第四十五話:果てなき夜の幕開け
かつての病院周辺はすでにゴーストタウンを通り越し、荒野のように変貌していた。高く伸び放題の雑草や樹木が、廃墟となったビルの残骸や住宅の壁を覆い尽くし、空き地と化した場所には姿を変えた動植物が棲みつき始めている。
中心には巨大なクレーターが口を開け、そこから黒い水面が見え隠れしている。ひと目でわかるように、それは通常の水ではない。沈殿した土砂や瓦礫はどす黒い液体に絡め取られ、粘度の高い沼となり、微かに揺れるたびに泡が弾けては生理的嫌悪感を催すような悪臭を放つ。昼間は陽光に反射して、油膜のような虹色が一瞬浮かんでは消える。夜は月明かりの下でわずかにうねり、地底の奥から何かが脈打つ音が聞こえてきそうな気さえする。
世界はすっかりこの災厄を「遠ざける」方向に動き始めた。軍や行政は、もはや積極的な処理策をとることを諦め、広域な封鎖線を張ってしまった。周囲数キロメートル圏内は警備隊が巡回し、侵入を試みる者には警告が発せられる。地理情報上も「危険地帯」として扱われ、地図によっては詳細が削除されたエリアすらある。いっそ「この地域は存在しない」と扱いたいかのように、社会から切り捨てられているのだ。
しかし、それで“穴”の脅威が消えたわけではない。むしろ、人々の眼前から隠されたことで、じわじわと奥底へ浸透し、さらなる変質を遂げるための好都合な温床となっているのかもしれない。今や、ここがかつて「おじさんの尻の穴」から端を発した惨劇の舞台だったと知る者も少なくなり、ただ伝説めいた怪談や噂話として語り継がれるのみ。だが、闇は深く、大きく、底知れずに広がっている――。




