Ⅱ-10 天幕の中
天幕の中は気まずい静寂に包まれていた。
私はもちろん動けないし(どうしたらいいのか分からないし)
殿下は背を向け寝台に横たわっている(ここに居てどうしたらいいの?)
正直に言うとラウールに連れて行って欲しかった。
そうでしょう?
誰が先ほどまで自分の貞操を危険に晒したやつと二人でいたいと思うのか。
そんな人がいたら、見てみたい。
わたしは嫌だ。
確かに、怪しいとは思う。いきなり戦場に現れ、敵か味方かもわからず、気が違ったのかと思うような話をする女は。
けれど、だからと言って確かめるだけにあんなことをされてはたまらない。
『ふざけるな。もうこんなところに居たくない。帰る!』
そう言えたらどんなにいいだろう。
実際にはいえるはずもない言葉。
誰も知らない、何も知らない、命の危険さえある場所で。
私がどんなに帰りたいと願っても、耐え難いほどの恥辱を受けてさえ、安全を捨てれるほど馬鹿ではなく。
また、私を不審に思い、確かめたい向こうの考えも分かるから。
何も知らない子供なら良かった。
泣き喚いて、叫んで、哀れみ、慰め保護してもらえるだろうから。
事情なんて、大人の都合なんて知ったことじゃないと突っぱねられたろうから。
(実際そんなことになれば、子供だって関係ない)
分かっている。
分かっているけれど。
つまり、気まずいのだ。
こちらから状況を打開するには、相手の身分が高すぎて。
こちらの立場が弱すぎて。
散々心の中でつぶやいてはいるけれど。
結局のところ、其処で寝そべっている人に聞きたい。
《私はどうしたらいいのですか?世話しろというのなら、せめて指示をして下さいっ》
と。
思考が堂々巡りする中、時間だけが過ぎていく。
何もしない、何も話さない時間は、過ぎていくのが遅すぎて。
ほんの少しの時間でもとても長く感じる。
辛くはないけれど、そろそろ正座をしていた足がしびれてきた。
「・・・おい。私は眠る。夜の準備をしろ」
「え?」
思考の海としびれる足に気をとられ、反応が遅れた。
「夜の準備をしろと言った。お前は耳が不自由なのか?命令は一度で理解しろ。何度も言わせるな。
先ほどはああいったが、役に立たないものを置いておくほどの余裕はない。」
殿下はいつの間にか寝台に腰掛けこちらを見ていた。
「あの・・」
「何だ」
「夜の準備とおっしゃられても私には分かりかねます。教えていただけますか?」
「・・・・・・そうだったな」
深いため息と、少し疲れたような表情。
しかし、分からないのはこちらのせいではない。
この世界のことも、自分の状況さえはっきりと掴めていないのに、いつもやっていることのように命令されてもできるはずもない。
ただ、役に立たない荷物であるつもりはさらさらなくて。
やれることなら何でもやるつもりだ。
仕事があるほうがいい。
考えるひまがないほうがいい。
時間があると、どうしようもないことばかり考える。
今を否定し、泣き叫びたくなる。
「もうこの時間では遅いか・・・・。女、外に出て桶に水をもらって来い。今夜はそれだけでいい。皆休んでいる。仕事については、明日ラウールか、ディーンにでも聞け」
《女って・・・。昨日名乗った覚えがあるんですけどね。取るに足らないことだったんですかね》
その横柄な言葉に引っかかりを覚えると共に、部下を思いやるような発言を意外に思う。
二日間。それも話を聞いたのはごくわずか。限られた中での物言いに高飛車で、有無を言わせない印象を持っていたけれど。それだけじゃないらしい。
「早く行け。私はお前と違って暇ではない」
・・・・・・私には当てはまらないけれど。
天幕から水をもらいに外へ出る。
夜はまだ始まったばかりだった。