第十八話:じわじわと建物を蝕む
撤退後、彼らは隔離エリアへの再突入を断念した。もうまともに近づくことさえ命懸け。さらに時間が経てば、より強い腐敗ガスや液体の噴出が予想される。そこでやむなく臨時の厚壁やバリケードを強化し、封印を試みる。だが、それが根本的な解決につながる見込みは薄かった。すでに天井や壁の内側、床の配管などを通じて液や有毒ガスが建物各所へ漏れ始めているのだ。
廊下や階段のコーナー、さらには給湯室や倉庫の隅に至るまで、黒い染みが突如として現れ始める。それを拭き取ろうとすれば、かすかに粘り気があり、ひどく生臭い。やがて腐食が進むのか、壁材や床材がじわじわ崩れ、鉄骨は赤茶けた色を帯び、あちこちで抜け落ちるような音が聞こえる。排水口や排気口には絶えずヌメリを伴う液が滲み出して、医療スタッフが嘔吐や頭痛で倒れるケースも急増。結局、建物の機能維持を断念せざるを得なくなった。
患者や医療スタッフは最小限の装備で別の病院へ移送され、建物は事実上“見捨てられた”状態にされる。最低限の防護作業を行ったのち、敷地の周囲に仮設の柵が立てられ、「立入禁止」と大きく書かれた看板が乱雑に並ぶようになった。ほんの数週間前まで通常に稼働していた病院が、今やゴーストタウンのように放置される。近隣住民の間には恐る恐る噂が広がり、一部には「あの病院で凄惨な事故が起きたらしい」「原因不明の汚染がある」といった話が飛び交う。
しかし、当局は大々的な公表を控えており、特に具体的な情報はほとんど出されない。新聞やテレビなどマスコミも、根拠のない断片的な風説しかつかめず、いずれネタ不足から騒ぎは静まっていった。それでも、一部の好奇心旺盛な人々が柵を乗り越えて病院の廃墟に潜入しようとする事件が起きる。しかし、奇しくもそこで吸い込んだガスや液に触れて身体の不調を訴える者が出たため、次第に「呪われている」「やめたほうがいい」と言われるようになり、人の寄り付かない場所へと変わっていった。