りばなに悪いが朝までは待てないんだ。世情は不安定で、決して油断できないのだから」
説明しつつも、足は野営地の中心へ向かう。
よほど時間が惜しいのだろう。
口調は早口で、何も知らない身では説明内容は良く分からない。
詳しく聞きたかったけれど、それが許される雰囲気ではなかった。
危険がある。
怪我人は安全な道を行く。
残りは川沿いに王都へ向かう。
何とか分かった三点を頭に叩き込み、うなづきを返す。
「エミは怪我人に付いて行け。他にすることがあり、俺は連れて行けない。できるな」
怪我人に付いていく。
それは理解できた。
了解の旨を示すとフォルは私の頭をひとなでして走り去っていった。
《私は小さな子じゃないんだけどな・・・》
もっとも、フォルからしたら子供のような身長差。
急いでいて、とっさに手が出たに違いない。
外国人からすれば幼く見えるという日本人だが、昔から老け顔で、歳相応にも増して年下になど見られたことはないのだから。
周囲は物音を立てつつも、確実に出立の準備を進めている。
皮袋を掴みなおし、言われた言葉を思い出しつつ周囲を見渡す。
野営地の端、いつも通っていた馬車から降りてくる怪我人たちが見えた。
セディオンもいる。
彼は折れた腕を布で吊ってはいたが、鎮痛剤を使えば歩行に支障はなさそうだ。
彼らはそのまま歩き出し人の集まったほうへ向かっている。
『怪我人に付いて行け』
フォルの言葉を思い出す。
見失わぬように、彼らの向かう方へ小走りの速度を上げる。
自分の患者以外のもう一台にいる者たちのことは思い出すことはなかった。
視界の外。
眼を逸らしたまさにそのときに。
怪我人の降りた馬車から馬が外され、奥に停められていたもう一台の馬車に何人かが移っていた。
その周りを囲む騎士は4人。
怪我人全員が乗り込むのを確認し、ひっそりと野営地から反対方向へと出立する。
馬車と騎馬の速度は速く、その姿はすぐに森の奥へと消えて行った。
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かりんとう