第三十九話:延焼する混乱と極端な主張
この事態に対し、社会の意見は大きく二分されている。
爆破派: 「一気に軍事的な爆薬やミサイルを使ってでも、このクレーターと周辺地下を完全に吹き飛ばすべきだ」という急進的な声。被害が拡大する危険性はあれど、今さら小手先の方法では焼け石に水だ、という主張を繰り返す。
自然放棄派: 「むやみに刺激せず、この場所を巨大な封鎖区域に指定して完全に立ち入りを禁止し、自然に任せるしかない」という消極的な意見。触れれば触れるほど穴が飛散や拡大を起こすので、封鎖して数百年かけて沈静化を待つしかない、という考えである。
どちらにしても、そこに住んでいた人々はすでに戻れない。莫大な費用と時間をかけても、決定的な解決策にはならない可能性が高い。行政は長らく後者の立場を取っていたが、噴出と地盤沈下が相次いで起こった結果、多数の避難民を抱え、社会不安が高まった以上、「何もしないまま無期限に放置する」ことに対する批判も日増しに強まっている。
さらに一部では、軍隊が本格的に動いて“穴”を制圧・除去すべきという声が現実味を帯び始めた。大規模な火器や化学兵器、果ては核兵器さえ使用する可能性を示唆する極論も飛び交い、メディアは連日騒然としている。
しかし、いかに軍事力を使おうとも、“穴”が拡散し続けるこの状況では「先に手を出したほうが負け」になりかねない。爆破や焼却の衝撃で肉塊の破片が広範囲に飛散し、さらに汚染が加速する恐れがきわめて高いからだ。それはまるで、焼けた油に水を注ぐような危険行為。専門家たちは口をそろえて慎重策を説くが、焦燥感に駆られた世論は彼らを「臆病者」と揶揄する。
こうした堂々巡りの議論だけが先行し、人々の精神は擦り減っていく。ほとんどは直接的被害の及ばない遠方に住む人々だが、“おじさんの尻の穴”の存在はメディアを通じて大きな不安の象徴となり、社会全体を苛立ちと恐怖に包んでいた。




